純情ラプソディ:あとがき

 書き始めたころは漠然とシンデレラ・ストーリーにしようと考えていました。ですからヒロコにはステレオ・タイプの生い立ちを設定しています。不遇時代の救世主がいて、徐々に花開いていくヒロイン像を書き連ねています。

 カルタは舞台背景ぐらいのつもりです。異様に描写が細かくなったのは、カルタを殆ど知らなかったからです。泥縄式に調べたおかげで、競技かるたはどんなものなのか、やっとわかったぐらいです。

 カルタを背景に使ったのはヒロインの出会いと恋が芽生える場所にするためです。とくに今回は三角関係的な要素を使わなかったので、カルタにかける青春群像みたいな要素を膨らませたかったぐらいです。

 それと今回は脇役陣のキャラをしっかり描きたいのもテーマでした。魅力的な脇役が活躍する作品にハズレなしぐらいです。自分なりに頑張ってみたつもりです。ヒロインの恋が一直線路線だったので、脇役陣の恋であれこれ楽しませてもらっています。

 舞台となった港都大は、これまでの作品にも何度も出ていますが、モデルはわかる人はわかる神戸大です。実は家から近いと言うか、直線距離なら百メートルも離れていないのですが、ここも行ったことがありません。そこは時代設定が今から八十年後ですから適当に誤魔化しています。

 ちなみに新歓コンパで出てきたスペイン・バルも仕事場の近所にあり、忘年会に使った中華料理の店もイタリアン・レストランもモデルがあります。もし万が一でもこの本が売れて映画化でもされたら聖地巡礼の地になるかもしれません。

 それと最初に書きあがった頃は当初構想通りにシンデレラ・ストーリーでのハッピー・エンドにしていましたが、どうにも平板すぎる気がしたのです。そこで早瀬家の謎的なエッセンスを注入して捻ったのですが、少々長くなったのを遺憾とします。

純情ラプソディ:第67話 純情ラプソディ

 早瀬の鬼嫁を考えてたのだけど、普通の鬼嫁とはまず意味が違う。一般的なものなら夫に鬼の様に恐れられる嫁の事だし、セットで恐妻家があるぐらい。夫だけでなく家族にも怖がられる意味も含むかな。

 しかし早瀬の鬼嫁は夫にも家族にも怖がられないで良いと思う。怖がられるのは、昔なら親族とか家臣で、今なら早瀬グループの社員に怖がられる存在で良いはず。いわば鬼上司とか鬼社長の意味。たとえればエレギオンHDの氷の女帝のようなもの。

 それに鬼嫁にならざるを得ない事情も間違いなくある。まずだけど嫁なんだよね。そうヒロコは嫁になると同時に早瀬海洋開発に入社したけど、そうじゃなかったら次期後継者の達也夫人に過ぎないってこと。達也が社長になっても社長夫人なのよ。もちろん要注意人物で、達也夫人の機嫌を損ねたりしたら告げ口されたりがあるぐらいかな。

それでも社員にとっては組織のライン外の人。だから鬼嫁として経営に乗り込む時は、よそ者が土足で乗り込んでくる感覚になる。当然だけどそんな人物に親しみも忠誠心も持ちようがなく、白眼視するだけじゃなくサポタージュぐらいは平気でする。ヒロコも経験したイジメの構図だよ。

 さらに鬼嫁が乗り出す時にはある種の非常事態。時間をかけて信用や信頼を得る時間は無い。そうなれば揮うのは強権しかなくなるぐらいかな。恐怖統制で実績を作り上げ平伏させる手段しかないと思うもの。だからヒロコもそうした。

 非常事態に鬼嫁が登場する経緯は早瀬の家のトップシークレットみたいなものだと思うけど、お父様は達也と婚約してから、あの重い口から信じられないほど教えてくれたことがある。これは達也さえ知っていない話だと思うぐらい。お父様は、

『早瀬の嫁として知る必要がある。達也では真意を理解するのは無理だ』

 ひいお婆様はレアアース事業に単独で乗り出したことで知られているけど、あの事業は達也の理解なら、

『あれは爺さんの大博打さ』

 これはそうじゃなくてひいお爺様の大博打だったで良いと思う。当時の早瀬電機は先行きの不透明さこそあるものの、ひい爺さんが実権をもって社長をしてた。このひいお爺様だけど海が好きだったで良さそう。

 海が好きと言えば釣りとかヨット、クルーズ船の旅行なんかを思い浮かべそうだけど、ひい爺さんが好きな海は海中探検だったのよね。深海探査船にも同乗したこともあるし、自家用の潜水艦まで持ってたいうからさすがは社長の趣味だ。

 そんな趣味があったものだから南鳥島のレアアース事業の将来性については、財界人の誰より詳しかったとして良いと思う。だからこそ早瀬単独による事業継続の方針を打ち出したのだけど、それこその猛反対を喰らったのも事実。

 早瀬の男にしたら出来はマシかもしれないけど、やはり共通している甘さはある。たかが早瀬電機で出来る事業じゃないものね。ところがひい爺様の提案が退けられそうになった時に乗り出したのがひいお婆様。ゴリゴリの強権を揮いまくって単独事業継続を決めちゃったんだ。

 レアアース事業は難航を極めたから早瀬電機の経営は時代のお爺様の代に速やかに傾いている。穴の開いたバケツに水を注ぎこむようなものだったもの。経営が行き詰まりそうになって登場したのがお婆様。とにかく事業資金が必要と八面六臂の大活躍をし、女傑を越えて猛女とまでされたのは有名。その活躍ぶりはカスミンも良く知っていて、

『人でもあそこまで成れるのかと感心した』

 お婆様が最後に渡り合ったのが氷の女帝と稀代の策士。その交渉ぶりは、

『最低でも株の五十一%は欲しかったのだけど、四十%で手を打たざるを得なかったぐらいかな。コトリもそれで十分って賛成してくれたし』

 でもさぁ、ここに謎があるのよ。レアアース事業は結果として成功したけど、客観的な事業判断としては早瀬じゃ到底無理だったのよ。つまりは暴挙暴走だよ。それなのにひいお婆様もお婆様もどうしてあそこまで頑張ったかなの。

 あれは冷静な事業判断の結果とは思えない。他のモチベーションが鬼嫁にして暴走させたしか思えない。その原動力になったのはひいお婆様なら夫の夢を叶えるため、お婆様なら早瀬電機を潰して夫を悲しませないためとしか考えられないの。

 そうなのよ、すべては夫への愛のため、夫婦愛の賜物。それもほんじょそこらの夫婦愛じゃない、純情の結晶みたいな愛そのもの。純情って、

『素直で邪心の無い心。利益・策略を離れて、一途に寄せる人情・愛情』

 似た言葉に純粋がある。違いは邪心がないのは同じだけど、純情の場合は情が密接に絡む点かな。邪な心なく、一途に夫に寄せる愛情でヒロコは良いと思ってる。夫を死ぬほど愛しているが故に、夫を守るためには何でも出来る純情のはず。

 それもあまりにも純なんだよ。かつて馬上で槍を揮ってまで戦い、夫の地位を脅かす親族があればなで斬りにしてしまうぐらい。この話をカスミンに聞いた時に、なんちゅう鬼女だと思ったけど、視点を夫への一途の愛と見れば全部わかった気がした。

 その証拠にあれほど鬼御前と恐れられていたにも関わらず、戦ったのは防衛戦争ばかりで、侵略戦争は行っていないのよ。家が亡ばされ、夫が危ないと思ったから剣を握っただけ。そこに邪心は無いとしか思えない。

 守りたかったのは夫だけ。夫を悲しませない、夫を喜ばす事しか頭に無かったとしか思えない。結果として早瀬の家を守っているけど、本当に守りたかったのは夫で、ついでに早瀬の家を守ったぐらいにしか見えないのよの。

 その傍証になると思うのだけど、早瀬の鬼嫁は早瀬の親族に冷淡だけど、自分の実家にも冷淡なんだ。これは戦国時代も同じ。鬼御前と呼ばれるぐらい恐れられても、自分の実家が攻められた時には無視してるんだもの。早瀬の鬼嫁にとって自分の血を引く親族すら興味がなかったとしか言いようがないもの。


 そうなるとどうしてそうなったかになる。その秘密である早瀬の男の能力をヒロコは知ったと思う。達也とは札幌の夜に結ばれたのだけど、最初は達也との相性が悪くなくて良かったぐらいだったんだよ。それだけで十分なぐらい満足してた。

 ヒロコだって女同士のあけすけの猥談をするけど、強烈な話はあれこれ聞かされていた。でもああいう話は盛ってるのよね。だって自慢したいのもあるし。だから話半分ぐらいで聞いてたぐらいかな。

 でもねヒロコもそうなっちゃんだよ。その時は、それでもあの猥談は盛ってない人もいると思ったのと、ヒロコもそこまで感じられてラッキーぐらいだったかな。やっぱり感じる方が嬉しいし、楽しいし。

 そしたらね、そしたらね、止まんないんだよ。それまで聞いていた一番強烈な体験談、どう聞いたって三倍ぐらいには軽く盛ってるはずの話の状態に達しちゃったんだよ。もう体がバラバラになったと思ったぐらいだったもの。

 それでも止まんないんだよ。自分の体が信じられないってあの事だと思ったもの。その時に考えたのはリミッターが吹っ飛んだじゃないかって。だってだよ、これが限界、これが究極と思っても、すぐに置き去りにしちゃうんだ。

 よくイキっ放しになる話があったけど、今のヒロコはすぐにそうされちゃう。というか、やってるときの普通の状態。そこから巨大な花火が次々に打ち上げられるって言えばわかってもらえるかな。

 花火だってドンドン大きくなるし、連発の間隔も短くなる。それだけじゃない、花火の間にさらに超巨大なのも炸裂する。そこまでいけば気を失いそうなものだけど、なぜかそうならない。全部受け止めてさせられる。

 盛ってないよ。これでも出来るだけ穏やかに表現したつもり。だって、あんなもの言葉で表現することに無理があり過ぎる。だから札幌の夜の清純無垢のヒロコはもういない。そうなったのはなんの後悔もないし、女ならそうなるべきだとも思うよ。

 その代わりヒロコは変わった、いやあれは変えさせられたのかもしれない。そりゃ、そうなるよね。そんなことが出来てしまうのが早瀬の男の能力だと教え込まれた五年間だった。それを教え込まれた女が二度と離れられるものか。


 早瀬の男の秘密はそれだけじゃない。早瀬の男は側室を殆ど置かなかったで良さそう。そりゃ、今は一夫一婦制だけど、昔は子孫を増やすために側室の一人や二人は当たり前だった。

 今だって早瀬ぐらいの家なら愛人ぐらい養っていても不思議無いはずだけど、いくら調べても出てこない。これも鬼嫁が怖いからだと思ってたけど、どうも違う。早瀬の男は本当に妻を愛していたとしか思えないのよ。

 これじゃ説明が足りないね。早瀬の男は妻しか愛せなくなっていたとしか思えない。男って女より浮気性だって言うじゃない。どんなにイイ女を相手にしていても、つい他の女に目が向いてしまうって。

 極論すれば同じ相手ばかりじゃ飽きが来るって。でも早瀬の男は妻に溺愛なんてレベルじゃないほど、溺れ切ってしまってるで良さそう。ちょうどヒロコかが達也に溺れ切ってるレベルと同じぐらい。

 それもだよ、どんな鬼嫁になろうとも、早瀬の男には可愛い、可愛い奥様にしか見えなくなってるとしか思えない。これは早瀬の歴代の当主夫婦がそうであったとりかするしかないと思う。純情すぎる夫婦愛が燃え上がるほどの熱さであったのがすべての原動力だって。


 ここでだけど鬼嫁になってしまった早瀬浩子が本当に幸せになれるかなんだよね。こればっかりは、これから経験してみないとわからないけど、もともとのヒロコの夢は叶いそうな気がする。

 まず間違いないのは達也からの愛。命ある限りヒロコにすべてを捧げてくれるのは保証付きで良いと思う。それこそが早瀬の男だから。ヒロコがもともと一番欲しかったのはそれだもの。達也はヒロコがどう変わろうとも、達也の目に映るのは可愛い奥様のヒロコのはず。

 次に大事な夢である温かい家庭と家族だけど、早瀬の家では達也の時代の方が例外で良さそうなんだ。お父様の時代の使用人体制だけど、あれは最初の奥様があまりにもガチガチのお嬢様だったからなんだ。

 その前のお婆様の時代は違うのよ。お婆様は氷の女帝や稀代の策士と渡り合った女傑だけど、家は主夫が守ってたのよね。主夫と言っても仕事はしてたけど、能力の低さから肩書が大層なだけの閑職で、多忙を極める妻の代わりに家を守っていたんだ。これはひいお婆様の時代もそうだったで良さそう。

 そうなるとかなり変形だけど、ヒロコの夢が実現しそうじゃない。共働きで愛する達也が家を守ってくれる温かい家庭と家族が持てるのよ。貧しくはないけど、別にリッチを拒否しているわけじゃないし。

 年に一度ぐらいの家族旅行も出来る。そりゃリッチだから何度でも出来そうなものだけど、セレブはひたすら多忙。多忙すぎて年に一回ぐらいになりそうというか、お婆様の時代も、ひいお婆様の時代もそれぐらいだったみたい。

「ヒロコ」
「達也」

 今夜は初夜。正直なところ式から披露宴、二次会でかなり体はかなり疲れているけど、ヒロコの心は燃え上がってるし求めてる。そうなってるのがヒロコだし、そうなっているのを恥ずかしいとも思わない。変えたのは達也だもの。

 今夜から恋人じゃなく夫としてヒロコを喜ばしてもらわなくっちゃ。早瀬の夫婦の関係は、夫である達也がヒロコを喜ばせることが大きな原動力になるんだ。それだけじゃない、達也を喜ばせる行為も全部やってる。

 あの時に梅園先輩の変態行為を笑ったけど、順序こそまともだけど、全部やったもの。ヒロコだって抵抗があったし、拒否もしてたけど、あそこまで女として蕩けさせられたら仕方ないよ。


 もうすぐすべてを忘れさせる狂乱の嵐の中にヒロコは入る。それを味わえるのは早瀬の嫁の特権。これをヒロコが満足するまで尽くすのが早瀬の男の役割であり喜び。ちょっと変わった夫婦関係かもしれないけど、そういう家に嫁いできたんだもの。

「もう離さないよ」
「誰が離れるもんか」

 この時だけは、初めて結ばれた札幌の夜の気持ちに戻れる感じかな。そうじゃないね。あの札幌の夜からあれこれあったけど、あちこち寄り道して、グルッと一周回って戻って来たんだ。だから、あの時に達也しかいないと思った気持ちはもう変わらない。それだけでヒロコは満足。

「ヒロコがいれば何もいらない」

 これがヒロコの夢だよね。百点満点じゃないし、昔に思っていた夢とかなり変わっちゃったけど、本当に必要なエッセンスは満たされているはず。カスミンも言ってたもの。

「ヒロコの結婚は必ず成功する。そう出来るようにしてあげてるから安心して。早瀬の嫁になるのは、わたしにも見えなかったけど、それがヒロコの選んだ道ならだいじょうぶ」

 やっぱり達也を南鳥島に行かせるのはやめよう。早瀬の嫁が能力を発揮するには達也の存在が必要不可欠。ふたりが一緒じゃないとダメなはず。というか、達也以上にヒロコが我慢できそうにない。これがないとヒロコは頑張れないもの。そうよ幸せは早瀬の嫁が作るんだ。そのために鬼になってるんだから。

純情ラプソディ:第66話 覚醒

 ヒロコの達也との婚約発表も予定通り卒業二年目に行われたけど、そこに現れたのが社長代行のカスミン。まさに威風堂々として、並み居る政財界人を睥睨して怖いぐらいだった。達也も、

「ヒロコ、如月社長代行って如月さんだよな」

 気持ちはわかる。でもヒロコにはすべてわかった。挨拶に来たカスミンは、

「久しぶりだねヒロコ。わかった、こういう事だよ」
「はい、よくわかりました」

 これは理屈じゃないけど、カスミンこそが氷の女帝と呼ばれた小山前社長だ。いやそれだけじゃなく、氷の女神と恐れられたエレギオンの首座の女神だ。首座の女神の能力を以てすれば、司法試験も、あの超絶的な語学力なんて朝飯前の話のはず。

 それだけじゃない、小山前社長は一代で神戸のアパレル・メーカーに過ぎなかったクレイエールをエレギオン・グループとして育て上げている。今では世界一とも呼ばれてるけど、そんな芸当が出来たのは四千六百年にも渡ってエレギオンを統治し続けた経験の賜物なんだよ。

 早瀬の家の伝説も知識として知っているだけでなく、猛女とも女傑と呼ばれたお婆様との直接交渉に臨まれ、実際に渡り合ってるんだよ。これはお父様から聞いた話だけど、

『お袋はこの世に怖いものはないと豪語する人だったが、唯一怖いと思ったのは小山前社長だとしていた』

 こんなに長いセンテンスではしゃべってくれなかったけど、まとめるとこんな感じになる。

「カルタはなぜ」
「あれ? コトリと正月に定期戦やってるから。負けた方が壁修理をしないといけないから真剣勝負だよ」

 都市伝説通りだ。あのコトリの呼び名が出た。稀代の策士と呼ばれるのは月夜野社長もそうだけど、故立花前副社長もそうなのよ。これに該当する人物も一人しかいない。三百年にも渡るアングマール戦を戦い抜いた名将であり、知恵の女神とまで謳われた次座の女神のみ。

 そしてこれも都市伝説とされてるけど、月夜野社長の名前は『うさぎ』だけど、ごく限られた親しい人のみが『コトリ』と呼ぶってなってるんだよ。カスミンがヒロコに『コトリ』の呼び名を使ってくれたと言うことは、

「これからはどう呼ばせて頂きましょうか」

 カスミンはニコッと笑って、

「そうだね。ユッキーと呼ぶ?」
「本当にそう呼ばせて頂いて宜しいでしょうか」
「ヒロコがそうしたければね。でもカスミンでイイよ」

 ヒロコは震えてた。この『ユッキー』もまた都市伝説。月夜野社長や立花前副社長がそう呼んでいたらしいとされてるけど、『コトリ』以上に呼んでる人は少ないとされてる。まさに選び抜かれ、信用を置くと認められた人にだけ許された特別の呼び名なんだよ。それをカスミンが自ら許してくれるなんて。

「感謝します。この信用に応えられる人間になるように精進します」
「期待してるよ。ヒロコならなれるよ」

 月夜野社長だけではなく、カスミンもヒロコをここまで認めてくれてるんだ。おそらく、これを伝えるために今夜は来てくれたはず。達也は隣で狐につままれた様な顔をして、

「ヒロコ、どういうことなんだ」
「だからあんたは甘いのよ。これぐらい自分で考えろ。一年間、なに遊んでたの」

 どうしてこんなに鈍いのよ、

「あれでわかれって言う方が無理じゃないか」
「アホンダラ、あれでわからん方が無能すぎる。誰を相手に話をしてると思ってるんだ」
「如月さんだろ」

 頭抱えたよ。達也の頭の中に詰まってるのは砂糖か、それともサッカリンかチクロか。

「あれで早瀬グループの安泰を如月社長代行が約束してくれたかぐらいわかんないの」
「友達だからそれぐらい言うだろ」

 ボケナスが、それしか見えんのか。あんまり腹立ったからお父様にも、

「達也さんとは結婚しますが、もっとしっかり勉強させてください。こんな事もわからないようでは、恐ろしくて何も任せる事が出来ないではありませんか」

 お父様は苦虫を噛みつぶしたような顔になり、

「それだけの器だ」
「それであっても足りなすぎます。お父様は自分の息子に甘すぎると思います」

 お父様はため息を吐くように、

「後は頼む」
「ええ、ヒロコが達也を叩き直します」

 お父様はしばらく考えた後に、

「早瀬海洋開発を任せる」
「かしこまりました」

 早瀬海洋開発の事情もあれこれ研究はしてたけど、なかなか複雑なことになってるのは知ってる。まずあそこの人事は変則で社長はお父様なんだけど、同時に早瀬HD社長でもあるから、副社長がCEOになって取り仕切ってるスタイル。そうなってしまった事情は長くなるから置いておく。

 問題はこの副社長。というか、この副社長も凡庸で、飾り物にされて実権は副社長の腹心である専務が握って切り回している。キレ者の評判はあるけど、それならそれで副社長のクビを切って専務に挿げ替えれば良さそうなもの。

 もちろんそれが出来ない理由があって、専務は実権を握っているのを良い事に茶坊主を集めて側近として固めているんだよ。それぐらいなら、大したことは無いけど、私腹を肥やすために横領をやっている噂があるらしい。

 そういう実情を口の重すぎるお父様からなんとか聞き出した。ヒロコの使命は横領の証拠を押さえて専務一派を追放するで良さそう。でもだよ、お父様だって噂を知っていて怪しんでいる訳じゃない、そのための調査もやってるはずだけど尻尾を捕まえられてないんだよね。

 こんなものヒロコが調べたって一朝一夕でどうにかなるものじゃない。そこでヒロコは割り切った。こんなもの犯罪調査じゃないのだから、組織として不要とされる人間を切り捨てれば済む話じゃないかって。やってやったよ、株主総会で副社長と専務の取締役解任決議を提出してやった。

 通ったかって、通らない議案を提出するものか。この議案が可決になる理由があるんだよ。本来は社長が握る実権を二段階下の専務が握っているじゃない。それでもうまく回っていればまだしもなんだけど、早瀬海洋開発の業績がお気に召さない大株主様がおられるのよ。大株主様はさらに条件を加え、

「後釜はヒロコよ。それと変則体制は認めない」

 カスミンが実際に株主総会に出席したのにはさすがのヒロコも驚いたけど、

「新社長の考えにわたしは賛成する。これに逆らう者は好まない」

 後は新社長であるヒロコが、大株主様であるエレギオンの氷の女帝のお墨付を得ていると認知されたから、CEOとして大ナタを揮いまくってやった。そして付いた呼び名が、

『早瀬の鬼嫁』

 お婆様時代の伝説の女傑が甦ったと陰口を叩かれまくったけど、同時に恐れられもした。この辺は最初が肝心だものね。そんなヒロコの活躍をお父様は、

「やはりな」

 そして達也と華燭の典。これでついにヒロコも早瀬浩子。カスミンも主賓に来てくれた。もっとも達也は相変わらずで、

「如月さんなら友人席でも良かったかな」

 殺してやろうかと思ったよ。カスミンが他所の会社の結婚式どころか、結婚式にさえ滅多に出席しないのを知らないのか。雛野先輩や梅園先輩の結婚式すら欠席してるんだぞ。そんなカスミンが出席する意味が、どれほどの価値と意味があるのかをまるで理解していない。

 だいたいだよ、事実上の親会社であるエレギオンHDの社長代行を友人席にしようと言う発想自体が謎過ぎる。今日だってカスミンは普通に来て。普通に受付通ってきたけど、本来なら早瀬グループの幹部が総出で出迎えるのべきだったのよ。カスミンに釘刺されて断られたけどね。よし、もう決めた、

「達也、辞令を出す予定だよ」
「ボクにか」
「南鳥島で修行してこい」
「えぇぇぇ」

 達也向きの仕事がないか考えたけど、あいつに出来るのは現場監督ぐらいだ。現場の労働者と一緒に汗を流し。苦楽を共にして仕事に取り組ませるのは得意そうだもの。本社のデスクなんか置いとくだけで害が出る。達也じゃ、クレクレ詐欺さえ見抜けないよ。

「でも新婚」
「甘ったれるな。南鳥島でしくじったら後はないと思え」
「ヒロコと離れ離れになるなんて」
「あの島には女はおらんからマスでもかいとれ」

純情ラプソディ:第65話 あれから

 あれからって事になるけど、まず梅園先輩。クイーン戦は稀にみる激闘だった。先手を取ったのは城ケ崎クイーンで。先に二勝を挙げて四連覇に王手を懸けたのだけど、第三戦は大接戦になり運命戦にまでもつれこんだんだ。

 これを制した梅園先輩は続く第四戦も劣勢から執念でなんと二戦続きの運命戦に持ち込み連勝。これで二勝二敗で雌雄を決する第五戦になった。クイーン戦も名人戦も五回戦制だから最終決戦だよ。

 最終戦は今度は梅園先輩が終始リードを保ち優勢に試合を進めたんだ。ヒロコたちは新クイーン誕生かと色めきたったけど、さすがは城ケ崎クイーンで、驚異的な粘りを見せて信じられないけど三戦続きの運命戦。

 勝ったのは城ケ崎クイーンでついに四連覇。梅園先輩は悔しそうだったけど、城ケ崎クイーンを素直に称えていた。二人は二月のグラン・プリ小倉山杯で再び激突。今度は梅園先輩が勝ち百万円ゲットしていた。

「クイーン位は惜しかったけど来年は奪ってやる。それより百万円は大きいよ」

 学生王冠戦も慶応に勝ってビール一年分をゲット。札幌杯と合わせてビールは二年分。お母ちゃんも喜んでた。大学選手権は取れなかったけど札幌杯と学生王冠戦。個人戦だけど小倉山杯も制して、

『港都大はゼニが懸かると無敵だ』

 こう呼ばれたぐらい。これで梅園先輩は卒業。素晴らしい先輩だった。来年こそクイーンになって欲しい。


 翌年は雛野先輩が代表になるけど、片岡君が育てた素人三人娘が順調に育ったのと、A級四段の新入会員が入ってきて、職域学生大会こそA級昇格できなかったけど、関西王冠戦は連覇した。学生王冠戦は負けちゃったけどね。

 さらに翌年は片岡君が代表。梅園先輩、雛野先輩と抜けた穴は大きかったけど、札幌杯で撮っていた映画の大ヒットの影響でカルタブームが再燃してくれて、港都大カルタ会は二十人を超える会員になってくれた。

 レベルも高くなり関西の強豪として定着した感じかな。今や部室は全部畳を敷いてるよ。それでも練習するのに狭くて困ってるぐらい。それでも活躍を認めてくれて着替え用の小部屋をもらえた。ヒロコもカルタをやって本当に良かったと思ってるよ。


 そしてついにヒロコも卒業になったのだけど、卒業旅行中に達也からのプロポーズがあったよ。感動したってか、悪いけどあんまり。だって婚約発表のスケジュールに沿っただけのお儀式みたいな感じだもの。

 ここまで来たら逃げられないって思ったから断りはしなかったけど、かなりどころでないぐらい複雑な気分だったのは白状しておく。達也は無邪気に喜んでたけど、どういう神経してるんだろうね。

 達也は予定通り早瀬HDに就職したけど、ヒロコは早瀬グループは避けといた。結婚すれば退職とは言うものの、少しでも違う世界を見ておきたかったから。達也は花嫁修業を持ち出しやがったけど断固却下した。


 プロポーズはあんまりサプライズ感はなかったけど、いきなり結婚式に招待があったのはビックリした。だってだよ、片岡君が卒業と同時に雛野先輩と結婚式を挙げちゃったのよ。雛野先輩は卒業してからも片岡君との同棲を続けていたけど、そのまま最短距離でゴール・インで良さそう。

 雛野先輩の花嫁姿は可愛かったし、片岡君はますます男らしくなってた。そうそう片岡君は優秀というより天才的な研究者のセンスがあるみたいで、大学院に進んで研究者の道を教授からだいぶ誘われていたようだけど、

「研究は自分の会社で続ける。大学で成果をあげてもおカネにならないからね」

 どうも幾つか具体的なアイデアが固まって来てるようで、これを家の会社で商品化するのを狙ってるみたいで良さそう。しっかりしてるよ。片岡製作所の将来も明るそうだ。雛野先輩は、

「次はヒロコね」
「梅園先輩もいますよ」

 梅園先輩の結婚計画ではまだと思ってたんだけど、それが招待状が来ちゃったんだよ。あれって思ったけど、

「竜二をこれ以上待たせるのは悪いし」

 これは結婚じゃなく初夜の事。ここは梅園先輩の卒業と同時に同棲は解消はしてるけど、

「ムイムイは寂しかったの」

 だとは思うけど、柳瀬君にも少し聞いたら、

「一人暮らしに戻ってましたから・・・」

 梅園先輩の部屋の扉を開けたら、荷物雪崩に襲われたそう。そうなるよね。どうもこれ以上は梅園先輩を一人にしておくのは拙いと柳瀬君は判断したみたいで良さそう。それを見捨てない柳瀬君はエライと思った。

 結婚式には片岡夫妻とヒロコと達也も出席した。それにしても花嫁として黙っている梅園先輩は素敵だよ。冴え冴えとして近寄りがたいぐらい知的かつ神秘的な感じさえしたもの。

 それと相変わらずのズボラ嫁の無能主婦だそうだけど、仕事はキレ者みたい。同僚の祝辞を聞いてても、仕事が良く出来るとか、我が社のホープだとか、同期の出世頭とかがズラズラと。祝辞だからお世辞も入るとは思うけど、チラッと会社の同僚の人に聞いても、どれだけ仕事が出来るかの褒め言葉ばっかりだったぐらい。

「ヒナとムイムイの次はヒロコだね」

 あの二人がすんなりゴール・インしたのには驚いたけど、素直にお祝いする気分になったよ。今夜は初夜か、柳瀬君は溜まりに溜まった思いを炸裂させるんだろうな。末永く、お幸せに。


 先輩二人があっさり結婚したのも驚いたけど、それより驚かされたのはカスミン。司法試験は予備試験に比べると日程はシンプルで五月に四日間の一発試験。三日間が論述式試験で最終日は短答式試験。発表は遅くて九月。当たり前のように合格したけど、実はこれでは法曹資格を取った事にはならないよね。

 俗にいう司法試験って司法修習生への採用試験のようなもの。ここで合格しないとなれない。数は少ないけど、ここまで来ても不合格になるのはいるんだよね。カスミンは、

「大学との交渉は成立したよ」

 なんのことかと思えば司法修習をどうするかだった。ここも大雑把に言えば司法修習は十二月から始まり、翌年の十一月末の二回試験って呼ばれる考試まで続くと思えば良さそう。ざっと一年間だけど、この間は大学は休まざるを得ないじゃない。

 港都大法学部は所定の単位を修得すれば卒業できるけど、単位の修得条件はシンプルには試験の成績。司法修習をやりながら試験なんかに出席できるはずないから通常なら休学にするけど、

「卒論で代用の了解が取れた」

 そういうわけで三年生の十二月からカスミンは欠席して、次に会ったのが四年生の十二月。弁護士になってたよ。卒論も言うまでもなく合格してカスミンは大学院に進学した。それもなぜか考古学部エレギオン学科。どういうマジック使ったんだろ。


 でもカスミンへの驚きはまだまだ序の口だった。ヒロコが卒業した年に起こったのがツバル戦争。これも訳のわかんない戦争だった。だってだよ、超大国の中国が南海の孤島の小国ツバルに突然攻め込んだんだよね。

 それがスッタモンダの末に中国は大損害を出して敗北。大損害って言うけど、実際の戦闘による戦死者はゼロと言うより、ミサイルや砲弾どころか銃弾さえほとんど飛ばない戦争だったもの。なのに中国軍は潜水艦を三隻も無傷で鹵獲されたって言うんだから、どうなってたのだろう。

 奇妙な戦争だったけど、あの時に月夜野社長がなぜかツバルに居て、そのまま帰国できない事件が起こったんだ。これはこれで大事件だけど、エレギオンHDは社長不在の危機を乗り越えるために、これもまったく訳がわからないけど、突如カスミンを副社長にして社長代行にしちゃったんだよ。


 達也とプロポーズを受けてから早瀬グループのデータベースにアクセスできるようにさせてもらったんだ。カスミンの予言が正しければヒロコは奥様だけじゃなく、経営者もやらないといけないもの。

 あれこれ調べたけど、とくに注目したのはエレギオンHD。ここは早瀬の首根っこを抑えてるところだから要注意。でも月夜野社長を始めとする経営首脳陣の情報は、呆れるぐらい断片的かつミステリアスなのは驚かされた。

 なにがミステリアスかだけど、信じろと言うのが無理な話ばっかり。それも根拠なしの噂話ばっかり。達也なんて、

「あんなものは都市伝説」

 こうやって見向きもしないぐらいだった。常識的にはそうだけど、ヒロコは何か違うものがそこにあるって感触が強かったんだ。まともに考えれば達也の意見が正しいけど、エレギオンHDには何かがあるって。

 ヒロコは丹念にデータの裏を出来るだけ調べてみた。調べても、調べてもはっきりしないのは同じだったけど、話自体は荒唐無稽だけど、ある時に思いついた事があったんだ。ある視線を加えると言うか、条件を加味して見れば全然違うものが見えて来るってね。

 お母ちゃんの実家に古いマンガが置いてあるんだ。『愛と悲しみの女神』って言うのだけど、子どもの頃に遊びに行った時に読んだことがあるのよ。あそこには不滅のエレギオンの女神の活躍が描かれてるんだ。

 このマンガだけど、実は完全なフィクションじゃないんだよね。カスミンが進学した考古学部エレギオン学科は、古代エレギオンを研究するところだけど、発掘調査で見つかった大叙事詩を基に描かれてるんだよね。

 だからマンガの原作になっている柴川元教授の本を図書館で借りて読んでみたんだ。マンガが原作に忠実に描かれているのは感心した。それだけじゃない、エレギオン学教室は三度にわたって古代エレギオンの発掘調査をしてるのだけど、マンガの舞台となった古代エレギオンの規模も発掘調査で確認されてるのもわかったんだ。

 そうだよ、あの三十メートルの大城壁が本当に実在していたし、メッサ橋だって大叙事詩の規模で作られていたんだよ。登場人物だってアングマール戦争の石碑が発見されて確認されてるもの。もっといえば決戦の地であるゲラスの野も、四座の女神が一撃で吹っ飛ばしたアングマール軍の本営の跡も見つかってるんだよ。

 つまりはマンガのモトネタの大叙事詩は作りものじゃなく、史実が基になってるし、その史実を忠実に大叙事詩にしてるのも、エレギオン学では常識になっているで良さそうなんだ。これはエレギオン学科の学生にも確認したんだ。

 とはいえ何千年も前の話。どんな関係があるかの手がかりは主人公のエレギオンの女神たち。大叙事詩ではエレギオンの女神たちは不老不死なんだ。不死は言い過ぎで肉体は死ぬのだけど、魂は他の人に移り歩いて永遠の生を保つとなってるんだよね。それで、それでだよ柴川元教授の本のあとがきにあるのだけど、

『エレギオンの女神は現代もなお生き続けている』

 こう書いてあるんだ。ヒロコには何かがつながりわかった気がした。

純情ラプソディ:第64話 早瀬の嫁

 さすがカスミン、頼りになると思ったけど、どうにも話に違和感があるのよね。カスミンがヒロコを騙してるわけじゃないだろうけど伏せようとしてるものがある。達也との結婚で本当に求められてるのはもしかして、

「だからヒロコは才能があり過ぎるのよ。夫婦は一つだけど二人でもあるってこと。役に立ってくれるのは一人でも十分という事だよ。そうだよ、ヒロコの思った通りで、月夜野社長が買ったのはヒロコだよ。ヒロコなら早瀬の総帥を十分に務められるってこと」

 でもヒロコは母子家庭の家の娘。達也の奥さんになれても早瀬グループを切り回すなんて到底無理だよ。そしたらカスミンは驚くような話をしてくれた。

「あははは、早瀬君も中学で家を出ちゃってるから、本当の早瀬の家の歴史を聞いていないのだろうね。まだ小学生だったから本当の話を聞かされていないとした方が良いかもしれない」

 本当の話ってなに? とにかく古臭い家だから、なにかの因縁話みたいなもの。なにかの祟りとか、呪いとか、

「まず早瀬の家に女系相続はない。そりゃ平安時代まで遡る古い家だから、一度もなかったかどうかは歴史の彼方だけど系図上では一度もないし近世以降は絶対ない」

 じゃあ、女系時代の話はなかったとか、

「女系時代はなかったけど、女傑時代はあった。そうだよ、力を揮ったのは早瀬の娘ではなく、早瀬の嫁だったんだ。それとだけど歴代の早瀬の嫁は、ほぼすべてだったらしいとするのがあの家の家系伝説さ」

 家の中は完全にかかあ天下で、亭主は完全に尻の下に敷かれていたって言うのよね。

「それは普通の早瀬の嫁レベル。もっと強烈なのが女傑だよ。なにしろ当主の言葉なんか誰も聞かなかったってぐらいとなってる」

 早瀬の家も戦国時代までは地方豪族として存続してたのは本当らしいけど、別世界の桃源郷に住んでいたわけではなく、戦乱にも幾度も巻き込まれてたんだって。簡単には早瀬の領地を狙って攻めてきたってこと。その時に早瀬一族の軍勢を率いて戦場を駆け回ったのも早瀬の嫁だって言うんだよ。とにかく周囲の豪族からは、

『早瀬の鬼御前』

 こう言われて恐れられていたらしい。ちなみに『おにごぜん』じゃなく『おにごぜ』って呼ぶらしい。それと率いると言っても指揮しているだけじゃなくて、先頭に立って戦っていたって言うから驚き。

「あのね、女だって男に負けなぐらいの戦士はいるよ。たとえば巴御前とかね。ジャンヌ・ダルクもそうじゃない」

 それはそうだけど、むちゃくちゃ強かったらしくて、早瀬の鬼御前が陣頭に立っただけで敵どころか味方も震え上がったって。とくに三好氏が攻め寄せて来た時には、

「三好の軍勢は三倍ぐらいだったらしいけど、馬上で杯をグッと煽って三好の軍勢を睨みつけ・・・」

 いきなり敵に向かって突撃したらしい。力自慢の大男でも扱えないような大薙刀というか、カスミンが言うには長巻と言うらしいけど、長い棒の先に刀を取り付けた武器を水車の様に振り回して、

「槍衾を作って防ごうとしても、槍の柄がバシバシ切り落とされ、次には首が一振りで三つも四つも飛んで行ったらしい」

 まさに鬼神の突進で三好軍は見る見る崩れ本陣まで乱入。そのまままの勢いで相手の大将の首を天高く吹っ飛ばしちゃった言うから怖いよ、怖すぎる。さらに逃げ惑う三好軍を徹底的に叩きのめし、執拗に追い回し、全滅に近いほどの大勝利を挙げたそう。

「その時の祟りとか、呪いとか」
「当時もそんな話が出たらしいよ。でも戦乱の世に生き抜くのに相手を殺すのは当然で、勝手に攻め寄せて来て、殺されたら逆恨みして祟るような怨霊など気にする必要もないクズって言い放ったってさ」

 ホントに女かよ、

「早瀬家の本家と分家の格差もそこから来てるよ。大きな家では親戚同士は外敵には味方でもあるけど、内輪では惣領の座を争うライバルでもある。ましてや嫁にとって親戚なんて赤の他人だからね」

 ドライだ。

「お家騒動の類型は兄弟なり、叔父甥の家督争いじゃない。その昔に当主の叔父が当主の弟を立てようとした事があったそうよ。怒った早瀬の嫁は敵対する親戚をなで斬りしたんだって」

 おっそろし。南北朝の頃の話だそうだけど、早瀬本家 VS 有力親戚連合軍みたいになったらしいんだ。この時にそれこそ敵対した一族連中を女子供まで徹底的に根絶やしにしてしまったらしい。なんとか生き残った親戚は使用人程度の扱いに落とし、その後の新家の扱いも同じにして今に至るだそう。

 時代が時代だし、そこまでやれたから早瀬の家は生き残れたんだと思うけど、そんな鬼嫁が代々続いたら、男尊女卑なんてどこの世界になって、女尊男卑になってもおかしくないよね。

「早瀬研究所から早瀬電機に成長させたのも嫁たち。レアアースの時も凄かった」

 早瀬電機の将来が先細りになるを見越した達也のひい婆様はレアアース事業に参入してる。ここまではオール・ジャパン体制だったから、バスに乗り遅れるな程度だけど、パイロット事業がとん挫した後に単独で事業を引き継ぐと表明したんだよ。

 これには社内どころか、メインバンクも、提携企業も大反対。無謀過ぎると誰もが見てたぐらい。そしたらひい婆様は反対する者のクビを飛ばしまくって恐怖体制、独裁体制を敷いてしまったんだって。

 現代だから逆らう者は皆殺しじゃないけど、まさにバッサリ状態だったらしい。もちろん敵も作ったはずだけど、そんなものはどこ吹く風でレアアース事業に突撃していったとなってる。

 レアアース事業はとにかく難航したから、ひい婆様の跡を継いだお婆様は金策に走り回り、相手をペテンにかけるように事業資金をかき集めたらしい。物凄い手腕だったらしいけど、結果としては天文学的な負債が雪だるまのように膨れ上がったのも事実だって。そうなったら夜も寝られない状態になりそうだけど、

「借金は大きくなると逆に立場が強くなる時もあるのよ。文句があるなら破産してやるぐらいかな。貸してる方は元も子もなくなるから、さらに追加融資を毟り取られるようにさせられるのよ」

 もちろん、そこまで開き直れる人間はごく一部らしいけど、お婆様は多額の負債があることを逆に脅迫材料に使って資金調達をやりまくったというからまさに女傑。しかしそれでも追いつかなるほどレアアース事業は大苦戦状態になり、

「エレギオンHDの小山前社長や、当時の副社長だった月夜野社長に直談判してあの巨額の融資を取り付けてるよ。ヒロコも聞いたことぐらいあると思うけど、小山前社長もタダ者じゃないでしょ」

 小山前社長と言えば氷の女帝。政財界のドンにして、世界のスーパーVIP。なにしろ並み居る大国の指導者を一睨みで押さえつけたと言う怪物みたいな人。そんな人を相手にバンバンやりやってたんだ。

 ここまでくると女傑だけじゃなくて猛女も加わってる気がする。そりゃ、女にもそんな凄いのがいるとは思うけど、どうしてそんなんばっかりが早瀬の嫁に。

「それが早瀬の家に伝わる能力とされてる。昔は政略結婚とまで行かなくても、親が嫁を決めてたのよ。完全な政略結婚なら決め打ちで否応なしだけど、ある程度の選択もあったんだ」

 当人は蚊帳の外だろうけど当時でも縁談があっての結婚話だものね。そこで選んだのが悉く鬼嫁。これも早瀬の家の風習としか言いようがないけど、それだけ嫁が強いのに選ぶのは男だって。つまり当時ならお父様。

 それと鬼姑と鬼嫁の組み合わせになれば、それこそ血を見る嫁姑戦争が起こりそうなものだけど、殆どなかったって言うから奇怪だ。逆に親子じゃないかと思うほど仲睦まじかった話もあったぐらいだって。

「とにかく伝説の世界だから真相は不明だけど、嫁姑戦争って家の台所、つまり家の内輪というか家庭の主導権の争奪戦の側面があるけど、早瀬の家の場合は争うものが違うからかも」

 ここもわかりにくいけど、普通の家では当主がいた上で家の女の世界の覇権争いが嫁姑戦争みたいなものかもしれない。しかし早瀬の家では表向きこそ男系相続だけど、実態は嫁から嫁に実権が受け継がれてるで良さそう。だから感覚としては父親と惣領息子との関係に近かったのかも、

「その見方で良いかもしれない。嫁姑戦争で家が滅ぶリスクは低いけど、親子で争えば国が亡ぶからね」

 でもさぁ、でもさぁ、

「達也のお母さんもそうだったのですか?」
「それはわからないよ。たった三年で亡くなってるからね。でも後妻を見る限り例外で良さそう」

 早瀬に鬼嫁が多かったのはそうみたいだけど、そうでない時もあったらしい。男が実質で当主やって嫁は普通ぐらいの関係。その時は何故か当主はまともと言うか、それなりに優秀で厳つい人物なんだそう。言われてみればお父様はそんな感じだった。

「多田行綱もそうだったらしいけど、真相は不明だよ」

 この例外も問題はあったそうで、お父様は無難に早瀬グループを受け継いでるけど、行綱は摂津源氏本家を滅亡させたようなものだし、関ヶ原の時の当主も西軍に加担し領地を没収され、お家復興をかけて大坂城に籠ったかららしい。だから早瀬の家は関が原から大坂夏の陣の時に一度滅んだようなものだって。

「その後の早瀬家は?」
「北摂大観って本に書き残されてるけど・・・」

 早瀬の当主は大坂夏の陣で討ち死にしてるけど、生き残った息子がいたんだよ。その嫁は武家としての復活を目指さず帰農したとなってる。最初は普通の百姓だったらしいけど、歴代の嫁の努力で大地主になり庄屋にまでなってる。

 家は栄えて大地主であるだけでなく、酒造業にも手を広げ、その富は長者として京大坂にも鳴り響き、大名にも多額のカネを貸して、参勤交代の時に殿様がわざわざ挨拶に立ち寄ったぐらいだそう。

「じゃあ、例外以外の息子は?」

 優男ではあったらしいけど、能力的にはイマイチで、武家の当主としては物足りな過ぎるぐらいだそう。カスミンが言うには、そうなっているのは偶然なのかトレードオフなのかは不明としてたけど、

「でも達也のお父様は政略結婚ですし、選んだのはお爺様では」
「政略結婚? 形の上ではそうなってるけど、あれは女の方が惚れまくって、迫りまくって、押しかけ女房同然だよ」

 これも例外の時はいつもうそうなってるらしい。だったら達也と言うか、早瀬の男の持つ能力とは、

「鬼嫁を的確に選び惚れる能力さ。結婚したら嫁の尻に敷かれまくって影薄い存在ぐらいになるぐらい」

 なんちゅうこと。ヒロコもそんな女傑だとか猛女だから達也は魅かれたなんて。いやだヒロコもそんな鬼嫁になっちゃうの。ヒロコがなりたいのは純情な可愛い奥様だよ。

「そこもどうなるかはわからない。早瀬家の男の能力が続いているのか、もう途切れたのか。はたまた早瀬君が例外で普通の嫁なのか」

 例外の場合はヒロコが惚れまくって達也に迫っているはず。達也との関係は逆だし、達也はお父様と違って厳ついタイプじゃなく優男。

「カスミも知ってるけど、早瀬君は優しすぎるね。頭は悪くないし、働き者だけど、甘さがあり過ぎるよ」

 やはりヒロコは鬼嫁になる宿命だとか。それ以外にあり得ないじゃない。それにしても、そんな事までカスミンはどうして、

「カスミもヒロコが、こんな運命に巻き込まれるのは計算外だった。でも乗りかかった船だから協力してあげる」
「カスミン、あなたは何者なの!」

 カスミンは慈しむような眼差しで、

「ヒロコの友達よ。今はそれ以上は知らない方がイイ。でもこの先で必ず会うことになる。その時になればヒロコの知りたいことが、だいたいわかるから楽しみにしておいてね。なにも心配すること無いから」