純情ラプソディ:第5話 札押し

 決まり字を把握するのは戦略だけど、この戦略に基づいて取りに行くのが戦術かな。まず基本中の基本は札の配置を覚える事。

「とりあえず自分の持ち札を記憶していないと始まらない」

 とはいえ二十五枚もあるから容易じゃない。だから札の種類による並べ方の基本を教えてもらった。

「自分の定位置を決めておくのだよ」

 あくまでもたとえばだけど、、「あきの」は右下段、「はるす」は左中段、「あし」も左中段みたいな感じ。どんな持ち札が来るかはわからないにしろ、まずグループで定位置を決めておいて少しでも早く覚えようぐらい。ここも自分流儀が出る方が良いとも言ってた。全員が同じ流儀の定位置なら、

「相手に自陣の配置を覚えられやすくなるじゃないか」

 トップレベルになると定位置さえ試合ごとに変えていく猛者までいるそう。これは少しでも相手に札の配置の記憶を遅らせるためらしい。さらに猛者になると、定位置さえ使わず並べただけで札の位置を覚えてしまうのもいると聞いて腰抜かしたぐらい。

 競技カルタでは札を並べ終わると記憶時間が始まるのだけど、ここは大雑把に札を並べている時間で自陣の配置を覚え、記憶時間で相手陣の札の配置を記憶するぐらい。もちろん札を並べている間でも相手陣を見れるから、少しでも早く自陣の配置を覚えるほど試合は有利になる。

 そう、競技カルタは札を並べ始めた時から競技はスタートしてるってこと。記憶時間は十五分だけど、この間に相手陣の札を少しでも早く覚えなきゃならない。もちろん、これは競技が始まってからも同じで、ひたすら札の配置を覚えまくるのが戦術の基本。


 札の配置を覚える事で決まり字と札が結びつくのがわかってもらえると思う。競技カルタは決まり字で出札を特定してらおもむろに出札を探すのでなく、記憶した札の位置に最短時間で触れる競技と思ったら良いよ。

「その通りだが、そこで考えるのではなく、反応として動けるほど上級者だ」

 その通りなのはわかるけど、そこまで行くのは大変なんてものじゃなかった。さて、決まり字の把握と、札の配置を記憶することで取りに行ける。そうなると次は取り方になるけど、その前に陣の説明をしておく。

 陣とは自分の持ち札を並べたところだけど、これも並べ方のルールがある。まず陣の大きさだけど、幅が八十七センチで、縦はカルタを三段に並べ、段の間は1センチ、相手陣との間は3センチと決まってるんだよね。とくに幅なんて中途半端と思ったけど。

「畳の上の競技だからだよ。幅は畳の幅、段の間隔は畳目だよ。規則でも正確にミリ単位の厳守を求めてなくて、畳目を基準にしてOKとなっている」

 持ち札はどうならべても自由だけど、基本は真ん中を空けて左右に分けるように並べるかな。そうなっているのは取り方に関連してくるけど、真ん中に札があると取りにくいとか、取りに行くときに引っかかりやすくて怪我しやすいとか、お手付きが発生しやすいとかあるとなってた。

 もちろん真ん中に札を置く人もいる。札の配置は、相手に断れば変更は可能になってるんだ。もちろん多くの札を変えたり、何回も変えるのはマナー違反で、現実的に使えるのは終盤戦に一回ぐらいかな。

 その時にあえて真ん中に札を置いて、相手の動揺誘うのもあるそう。ヒロコは見たこと無いけど、上級者には奇策として使う人もいるぐらいで良さそう。

 さてだけど、札が並べ終わると、左右の上中下三段の札があるのだけど、この四隅を結ぶ線を競技線と呼ぶのよね。そう、この競技線の内側を陣と呼ぶことになる。自陣と相手陣が3センチ間隔を置いて正対している格好だよ。


 もう一つ競技カルタで重要なルールがある。それはお手付き。いろはカルタでも間違った札を触れるとお手付きになるけど、競技カルタのお手付きは、かなりというか、相当違うものになる。

 詠まれる上の句が出札であるかどうかでお手付きが変わるのが競技カルタ。出札は当たり前だけど、自陣か敵陣にあるのだけど、お手付きが発生するのは、出札がない陣の札を触った時なんだ。つまり、出札がある陣内では、出札以外の札を触ってもお手付きにならないのが競技カルタなんだ。

 ちなみに空札の場合はどうなるかだけど、この場合は出札が存在しないから、どの札に触れてもお手付きになる。お手付きになると送り札をもらわないといけなくなるけど、空札の時に自陣と、相手陣の両方の札に触れようものなら、送り札を二枚もらう羽目になる。

 お手付きが発生するシチュエーションはいくつかあるけど、上段の札を争った時には注意かな。相手陣との距離が近いから、少しずれるとお手付きが発生しやすくなるのよね。他にも色々あるけど、言い出したらキリが無いから追々と機会があれば説明する。


 さて札を取る基本は相手より先に出札に触ることだけど、競技カルタでは札に触れる以外の取りもあるんだよ。恥ずかしながらヒロコも石村先生に教えられて初めて知ったようなものだけど、直接札に触れなくとも、出札を競技線外に押し出せば取りになるんだ。

 どういう事かと言えば、たとえば中段右側に四枚の札があり、その右から二番目が出札だったとする。この時に、一番左側の札から四枚まとめて競技線外に押し出しても取りになるんだ。

 競技線による陣やお手付きルールを先に説明したのは、この取り方のためで、これをカルタでは札押しと呼ぶんだ。出札が陣内にあるからお手付きが発生しないのがわかってもらえると思う。

 札押しが認められた経緯は古すぎて石村先生も良く知らないとしてた。だからたぶんだけど、とにかく競技カルタは猛烈なスピードで札に手が伸びて行くじゃない。出札に触れようが触れまいが、その勢いのまま札は吹っ飛ばされるのよね。

 その時に札に触れていたかどうかの判定は微妙になることもあると思う。だから触れようが、触れまいが取りにしたんじゃないかと思ってる。もちろん札押しにも取りのルールはあって、札が競技線外に押し出されているのはもちろんだけど、両者が同時に競ったら、

・より出札に近い方が取りとする
・距離も同じであれば、出札がある陣の取りとする

 細かそうだけど、実際に競技をやっていればわかるんだよね。これは取れたとか、取られたとかね。ごくシンプルには相手の手より内側になったら明らかに遅れてるのは丸わかり。

 この札押しにより取りが認められているから、競技カルタ特有の派手に札が吹っ飛ぶ光景が可能になるのはわかってもらえるかと思う。上級者になるほど物凄いスピードで札を狙って手が伸びて行くし、そこで手が交錯することある。

 それだけじゃなく、札を吹っ飛ばす時に微妙に札が絡んだりもある。そうなった時に突き指をするぐらいはヒロコでも経験したし、下手すれば骨折もあるのが競技カルタ。百人一首を使う雅な遊びにも思われたりするけど、実際の競技はとにかくシビアなスピード勝負なんだ。

純情ラプソディ:第4話 決まり字

 石村先生にはそれこそ競技カルタのイロハから教えてもらったようなもの。それぐらい明文館競技カルタ部のレベルは低かったんだよ。なんとなく先輩のやり方を見て覚えたんだけど、その先輩もさらに先輩のを見ただけで、まともに競技カルタを知っている人がいないままで何世代過ごしていたかわからないぐらい。

 その気になればネットにいくらでも情報は転がっていたはずなのに、それも見ていなかったし、見ても、

「あんなのは超が付く上級者用」

 こうしてたぐらいで良いと思う。というか難しすぎて手を出す気もしなかったのが真相かな。そんな連中を率いた石村先生はエライと今ならよくわかるもの。ヒロコが顧問だったらサジ投げると思う。


 百人一首かるたの基本は、上の句から下の句の札を探し当てるゲームだけど石村先生曰く、だからカルタは普及しないって言っていた。百人一首かるたが成立した頃は、百人一首を基礎教養どころか常識として知っていたとしてた。

「そんなに難しく考えなくとも、君たちだってアニメ・キャラなら良く覚えているだろう。キャラの特徴から、それが誰かを当てる遊びみたいなものだよ」

 なるほど、そういうことか。でもいくら昔だって、百人一首を常識みたいに覚えている人はそんなにいたのかな。

「良い質問だ。カルタの起源は平安時代の貝合わせが源流とされている。もっとも本来の貝合わせは貝の模様から一対の貝を見つけるものであったんだよ。やがてその貝に歌や絵を描くようになり、これが歌貝と言って、一方に上の句、もう一方に下の句の歌を書き、これを探す遊びになった。これが札に置き換わったのがカルタで良いだろう」

 さすがに歴史は古いな。

「だが成立を見ればわかるように貴族階級の遊びだ。武家でさえ江戸期の泰平の時代になって奥方様の遊びになったぐらいで良いと思う」

 うむうむ、この時に何故かとしか言いようがないけど、使われる和歌は小倉百人一首になったらしい。カルタ遊びは江戸時代に徐々に庶民の遊びとして普及したとなっているらしいけど、お正月遊びの定番となったのは安政の頃というから幕末、ペリーによる黒船騒ぎが有名だけど、

「だが庶民と言っても富裕層に限られるとして良いだろう。江戸時代の識字率は世界的に見ても飛びぬけているが、それでも百人一首を暗記している人は、どうしても限られるだろうからな」

 これは今でも同じ。和歌なんか古文で暗記させられるだけだもんね。

「それと競技カルタになると、百人一首を覚えているのは前提だが、それだけじゃ試合にならないのはわかっただろ」

 百人一首カルタの基本は、読み上げれた上の句から下の句を書いてある札を探し出すゲームだけど、競技カルタとなるとかなり変わってくる。まず百枚の札をシャッフルして競技者がそれぞれ二十五枚ずつ取る。これを持ち札と言うのだけど、自分の持ち札が早くなくなった方が勝ちとなってる。持ち札を減らすには、

・自分の持ち札を取る
・相手の持ち札を取る

 自分の持ち札を取れば一枚無くなり、相手の持ち札を取れば、送り札と言って自分の持ち札から相手に一枚渡すことができる。ここまでは単純なんだけど、競技カルタのキモはいかに上の句から下の句の札を早く探し当てるかなんだよね。

 そのために石村先生が教えてくれたのが決まり字。ヒロコたちは決まり字の存在さえ曖昧にしか知らなかったレベルだった。決まり字とは上の句から下の句を決定できる文字の事。上の句の出だしから、何文字かで下の句の札が特定できるんだよね。

 石村先生に教えてもらったのは決まり字の細かい分類。決まり字と言っても、最初の一文字で特定できる一枚札から、二枚に絞れる二枚札、さらに三枚札、四枚札・・・多いのになると十六枚札まである。

 決まり字が出るまでの文字数も早いのが殆どで、三文字以内に出るのが八十六枚もある。だから歌が詠み始められると耳をダンボにして下の句を考えなきゃならないのが競技カルタだって。

 イメージとして一文字目を聞いた時に、それが何枚札になるのか即座に判断し、一枚札なら取りに行くぐらい。一枚札でなければ、どこに出札があるかを素早く探すぐらいかな。そして二文字目以降の決まり字が出たら取りに走って行くぐらいの感じ。

 決まり字は出札を決定するキーだけど、決まり字が出る前に取り行ったらいけないのもルール。いちかばちかのフライング禁止で良いと思う。決まり字を覚えるのも半端じゃない手間がかかるけど、本当に難しいのはこれから。

 と言うのも決まり字は移動するのだよ。わかりやすい例をあげると二枚札があるじゃない。二枚札の決まり字はすべて二文字目にあるのだけど、既に一枚がなくなっていたら、決まり字は二文字目でなく一文字目に繰り上がるってこと。

 決まり字が出るのが一番遅いのは大山札って言って、第一句じゃ決まり字が出ず、第二句の一文字目が決まり字になってるんだ。これが三種六枚、つまり二枚ずつペアになってるけど、これですら一枚が出てしまうと決まり字が二文字目や一文字目に繰り上がってしまうんだよね。

「カルタは戦略性と戦術性が高度に要求されるゲームだ」

 出札を探すには、いかに決まり字に素早く反応するのがすべてなんだけど、詠まれる歌の決まり字が、その時点で何文字目の何になっているかを常に把握していないと勝負にならないのは実戦で教え込まれたものね。

 だってヒロコたちがやっていたカルタなんて、上の句の第一句から下の句の札をおもむろに探そうとしていたレベルだったもの。だから高校かるた選手権のE級でも蹴散らされたんだよ。本気で勝って全国を目指したいなら、

「常にすべての札の決まり字が、どうなっているかの情報を頭にインプットして計算しておかないとならない」

 この決まり字の記憶が煩雑になっているのが、出札として使われるのが半分の五十枚しかないこと。残りは空札と言って、詠まれるけど出札に無いものになってるのよね。とにかく半分も空札があるから、決まり字の位置づけを覚えるのも容易じゃない。

 この上で歌が詠み進むにつれて決まり字は変動していくのだけど、その変動について行かないと勝負としては圧倒的に不利になるのは丸わかり。石村先生に言わせると持ち札はすべて開示されているから空札の歌は競技開始の時点で上級者ならすべて把握しているって。

「そうだな。頭の中に空札、出札がすべて整理されて、出札になる札の決まり字の位置も浮かんでいるぐらいだ。その状態から歌が進むにつれての変化を修正しているよ」

 それもだよ、考えるようなら遅すぎるって。考えるまでもなく頭に自然に浮かび把握していないと勝負にならないとしてた。実際に石村先生と稽古試合をすると、その反応の速さに全然ついていけなかったもの。ヒロコがあれだと思った頃には、もう取られちゃってる感じ。

「覚えなきゃ始まらないけど、覚えたら終わりじゃない。それが頭に刻み込まれないと競技カルタにはならないよ」

 石村先生が言う基礎とは札のすべてを頭に刻み込むレベルとして良さそうだった。こんなもの一朝一夕に出来るものじゃなく、

「英単語や英熟語、慣用句みたいなみたいなものが試験ですぐに思いつくレベルじゃ足りなくて、ネイティブと会話できるぐらいになるぐらいと思えば良い」

 それがどれだけ大変な事か。それに石村先生流はあくまでも覚えたいなら教えてあげるスタンスなんだよね。やる気の無い者を切り捨てると言うより、やる気のある者だけ導くスタイル。でも本当にやる気がないと使いこなせる代物でないのも良く判った。

純情ラプソディ:第3話 明文館高校競技カルタ部

 明文館は里崎先生が言った通りにまさにワンダーランドだった。間違いなく高校だし、それも県立の旧制中学以来の伝統校のはずだけど、こんな学校が存在するのが冗談みたいなところなんだ。

 どう言えば良いかわからないけど、学校に通ってると言うより、USJとかディズニーランドに行ってる感じがする。当たり前だけどアトラクションやライドがあるはずもないけど、毎日なにかサプライズが起こりそうなお祭り気分の浮かれた雰囲気なんだよ。

 ヒロコも慣れちゃったけど、ちょっと可愛い子とか、イケメンがいればファン・クラブが結成され、休み時間になると追っかけが始まるんだ。男女交際だって学校新聞が追いかけまわして、それを誰もが読んで知っていて話題にしているのだもの。

 学校新聞なんて年に一回ぐらいのところが多いはずだけど、毎週のように発行されるし、内容だって高校生が出すものとは信じられない代物。ありゃ完全に芸能週刊誌だよ。それを生徒だけじゃなく、教師もOB・OGも楽しみにしている高校がこの世に存在する方がおかしいじゃない。

 そんな学校だから文化祭とか体育祭になると、それこその狂乱の世界。そりゃ、市の名物行事の一つになっていて、校外からの観客が押し寄せてくるんだもの。一年の時なんかドギモを抜かれまくったよ。

 生徒もそんな浮かれ騒ぎへのノリの良さを競い合ってる校風で、変わった奴がいてもイジメの対象になるのじゃなくて『おもろい奴』とされちゃうんだ。なんでも楽しみにして、笑って遊ぶのに熱中している変な学校。

 だからと言って勉強がおろそかにされている訳じゃない。だって明文館と言えば県下でも指折りの進学校だもの。その秘密もすぐにわかった。とにかく成績評価がムチャクチャ厳しくてドライ。なんてったって五教科の定期試験の平均点しか見てくれないんだよ。

 平常点とかはまずゼロだし、追試も無いか、あってもサディストのように難しい代物。だから、少しでもさぼると情け容赦なく留年させられるんだ。毎年必ず留年者は出るし、ヒロコのクラスにもいた。伝説では一クラス規模の留年者が出たこともあったそう。

 明文館は浮かれ騒ぎへの許容度は底無しじゃないかと思うほど広いけど、その代わりに死ぬほどの勉強が必要とされるぐらい。どこが変かって、普通は浮かれ騒ぎが勉強の邪魔になるから規制するけど、明文館が求めるものは校是では自由闊達だけど、平たく言うと、

『よく遊び、よく学べ』

 よく言えば遊びと勉強の両立を求め、それが出来ない者は容赦なくふるい落とす方針。極限まで自主性を重んじてるぐらいかもしれない。だから明文館で生き残るには、浮かれモードと勉強モードをパチンと切り替えられる事が求められると言うか、出来ない者は留年の憂き目を見る事になる。ヒロコも二年への進級の時に冷や汗かきまくったから、二年からは必死で勉強してたもの。


 ヒロコも高校で部活に入ったんだ。家の手伝いもあるからお母ちゃんに言い出しにくかったけど認めてくれた。入ったのは競技カルタ部。マイナーな競技だけど魅かれた感じかな。おカネもあんまりかかりそうになかったからね。

 競技カルタだけど、二十世紀の初めにコミックスや映画の影響でちょっとしたブームが起こった時代があったそう。その頃で全国に四百校ぐらい競技カルタ部があったらしいけど、今はそれから減って行って三百校ぐらいみたい。

 明文館高校の競技カルタ部は意外だけどカルタ・ブームに便乗して出来たものじゃない。でも便乗は便乗と言うか、ホントに現金な理由で出来たのよね。ちゃんと部史に書かれているからウソじゃないと思う。

 高校カルタの頂点を競うのは全国高校かるた選手権大会。この第一回大会は一九七九年に開催されてるの。その時の参加校はわずかに八校だったんだ。これは全国に八校しかカルタ部がなかったとも言われてるけど、現実的には大会を開くにあたり連絡がついて大会に参加できたのが八校しかなかったとするのが正しいみたい。ネットもない大昔の話だからね。

 近江神宮で開かれたのだけど、この時にうちの生徒が見に行ってるのよ。これも選手権大会を見に行ったのではなく、親戚の家に遊びに行って、タマタマ近江神宮を参拝したからとなってる。

 そこで競技カルタに興味を持ったのだけど、これも競技カルタに魅力を感じたのではなく、参加校数の少なさに注目したんだって。今だって多いと言えないけど、競技カルタ部なんてある学校は珍しいじゃない。

 だから作りさえすれば全国大会出場はラクラクみたいな目論見で良さそう。この時にラッキーだったのは教師の中に競技カルタ経験者がいて顧問になってくれたこと。普通の学校なら新しい部活どころか同好会を作るのも面倒なところはあるけど、そこは明文館であっさり同好会が出来たとなってる。

 高校かるた選手権も代表校集めに苦労してた時期だから、参加したいと表明したらあっさり認めれたんだって。そうそう、やはり県内には他にカルタ部はなくて、そのまま第二回大会に出場。マイナーでも全国大会出場の実績が認められて、この時に部活に昇格したとなってる。

 その後も実績だけは目覚ましくて第二十回大会までに計十四回の全国出場を果たしてるんだ。これは県内に競技カルタ部が明文館しかなかったからで、出場できなかった五回は部員不足だっただけ。

 まあ助っ人を頼むにも百人一首なんて坊主めくりさえした事もある人が少なく、ましてや競技カルタなんて、

『あの札を吹っ飛ばすやつ』

 これぐらいでも知っていれば上等の世界だからね。そのためだけじゃないけど、実力はあれだけ出て全国大会では一勝も出来ず、第二十一回大会に二校目の新たな県内予選参加校が現れてからは全国は遠くなって今に至るぐらいかな。

 この辺は明文館のカルタ部は弱かったけど、県全体でも競技カルタは盛んじゃないのも大きいのよね。明文館に代わって出場した高校も最高成績はベスト・エイトがわずかに三回だけ。

 今の全国大会は参加校も増えて予選グループ・システムだから、ここを突破したことはなかったはず。そうそうベスト・エイトと言っても、その頃は全国代表が十六校時代だから、一つ勝っただけってこと。


 とにかく部員不足だからヒロコも入部したら即レギュラー。即もクソも三年ぶりに部員が五人そろい団体戦に出場できたぐらい。出てどうだったかって、そんなもの百人一首もロクロク覚えていないヒロコは完封負けだった。

 でもあの完封負けでちょっと火が着いたかな。そりゃ、目の前でバンバン札が飛ばされているのを見せつけられたからね。そこから真剣に練習したよ。さらなる転機が高二の時に訪れた。

 競技カルタ部にも顧問の先生がいたけど、完全に名前だけの先生だったんだ。いくら教師でも経験者なんてそうはいないもの。ところが顧問の先生が転勤になって、入れ替わりに来られた先生がなんと大学でも活躍してた競技カルタのバリバリの経験者。石村先生っていうのだけど新たな顧問に就任してくれた。

 練習にも来てくれてヒロコも試合をしたけど、それこそ段違いの腕前で全員コテンパンにされちゃった。ちなみにだけど石村先生は優男で、物腰も柔らかいし、口振りも丁寧。ヒロコたちに圧勝しても、

「なるほど・・・」

 これぐらいの反応で、なんていうかやる気のなさそうな感じだったのよ。今から思えばバカにしてたか、呆れかえっていたと思うぐらい。それでどうしたいって聞かれたから、

「全国に行きたい!」

 なんか異な事を聞くって感じの表情だったけど、

「本気か?」

 どうにも間の抜けた返答をされちゃった。でも本気だって答えたら、

「カルタも楽しむぐらいが良いと思うけどな・・・」

 それから相変わらずやる気のなさそうな態度だったけど、それでも毎日練習には顔を出してくれたんだ。それで、カルタの戦略や戦術を、それこそイチから噛んで含めるように教えてくれた。

 そうなんだよ、当時の競技カルタ部のレベルってそんなものだったんだ。ルールだってエエ加減にしか覚えていなかったものね。そりゃ、歴代の顧問でカルタ経験者は数えるほど。近所にカルタなんてやっている人なんていなかったし。

「とりあえず二年生で五人そろえられないかな」

 こう言われて必死で五人そろえた。石村先生が言うには全国の夢が見たいなら今年は無理だって。だから来年までの計画で育てたいって。高二の県予選は試合らしきものになったけどやはり完敗。

「気分だけでも味わいに行こうか」

 こう言われて連れて行ってもらったのが近江神宮。高校かるた選手権には県予選まである団体戦とは別に個人戦があるのよね。これがちょっと変わっていて、高校生であれば誰でも出場できるってもの。

 参加できないのは団体戦の全国大会代表選手のレギュラー。団体戦は五人で戦うけど、三人まで補欠が認められてるからだそう。ヒロコも競技カルテ部所属だから参加資格があったんだ。でも結果は惨敗。誰も勝てなかった。

「E級でもあれぐらいだよ。付いて来れるなら協力する」

 石村先生は、こういう時に良く出てくる熱血型じゃなかった。とにかく褒めるし、怒った姿なんか見たことも無く、いつもニコニコ笑っているだけだった。トレーニングも、

「来週までに、これぐらいはマスターしようね」

 でも、でも、途轍もなく厳しかったと思う。石村先生の示した課題も最初は簡単だったけど、段々に難しくなったのよね。ある時にマスターしきれなかったんだけど、

「じゃあ、坊主めくりでもやろうか」

 ホントにその日は坊主めくりやったんだよ。それも日が暮れるまでずっとだよ。これで嫌でもわからされた。石村先生は付いて来る者しか教える気はないのだって。そりゃ、たったの二年足らずで、いくらカルタでも素人同然のメンバーが全国に行くのは無謀に近いじゃない。

 そのためには猛練習が必要なんだけど、猛練習は本人がその気がないと出来ないと割り切りきっていたとしか思えなかった。それこそ明文館の方針通りで、やる気が無いものは置き去りにするそのものだって、

 これも今ならわかるけど、石村先生はかなり綿密にトレーニング計画を立てておられたはず。態度とは裏腹に顧問として部員の希望を叶えようとしてたんだと。それがわかった瞬間に石村先生に付いて行きさえすれば全国が見えるって思い込んだもの。

 ヒロコたちは頑張った。石村先生の示すメニューを死に物狂いで身に着けた。そりゃ、やらないと見捨てられ、坊主めくりされられるだけだもの。成果は徐々に現れていったんだ。まるで歯が立たなかった石村先生とも試合らしきものになってきたもの。だから勢い込んで聞いたんだ、

「これなら県予選を勝てますよね」

 石村先生は苦笑いだけして、

「ここまではカルタの基礎だよ。普通はここから始まるぐらい。念のために聞くけど、本気で全国に行きたいの」

 そりゃもう、部員全員で頼み込んだよ、

「うちの県予選のレベルは高くないけど、それでもまだ距離あるよ。それで良ければ教えてあげる。これでも顧問だからね」

 そこから先は確かにハードだった。

純情ラプソディ:第2話 里崎先生

 担任の里崎先生は変わり者。言葉遣いはぶっきら棒だし、髪はボサボサで服装はいつも空色の小汚いジャージ。近づくとなんか変な匂いがして、見るからに不潔って感じがプンプンしてた。英語の先生だったけどあだ名は、

『なげやりの里崎』

 ホントにやる気が無くて、見るからに嫌そうに、面倒くさそうに、雑でおざなりの授業しかやらないのよね。たまに質問されたって、

『そんなものは塾に行って聞いてこい』

 おいおいって感じの先生。そんなに嫌なら教師なんかやらなければ良いのにと思うぐらい。だから、はっきり言わなくても嫌われ者だし、嫌われ者になっているのを屁とも思っていないし、むしろ生徒に嫌われたいとしか思えない気がしてた。

 そんなキャラの教師がある日突然、クラスのイジメを快刀乱麻に解決してしまうマンガやドラマはよくあるパターンだけど、ヒロコがイジメられてても気にもしないんだもの。それこそ見て見ぬふりで、どっかに行っちゃうものね。その辺は、他の先生も同じだったから里崎先生が格別に冷たかった訳じゃないけどね。


 それでもある日突然は起こった。なぜかヒロコが放課後に職員室に呼び出されたんだ。なにか説教でもされるのかと思って行ったんだけど、ヒロコが着くなり、

「今から家庭訪問をする」

 でもさぁ、いきなり家庭訪問って言われたって、お母ちゃんも仕事でいないんだよね。もちろん、そう言ったけど気にもせずに里崎先生はヒロコの家に。無遠慮にズカズカと家に上がり込んだ里崎先生は、

「高校で逃げろ。目指すは明文館だ」

 明文館はこの辺のナンバー・ワン高校。そんじゃそこらで入れる高校じゃなかった。だってだよ、こんな田舎の高校なのに、わざわざ神戸から引っ越してきて越境入学を狙うのもいるぐらい。

 だから県立高では最難関かな。県内には灘とか白陵とかあるから一番じゃないけど、とにかくそれぐらいの高校。だから目指している連中は進学塾に小学校から通ってる感じ。ヒロコの家に塾なんか行かせてもらう余裕はなかったもの。

 それ以前にヒロコの成績もボロボロでテール・エンドの落ちこぼれ。だって学校じゃイジメに怯えてるだけだし、家に帰っても家事の手伝いで精いっぱい。家に帰ったら買い物して、ご飯作ってで、洗濯も、掃除もヒロコの仕事だったもの。

「ヒロコの成績で明文館なんて」
「たかが高校入試だ。二年もあれば余裕だ」

 言われても冗談を言ってるのか、新手のイジメかぐらいにしか感じなかったもの。

「だから、たかが高校入試だ」

 それから里崎先生がやり始めたのは、驚くけど勉強の手伝い。教師だから勉強を教えるのは仕事だけど、連日家まで来て教えてくれた。日曜とか、休みの日とかになると朝から夕までビッシリだった。専属の家庭教師でも、ここまでしないと思うよ。

 補習と言うか、家庭教師みたいなものが始まるとヒロコは驚いた。そこには『なげやりの里崎』はいなかった。熱心過ぎる教育者の里崎先生がいたんだよ。学校とのあまりのギャップになかなか慣れなかったもの。

 教え方も学校とは全然違ったもの。ヒロコは英語が大の苦手で、そのうえ里崎先生だったから完全過ぎる落ちこぼれ。英語って日本語とは違うのはわかるとして、その違いを説明するはずの文法用語が完全にチンプンカンプン。

 ヒロコにとって英語は謎の文字とか、正体不明の古代文字とか、暗号みたいなものだった。そんなヒロコに里崎先生は学校とはまったく別のやり方で教えてくれた。日本語と英語の根本的な違いとか、その違いをどうやって理解して英語を考え、学んで行けば良いからだったんだ。

「文法なんて小難しい用語を使うからわからなくなるのだ。こんなものは・・・」

 時に英語の原型に戻り、日本語と巧みに対比させ、

「英語は位置言語だよ。文法の基礎は主語の次に動詞が来るだけをまず覚えろ」
「でも五文型とか・・・」
「あんなものは自然にくっ付くものだ」

 英語の理解で重要なのは時間と距離だってビッシリ教え込まれた。

「あのなぁ、日本語の方が英語より百倍も千倍も難しい言葉だ。それを話せているのだから英語なんかアホみたいに簡単だ」

 ヒロコにとって謎の呪文のような完了形も、

「完了形って言うからわからなくなる。こんなものは日本語にだってある。日本語の場合は過去形も完了形も・・・」

 ヒロコからしたら目から鱗状態だった。これは英語だけでなく他の教科もそうだった。あらゆる教科をそれこそ小学校から見直し、ホントに一から効率的に叩き込んでくれていった。でも里崎先生がいくら頑張ってもテール・エンドのヒロコの試験の点がすぐに良くなるわけじゃない。そう思ってたら、

「中間試験の予想問題だ。これだけ覚えていけ」

 そんなもの当たるのかと思ってたら、そのまま出てきた。これって、

「今回は時間が無かったから裏技を使った。高校入試には内申点もあるからな」

 そう、他の教師から試験問題を盗んでいたんだ。まったくトンデモない先生だよ。でもね、実力はメキメキ上がって行き、期末試験では実力でちゃんと点が取れるようになっていたし、二学期が終わるころには学年のトップクラスになっていた。


 成績がトップクラスになるとイジメも減った気がする。イジメが起こる原因にカースト制はあるけど、中学になるとそれとは別にヒエラルキーが出てくる気がする。カーストもヒエラルキーも序列を付けるものだけど、カーストは生まれつきの身分で、ヒエラルキーは自分が勝ち得た地位ぐらいの差かな。

 今となって思う事だけど、小学校まではとにかくみんな平等なのよね。勉強にしろ、運動にしろ差を付けないのが建前の感じ。だからイジメのターゲットはカーストの下のみ狙われると感じてる。

 でも中学になると平等の建前は消えていくのよね。そう高校受験が重くなる。高校受験はモロ競争。成績優秀者が上位校に進み、劣等生は入れる高校を必死に探し回るぐらいの差が必然的に生じるものね。

 そこには、もう小学校のみんな平等の建前は欠片もなく優勝劣敗の世界のみ。成績によるヒエラルキーが新たに誕生してしまうで良いと思う。誰だって良い高校に進みたいし、良い高校に進まないと良い大学に進めないし、良い就職が出来ないぐらいの図式かな。

 この図式も極端だけど、高校進学で最初の人生の振り分けが行われるのは誰もが感じてた。ここも田舎であるが故があって、明文館はバリバリの進学校だけど、都会と違って二番手校との落差が大きいんだよ。

 明文館に入れなかったら有名大学への進学は、ほぼ絶望みたいな感じ。ここも言い過ぎだけど、そうだとヒロコたち中学生も、親も誰もが考えてた。もっとシンプルに言えば明文館に入学できれば田舎なりのエリート・コースぐらいに思えば良い。逆に言えば、明文館に入れない連中は、ここで切り捨てられてしまう感じかな。

 だから明文館に合格できそうな連中は、この時点で他の生徒と別格扱いにされる側面はあったのよ。いわゆるヒエラルキーの頂点に君臨する感じかな。教師ですらそうなるのが笑っちゃうよ。

 この感覚は成績優秀者が上から見下ろすと言うより、成績劣等者が下から卑下してる感じなのよね。卑下と言うより卑屈になってしまう感じに近いかもしれない。明文館に進む連中は少数派だから、この時点で仲間じゃないと言うか、違う種族の人みたいな関係になったぐらいとも見えるぐらい。

 ヒロコは底辺カーストからヒエラルキーのトップクラスになったから成り上がり。見下し切っていたヒロコが手の届かないところに行ったぐらいかもしれない。もっとも、それはそれでイジメの種になったけど、ヒエラルキーだけでも高くなったから敬遠するのが多くなってくれたと思ってる。

「里崎先生。明文館に行ってもイジメがあるのでは?」
「あそこは別世界だ。行けばわかる」

 どうしてヒロコにそこまで肩入れしてくれるかわからなかったけど、中三も担任になり、ヒロコは無事明文館に合格できた。職員室に報告に行った時に、

「合格したか。明文館はワンダーランドだ。楽しみにしておけ」

 もちろん二年間のお礼もしたけど、気になるのはここまでヒロコを助けてくれたこと。

「それか。お母ちゃんに聞いてみろ」

 後はいつもの豪傑笑いをして終わりだった。お母ちゃんの里崎先生への対応も不思議だった。お母ちゃんが帰ってくると里崎先生が家庭教師やってるのだけど、別に驚きもしなかったもの。

 中学生とはいえ女の子が男と二人っきりで部屋に居たら、いくら担任の先生であっても少しはリアクションしそうなものじゃない。一応の挨拶ぐらいはするけど、お茶も出さないし、休みの日に里崎先生が来た時にも昼食も出したこと無いもの。里崎先生も里崎先生で、自分で飲み物や食べ物を当たり前の様に持ち込んで来たのよね。ヒロコも聞いたけど、

「やってくれるって言うから、それで良いじゃない」

 でも今日はしっかり聞き出してみた。そしたら、

「たいした理由じゃないよ・・・」

 そうそうお母ちゃんは小学校の時からヒロコのイジメに気が付いていて、学校に訴えてくれたこともあったんだ。それで何があったかって、イジメの反省のためのホームルームが行われて、適当に綺麗事を並べて、

『イジメは良くない』

 これぐらいでまとめるだけのお儀式。こんなものでイジメはなくなるはずもなく、チクったと言われて余計に酷くなった繰り返しだった。だからお母ちゃんには、もう学校に抗議するのはやめるように頼んだぐらいだったもの。

「家庭訪問の時に顔を合わせたら、お互いビックリしてね」

 お母ちゃんは最初わからなかったみたいだけど、里崎先生はすぐに気が付いたみたいで、

「一つ下で・・・」

 信じられないけど、あの里崎先生がイジメられっ子だったんだって。それもヒロコ並みにイジメ倒されていたみたい。それをいつも助けて味方になってたのがお母ちゃんぐらいの理解で良さそう。でもお母ちゃんも余所者扱いだったはずだけど、

「こう見えても柔道やってたの」

 実家の近所に柔道の道場があって、小さい時から通っていたんだって。柔道の先生にも可愛がられ、道場仲間も出来てイジメには遭わなかったんじゃないかって。そう、これもまたイジメの側面で、イジメた時に相手から反撃が来そうなら避けられるはあるのよね。単純には強い奴はイジメられないってこと。

「あの頃の里崎先生はヒョロヒョロでね。気の弱い子供だったんだよ」

 お母ちゃんはすっかり忘れていたそうだけど、里崎先生はイジメに対抗するために柔道の道場に入門して、そこで里崎先生を弟弟子として可愛がったのがお母ちゃんだって。

「中学校でも助けたことがあったかな。そうそう里崎先生も明文館だよ」

 その時にヒロコは気づいた。どうして里崎先生が『なげやりの里崎』かって。だって里崎先生が本気を出せば、テールエンドのヒロコを二年間で明文館に合格させる能力があるんだよ。

「人の恨みって、イジメられた方は忘れないのよ。地味に仕返しやってるんじゃないのかな」

 もう一つ気になるのが二人の仲。里崎先生は独身なんだよね。ずっと独身だったかどうかは知らないけど、とにかく今は独身。ヒロコを助けてくれただけでなく、お母ちゃんも狙っていたとか、

「無いよ。さすがに今さらだからね」
「でも里崎先生なら」
「好みじゃないの。お母さんだって選ぶ権利があるのよ。それにね、結婚はもうコリゴリ」

 なんかホッとしたような、それで良かったのかは複雑な気分。たしかにいくら里崎先生でも、突然父親になるのは抵抗があるものね。でもね、でもね、ヒロコが大人になったらはあるかもしれない。

 大人って言っても二十歳まですぐじゃない。もしお母ちゃんが里崎先生と結婚をやり直したいと言い出したらヒロコは反対しない。その時は祝福してやるんだ。お母ちゃんだって幸せになる権利があるし、里崎先生ならそうしてくれそうな気がする。

純情ラプソディ:第1話 生い立ち

 ヒロコの記憶の始まりは幼稚園時代かな。家は幼心にも大きかった気がする。ただ楽しい場所だった思い出は無いのよね。ひたすら冷え冷えして、陰鬱なところぐらい。そこでは、お母ちゃんだけでなくヒロコも殴られたり、蹴られたりが日常だったのは今でも忘れない。

 あれを家族と言うのかな。クソババアとクソ男がいた。本来ならお婆ちゃんとお父さんになるのだろうけど、ヒロコとお母ちゃんにとっては、ただ恐怖の存在。ひたすら怒られて、叱られて、罵られ、暴力を揮う支配者。

 それが終わった日は妙に覚えてる。子どもの記憶だから断片的だけど、その日のお母ちゃんはいつもと違った。家に帰ると二人だけだった。お母ちゃんは妙に浮かれた感じであれこれ動き回っていた。なにかの壊れる音やら、引き裂かれる音が続いた後に、

「ヒロコ、おいで」

 お母ちゃんはカバン一つだけ持っていたけど、駅から電車に乗りこんだ。そんな家だったから旅行どころか、お出かけも、お買い物も、外食も一度もヒロコの記憶にはなかったよ。お母ちゃんはみどりの窓口から買いこんだ空色の乗車券をヒロコに渡して、

「これをあそこに通して・・・」

 生まれて初めて自動改札を通ったんだ。そこから何本も電車を乗り継いで行った。新幹線もあの時に初めて乗ったし、地下鉄も乗ったのも覚えてる。最後はなんか山の中を走ってた。

 ヒロコの初旅行だったけど、とにかく長かった。でもお母ちゃんが嬉しそうだったから、ヒロコも無性に嬉しくなって気にならなかったかな。途中で寝てたかもしれないけど良く覚えてない。

 やっと着いたのは小さな駅。降りたのはヒロコとお母ちゃんだけだったかもしれない。駅でしばらく待ってたらクルマがやってきて、ヒロコたちはそれに乗り込んだ。後から知ったのだけどお母ちゃんの実家。そしたらいきなりお母ちゃんが、

「どうして、こんな事に」
「もっと早く帰って来い」

 こんな感じで叱られて泣きだしたから、

「お母ちゃんを泣かさないで」

 必死だった。なぜかヒロコが守らなきゃいけないと思ったんだろうな。でも覚悟もしてた、次に殴られるって。そしたら、お母ちゃんを叱ってた女の人がヒロコを抱きしめて、

「辛かったろうね。可哀想に、可哀想に・・・」

 泣いちゃったんだよ。これがお婆ちゃんだった。この家では信じられなかったけど、みんな優しかった。誰もお母ちゃんやヒロコを罵ったり、殴ったりしないし、大事にしてくれた。そこでしばらく過ごした後に小さなアパートに移ったんだ。お母ちゃんは、

「これが新しいおうちだよ」

 子ども心にも、こんだけっと思ったぐらいで、そうだね、今なら1Kぐらい狭いお部屋。でもね、でもね、もうクソババアとクソ男はいないんだよ。あの二人がいない生活は嬉しかった。ヒロコは幼稚園から保育所に変わり、お母ちゃんは仕事に出るようになった。


 ずっと後になってからお母ちゃんから聞いたのだけど、結婚生活が上手くいかなかったで良さそう。父親はいわゆる旧家で資産家だったらしい。好きあって結婚したんだろうけど、結婚の条件は義母との同居だったみたい。

「まさかマザコンとムチュコタン・ラブの極悪コンビとはね・・・」

 クソババアでも良いけど、お婆ちゃんと区別したいから姑と呼ぶけど、お母ちゃんは結婚前から気に入らなかったみたいで良さそう。というか、どんな女性であっても息子を盗られるのが許せないのが正しかったみたい。だから姑の生きがいは嫁を家から叩き出すことだったって言うから驚くよね。

 それなら息子を結婚させなければ良さそうなものなのに、ああいう人種って可愛い息子は誰にも渡したくないのに、孫が欲しい、跡取り息子が欲しいは当たり前のようにあるんだって。そのためには嫁が必要だけど、憎悪の対象でしかない。そんな矛盾があいつらにとって疑問なく成立するみたい。ヒロコに言わせると人間のクズだよ。

 同居どころか結婚前の挨拶の時から嫌味が始まり、同居後はそれこそ朝から夜までエンドレスだってさ。そうそう、お母ちゃんも働いていたのだけど問答無用で専業主婦にさせられたって。嫌味からエスカレートするのもすぐで、やる事、なす事のすべてにケチを付け、口癖のように、

「どこをどう間違って、こんな出来損ないのクズが嫁なのか」

 御飯を作っても、

「不味い、不味い、人が食べられる物も作れないの」

 そう言って食卓から放り投げたり、作っている最中に捨てられるのもしょっちゅうだったって。掃除する後ろからゴミをまき散らしたり、洗濯物のたたみ方どころか、洗濯済のものをわざと汚したりとかは日常風景だっていうからどれだけ根性が曲がっている事か。そうそう、そこまでの仕打ちをしておきながら、

『孫産め、男産め、早く産め』

 でも妊娠しているのが女とわかった瞬間に、

『女なんか孕みやがって、この役立たず。さっさと堕ろして男産め、跡継ぎ産め』

 階段から何度も突き落とされそうになったそう。お母ちゃんはヒロコを必死になって守ってくれたから生きてるのだけど、娘だから姑の排除対象、憎悪の対象にしかならなかったで良さそう。

「あの頃はおかしくなっていたのよね」

 ここで夫が妻を守ったら辛うじてバランスが取れるのだけど、それこそマザコンでべったり。とくにヒロコが産まれてからは、お母ちゃんとじゃなく姑と同じ部屋で寝ていたというからヘドが出る。

 酷いDV環境に置かれると、かえって逃げるのが思い浮かばなくなるとはああいう事かとお母ちゃんは笑って話すけど、姑だけでなく父親からも攻撃を受けまくり、ひたすらヒロコを家の中で守る事しか頭に無かったって言ってた。

「でもね、さすがに浮気された時に怒ったのよ」

 浮気が発覚して、お母ちゃんは責めたそうだけど姑からは、

『あんたが女しか産まず、ムチュコタンの心が離れただけのこと。あんたがすべて悪い』

 父親も、

『すべてお前の責任だ。オレには跡継ぎを産ませる崇高な義務がある』

 こんな支離滅裂な屁理屈をガンガン怒鳴りまくられて、お母ちゃんは殴り倒されたっていうから、文字通りの極悪最低カス・コンビ。そこからあの日になるのだけど、あの日は姑と父親が旅行に出かけたそうなんだ。その間にお母ちゃんは動いたそう。

「ちょっとだけ復讐してやった」

 姑が大事にしていた食器とかをすべて叩き割り、着物や帯を洗濯機に叩き込んで、漂白剤を五本ぐらい放り込んだそう。

「洗濯機に入らない分は醤油とかソースとかケチャップをぶちこんでやった」

 これは結婚してから、お母ちゃんの物を、嫁入り道具から服、靴、下着、アクセサリーの類まで売り飛ばされ、盗まれ、奪われ、捨てまくられ、

「ああ、あの旅行だって、婚約指輪を売り払って行きやがったからね」

 そこから正式に離婚するまでスッタモンダあったそうだけど、それは話してくれなかった。あの陰鬱な家から逃げ出せたのはヒロコも嬉しかったけど、結果として母子家庭になっちゃったんだ。ここからヒロコの新たな修羅場が始まったぐらいかな。


 新しい家はドが付く田舎じゃないけど、中途半端な田舎。都市部から見たら素直に田舎で良いと思う。田舎の人は親切のイメージを都会の人は持っていると思うけど、あれは訪問者に愛想が良いだけ。

 ここも後から知ったのだけど、お母ちゃんの実家はお爺ちゃんの代の時に引っ越してきたそう。だからお母ちゃんも小学校ぐらいに転校してきてるんだ。小学校から住んでいるから地元みたいなはずだけど、田舎基準では余裕で余所者扱いだってさ。

 田舎での余所者認定の恐ろしさは絶対に変わらない点。そう死ぬまで余所者扱いになるのよね。五十年住もうが余所者なんだよ。余所者でなくなるのは、余所者が地元住民と結婚して生まれた子どもの代からになる。

 ヒロコの場合は父親が余所者だから、余所者同士から生まれた余所者の子どもって事になるんだよね。余所者認定は親世代だけでなく、親から子に、さらに地縁を通して周知され常識化されるのが田舎のデフォなんだ。

 ヒロコの場合はさらにがある。母子家庭、つまりは片親だってこと。今どき離婚なんて珍しくもないはずだけど、田舎に行くほど離婚するのは人間として欠陥があるぐらいに見られるみたいなのよね。とくに母子家庭の場合はね。そしてトドメは貧乏。

 お母ちゃんの実家もヒロコたちを養なえるほどの余裕はなくて、お母ちゃんが働いて家計を支えてる。それだけそろうとイジメの対象になるしかないじゃない。ごくシンプルに、

『余所者の貧乏人、そのうえ片親』

 イジメっていろんな理由で発生すると思うけど、格下認定してマウンティングする心理もあると思う。田舎では余所者と言うだけで地元民からは無条件に見下ろしても良いカーストとされ、そこに貧乏とか、片親が加わると最底辺カーストにされてしまうんだよ。そこに当人がどうのこうのと言う考え方はないぐらい。

 もちろん地元民でも、そうでない人も少なくない。ヒロコの学校の友だちだって、イジメは人間として良くないの考えを持っている人もいるのは知ってる。でもそう言う人が存在してもイジメの抑止力にはなってくれないんだ。

 イジメって、イジメられっ子を、その他大勢がイジメるものなんだ。この辺は色んなバリエーションがあるけど、イジメる方もイジメに加担するかどうかで、その人が敵味方かを区別している面がある。ヒロコの場合はそうだった。

 イジメに加担しないと、加担しない事を理由に仲間外れにされることもあるんだよ。ヒロコの場合は、積極的なイジメに加担しないぐらいなら、まだマシだったみたいだけど、もしイジメを止める、もしくはヒロコに味方すれば大変なことになりかねないんだよ。

 さすがに学校でイジメられているのはヒロコだけじゃなくて、他にもイジメに遭ってる子もいたんだよ。ある時に、その子の味方になってイジメを止めようとした子がいた。そしたらどうなったかなんだ。

 止めようとした子もイジメの対象になっただけではなく、それまでイジメに遭ってた子に代わってイジメのターゲットにされちゃったんだよ。どういうかな、いじめを助けようとしたばっかりに、底辺カーストに落とされちゃったぐらいの感じ。

 その子は正義感が強かったみたいで、イジメと敢然と戦っていたけど、相手は自分以外の全員みたいな状態になり、やがて学校に来なくなり、どこかに引っ越して行っちゃったんだ。あれでみんな震え上がった気がする。

 とにかくヒロコは小学校六年間はイジメのターゲットに固定され続けた。四六時中ずっと絶え間なくイジメられていた訳じゃないけど、なにかあると仲間はずれが当たり前状態にされた。単に気晴らし程度でもイジメは起こったもの。

 イジメをする連中には罪悪感などなく、ヒロコが辛い思いをしているとか、悲しい思いをしてるなんて頭の隅にもなかったと思う。そう、ヒロコのクラスでの役割はイジメをすることによってストレス解消を図る対象ってだけ。人間扱いされていなかったでも良いと思う。

 あれはまさに暗黒時代。子どもだったから学校を休むなんて考えもしなかったし、休めばお母ちゃんも勘づくし、悲しませると思ったもの。そうやって学校に行ったところで学校ではボッチ。ボッチだけならまだ良かったけど、

「おい、バイキン・・・」

 気まぐれの様にイジメが不定期に襲ってくる。これは中学に入っても変わらなかった。そんなヒロコの状況が変わったのが中二の時だった。