麻吹アングルへの挑戦:幻の写真小町

 映画は高校写真部を舞台にした青春映画のようです。ちょっと興味を持ったのは映画評論家だけでなく写真評論家も絶賛している点です。青田教授も作中の写真に注目したらしいようです。

 あれだけ勧められたのですから見て損はないと思います。映画一本見るだけで写真の神髄がわかるのなら儲けものともいえます。ですが一つ困った問題が出てきました。

 最近の天羽君は光の変数を天羽関数に組み込むために安達ケ原の山姥状態になっています。青田教授に会いに行ったときも無言で付いて来ましたし、しゃべったのも最初の挨拶だけです。行き帰りの間だって、ひたすらノートに数式を書き連ねていましたもの。青田教授も、

『なんだこいつ』

 こんな雰囲気があり、ハラハラしていました。青田教授の話だって聞いているのかどうか自信がなかったぐらいです。そんな天羽君から、それこそ無表情でジロリと睨まれて、

「一緒」

 怖かった。そのまま取って食われるかと思ったぐらいです。そうそう山姥状態になると天羽君の言葉は極端に短くなります。これだけで映画を一緒に見に行くと読み取らないといけません。

 反射的に遁辞が頭に浮かんだのですが、そんなもの声に出せるわけがありません。もちろん天羽君も青田教授のアドバイスに従ってもなんの不思議もないのですが、ちょっと堪忍してくれの世界です。

 そりゃ、相手がマドンナの林さんならウキウキ出かけますが、天羽君、それも山姥状態の天羽君では許してくれ状態です。ボクが答えに詰まっていると何の抑揚もない冷え冷えした声で、

「土曜日」

 これは今週の土曜日を指します。

「ミント」

 ミント神戸に行くの意味です。

「御飯」

 ちょっと待った。

「夕食もですか!」

 そしたら顔も見ずに、

「時刻、551」

 後は何を聞いても数式と格闘です。山姥状態の天羽君がそうなるのは良く知っていますが、話をつなげると、土曜日の夕方に映画が終わった後に夕食になる時刻で予約を取り、待ち合わせは三ノ宮駅の551の蓬莱の前でになります。

 これは天羽君は土曜日を休みにする意味と取ることにもなります。研究室に出て来ていたら、三ノ宮駅で待ち合わせする必要がないからです。おそらく天羽君は買い物とか、洗濯物、下宿の掃除でもするつもりと見てよいはずです。

 まあ、研究員に日曜も祝日もなく、ボクも部屋もひっくり返ってますから、映画を見るついでに休日にして、その辺の用事も片付ける予定のはずです。というか、これだけで天羽君の言葉を理解しないといけないのは鍛えられています。映画の予約を取り、夕食の店も抑えて、

「四時にお願いします」

 コンチクショウ、返事ぐらいしろ。知っているとは言え、振り向きもされないのは気持ちの良いものではありません。ホントに聞いてるのかな。


 土曜日はボクも休みにして、朝から洗濯物と格闘し、日用品の買い出しに出かけました。しっかし、これって見ようによってはデートですよね。あくまでも形の上ですが、誘ったのは天羽君で行くのは映画。さらに夕食付です。

 ですが高揚感はゼロどころかマイナス。何が悲しくて山姥と映画見て、飯食わないといけないのか。それでも天羽君に恥をかかせたら悪いぐらいの義務感で綺麗目の服を選んだのですが、一体何をやってるんだろうの疑問が頭の中をグルグル。

 夕食にしてもあれだけ一緒に仕事をしながら、外食したのはムジナ庵で教授や黒木たちを交えて数えるほど。天羽君の好き嫌いなんて把握しようがありません。とりあえず、ボクが買ってきたものは何でも食べてましたが、あれだって味を感じているかどうか疑問のところがあります。

 まさにドンヨリ気分で待ち合わせ場所に向かいました。そうですね、何か悪いことをして職員室に呼ばれるとか、いや生徒指導室に呼び出されるとか、いやもっとで校長室に向かうような気分です。


 551前は阪急三宮からマルイ、さんちか、センター街への通り道にもあたります。ひっきりなしの人通りがあり、待ち合わせスポットの一つです。見ただけで待ち合わせらしい若い男女が目に付きます。

 待ち人が来ると嬉しそうに連れ立って去っていきます。きっとこれから始まる楽しい時間に胸を躍らせているはずです。どうしてわざわざ映画館なんだよ、見たいならビデオを見れば用事は済むじゃないかと心の中でボヤキが止まりません。

 すると阪急三宮の方に、まさに目の覚めるような素敵なレディが現れました。少し大柄ですが、そこにいるだけで周囲が華やいで見えるぐらいです。あんな素敵なレディと今からデートなんて羨ましすぎます。こっちは山姥なんだぞ。

 せめて目の保養にしていましたが、ジロジロ見続けるのは失礼ですから適当なところで視線を外したのですが、

「お待たせ!」

 弾むような声です。この近くに待ち合わせしてる男がいるんだろうな。ウットリしそうな香りもします。そしたら肩をトントンと叩かれました。このタイミングで山姥が来るとは最悪と思いながら振り向いたら、さっきの美人。

「どうしたの。何か考え事してたの」

 誰だ? 誰と勘違いしてるんだろう。

「さあ、行こうか」

 いきなり腕を組んできたので、

「ちょっと待ってください。誰かと勘違いしてませんか」
「どうしたの? 今日の篠田君は変よ」

 どうして名前を、

「やだ忘れちゃったの。涼だよ」

 涼って・・・天羽君の名前は涼だけど、

「ま、ま、ま、まさか天羽君・・・」
「何言ってるのよ。やっぱり今日の篠田君は変よ」

 変なのはそっちだろう。顔も、髪形も、表情も、声の調子も、話し方もまさに別人。地味子が煮詰まった上に山姥状態の天羽君なんてどこにもいません。頭に稲妻のように閃いたのは山姥大狸。まさか、まさか、このボクがお狸伝説に直接遭遇するなんて。

「さ、行きましょう」

 これは狸の仕業だ。ボクは騙されようとしている。お狸伝説なら、この素敵なレディに見えている天羽君と恋に落ち、ふと気が付くと山姥になっているはずだけど、とりあえずどうしよう。

 でも考えようによっては好都合かも。今だけとはいえ天羽君は素敵なレディだ。これほどの女性と一緒なら見せびらかしたいぐらいです。どうせ映画は一緒に見に行く必要があるのですから山姥より素敵なレディであって悪いわけはありません。


 映画はボクでもウルウルするぐらいの感動物で、天羽君なんて完全に泣いていました。映画が終わってから食事にしましたが、ひたすら映画の話題で盛り上がり、

「追い出し会で泣き崩れてたのが、パッと祝賀会場に変わって」
「そうそう、あそこにみんな集まって来て・・・」

 滝川映画は見る者を映像世界に引きずり込むされますが、ボクも完全に映画の世界の住人になっていました。心の琴線をビンビンと弾き鳴らされた感じです。

「見終わった後にちょっと気になったのよ」
「何に?」
「尾崎美里」

 新人ですが主演でした。そりゃ、もうの美少女で、まさしく実在する妖精としか思えませんでした。あそこまでの美少女がこの世に存在するのに信じられない思いがします。

「見惚れたよ」
「そう言うけど、尾崎美里はうちの学生だよ」

 あれっ、ちょっと待った。パンフレットを確認すると、

「あの写真も尾崎美里が撮っているのか」

 ここで思い出したのですが、

「例のツバサ杯の写真だけど」
「同姓同名の可能性は残るけど、おそらく同一人物だよ」

 青田教授のアドバイスもあって映画に出てくる写真にも注目していたのですが、

「組み写真が出来上がるシーンがあったじゃない・・・」

 映画は写真甲子園を目指す写真部の話ですが、様々な経緯でチームの心がバラバラになってしまいます。それが再び心を一つにして提出作品に取り組むのですが、バラバラになっていた心が、写真を見ているだけで一つになっていくのがわかるのです。

「写真って、あそこまで表現できるものだと思ったもの」
「写真評論家が絶賛したのが良く分かったよ」

 審査AIで外れ値にせざるを得なくなった彼女なら撮れるかもしれません。でも映画の主演までしているとは。

「篠田君は見たことある?」
「ないねぇ。本部だし」

 食事も終わり、

「飲みに行かない?」

 もちろんお供します。狸の仕業でもこれだけのレディの誘いを断れるものですか。

麻吹アングルへの挑戦:青田教授

 理工学部がある狸ヶ原キャンパスから本部までは電車を使って三十分ほど。

「天羽君、本部は久しぶりだね」

 狸ヶ原キャンパスは良く言えば現代風で、悪く言えば味も素っ気も無い感じですが、本部はネオ・ルネッサンス様式を取り入れた重厚なものです。これは第二次大戦の戦災で焼失した時にその場しのぎのようにまず前校舎が建てられ、これを作り直す時に戦前の姿に近づけたとされています。

「学芸学部はこっちだったな」

 メディア創造学科の教授室も見つかり、

「失礼します。フォトテクノロジー研の篠田真です」
「天羽涼です」
「よく来たな。青田だ」

 青田教授は五十六歳と聞いていますが、既に白髪になっており、もう少し老けて見えます。

「あははは、ツバサ杯で老けたよ。それはそうと写真もAIの時代が来るとはね。歳は取りたくないものだ」

 こうボヤキながらも相談に乗って頂きました。

「麻吹アングルのルーツは、加納志織先生が編み出された加納アングルにある」

 加納志織とは三十一年前に亡くなったフォトグラファーで当時は世界の巨匠とも呼ばれていたそうです。

「その加納志織が加納アングルを使い始めたのはいつからですが」
「遅くとも七十年以上前には使われていたとして良い」

 そんなに古いテクニックなんだ。それにしても妙だ。そんなに昔からあるのなら、もっと広まっていても良さそうなものです。

「当然の疑問だな。答えは加納先生が存命中は誰もこれを真似ることができず、加納先生の弟子も誰一人受け継ぐことが出来なかったのだ」

 会得するのがそんなに難しいのか、加納志織が秘伝にして教えなかったかだな。

「その辺は加納先生が弟子にも積極的に伝授しようとされなかったらしい事だけはわかっている」

 やはり秘伝にしたのか、

「そうかもしれないが、伝授するに値する弟子がいなかったのかもしれない。なにしろテクニックの難度は超弩級だからな」

 世界には日本では想像もつかない規模の写真学校があり、そこでは中学から大学まで備わっていると聞いて驚きました。

「大学では当然ことだが、写真について専門的に研究している」
「では加納アングルも」
「もちろんだ」

 聞くとボクたちの研究手法は基本的に同じで、被写体の全方向から写真を撮り尽くし、そこから加納アングルを見つけ出そうとしたようです。でも、その手法では限界が、

「君たちもやったのか。であればわかっただろう。その手法で見つかるのは加納アングルの影に過ぎん」
「そんな論文を見たことがありませんが」

 青田教授はお茶を一口飲んでから、

「商売だからな」

 なるほど! 学術研究と言うより、企業の製品開発に近いって事のようです。しかし影とはよく言ったもので、見つけても影を作っていた物は既になくっていると考えてよさそうなのはボクたちも味合わされています。

 それと麻吹つばさが加納アングルをどうやって会得したのかも謎に包まれているらしく、麻吹つばさ本人は自得したと言っているそうです。

「そんなことが・・・」
「そう思うだろうが、加納先生と麻吹先生の間には接点はないとされている」

 加納志織が亡くなった三年後に、麻吹つばさは加納アングルを携えて彗星のようにデビューしたのは事実のようです。

「麻吹アングルと加納アングルは同じですか」
「麻吹先生がデビューされた当時は同じと見て良い。しかし今は違う」

 青田教授の見るところ、麻吹アングルは加納アングルの進化系と理解すれば良さそうです。ここで話が少し変わり、ボクたちが発表した究極の写真のことに、

「良く撮れてたな。あのレベルに達するのは容易じゃない。うちの学生では歯が立たんだろう」

 やはりあのレベルの上がある。

「かつては写真も収束すると考えれていた時代がある」

 西川大蔵の言葉だ。

「何事もそうだが、上達していけばある上限に達する。しかしだ・・・」

 スポーツの世界記録を例に青田教授はされましたが、なかなか破ることが出来ない大記録があるとします。この記録が君臨している時代は、それが記録の上限となります。しかし破られてしまうと、次々とこれを破る者が出現する現象は確かに起こります。

 原因として用具やトレーニング方法の向上もありますが、かつての大記録が平凡な記録に短期間のうちに変わることはボクも知っています。体操なんかもそうで、ムーン・サルトも出現したときには驚異の大技でしたが、今では出来て当たり前ぐらいになっています。

「加納アングルの扱いも似ていてな」

 加納アングルは他の写真を圧倒するぐらいの地位にいたとして良さそうです。いや、今でもそうです。ただ会得した者が少なすぎて、

「そういうことだ。ただしあれは別格過ぎて、写真界では規格外の天才の産物として取り扱っていた。だから加納先生が亡くなったときにはホッとしていたし、麻吹先生が台頭されても鬱陶しい存在ぐらいのもだった」

 加納アングルを別扱いとして作られたのがいわゆる三大メソドであり、そこの上限がボクたちが達した究極の写真で良さそうです。それだったら不満は残りますが、天羽関数を完成させればフォトグラファーAIは完成になるはず。

「君たちは畑が違うので知らなかったのを責める気はないが、今の写真界は激動期に入っている」
「激動期?」
「そうだ。麻吹先生が壁を壊されてしまったのだ。いや、壁など存在しない事を示されたとして良い」

 どういうこと?

「二年前にハワイで学生団体戦世界一決定戦が行われた。そこに参加された麻吹先生は、三大メソドの選り抜きのチームを圧倒して優勝されてしまったのだ」

 さすがだと言いたいですが、学生の大会に勝っただけでどうして激動期に。

「麻吹先生のチームは誰もが加納アングルを使えたのだ。だからこその圧勝劇であったが、加納アングルを使えば当然すぎる結果だ。だから問題はそこではない」

 どこが問題?

「わからんかな。団体戦は三人であったが、学生でも加納アングルを会得できることを示したのだ」
「それって、誰でも加納アングルを使えるって意味に・・・」

 今まで規格外の天才のみが扱える特殊技術と信じこんでいた加納アングルが、突然三人もの学生が駆使できたとなると、もはや例外とは言えなくなります。写真の上限がいきなり跳ね上がり、

「そういうことだ。加納アングルを使えない者は二流以下となる。誰もが懸命になって加納アングルを会得しようとしている」

 だから写真界の激動期。だったら、その後に加納アングルを会得した者は、

「いないと見てよいと思う。だが、麻吹先生なら養成出来るのが知られてしまっている。麻吹先生と言えども魔法使いでない。何らかの方法で加納アングルを教えるメソドを作り上げているはずだ」

 青田教授は苦笑いしながら、

「君たちが天羽関数を発表したものだから、尻に火が着いたとして良いだろう」

 青田教授は、

「君たちが理のみからアプローチしたのは必ずしも否定しない。少なくとも二年前までは君たちが目指したレベルをAIにすればフォトグラファーは失業したかもしれない。だが、どんな世界でも進歩するし変わる」

 それはそうでした。

「しょげるな。研究には試行錯誤が付きものだろう。これは私からのアドバイスだが、もう少し写真とはどんなものかを知っておいても損はないはずだ」

 ここで意外だったのが進められたのが映画です。現在大ヒット公開中の滝川監督の幻の写真小町です。たしかアイドル系の青春映画のはずですが、

「ただのアイドル映画では」
「ああそうだ。良かったぞ」

 青田教授もミーハーだな。

「勉強は机にしがみついて本を読むだけではない、狸に騙されたと思って見てくるがよい。凡百の教科書よりよほど写真の神髄がわかるはずだ」

麻吹アングルへの挑戦:狸ヶ原伝説

 理系人間にも歴史好き、伝説好き、怪奇現象好きはかなりいます。怪奇現象と思われるものから新しい研究のヒントをつかむという、もっともらしい理由もありますが、普段が理詰めに物を考えますから、そうでないものに魅かれるのかもしれません。

 理工学部にもこの手のサークルがあります、狸ヶ原伝説研究会と言うのですが、ボクも入っていました。建前は郷土史研究会みたいなものにしていますが、内実は飲み会、コンパのサークルです。それでも活動はしてましてお狸伝説の研究です。


 狸ヶ原キャンパスは本部が手狭になり作られたのですが、キャンパスも広々していますが、その周囲も平坦地です。水の便も悪いとは思えないのですが、キャンパスが出来るまで野原に森や林が点在する寂しい場所であったようです。そういうところは日本ではほぼ例外なく田畑になります。そうそう池こそあったようですが、とくに沼沢地でもなかったそうです。

 そんなところが西学がキャンパスを作るまで放置されていた理由がお狸伝説になります。狸ヶ原の狸のルーツは伝承によるともともと西宮神社あたりに住んでいたとなっています。ところが芦屋の狸と対立関係になったとされます。芦屋の狸の先祖は蘆屋道満の屋敷に住んでいた末裔とされ、化ける能力が高いだけではなく勢力も大きかったとされます。

 芦屋の狸が西宮に進出してきて、狸合戦まで起こったとなっていますが、芦屋と西宮神社の狸は話し合いの末に狸ヶ原に引っ越しすることで和睦を結んだしています。その時に移り住んだ狸の末裔が狸ヶ原の狸です。この狸が何度もあった新田開発を妨げてきたとなっています。


 真相はどうかなのですが、研究会の結論としては関係ないだろうとなっています。江戸期の西宮から神戸に至る一帯は天領、旗本領、藩領が複雑に入り混じってたところで、狸ヶ原は譜代大名の飛び地であった時期が多かったようです。

 譜代大名は家康の直臣クラスの末裔ですが、特徴として幕政に関わることが出来ます。老中とか若年寄みたいな要職に就けるのが譜代大名です。要職に就けばその格に応じて所領が増えます。

 この増える所領が問題で、隣接地にもらえれば良いのですが飛び地であることが多かったのです。飛び地も近ければまだしもなのですが、関東の譜代大名の飛び地になっていたのです。

 譜代大名は幕政に参画できる代わりに所領は抑えられています。せいぜい十万石程度で、譜代大名も江戸期は財政難に苦しんでいました。狸ヶ原なんてもらっても新田開発まで手が回らなかったとして良さそうです。

 それだけでなく狸ヵ原は譜代大名の出世の御褒美に使い回されています。ごく簡単には藩主が代わるたびに領主も代わっています。一代ごとにA家 → B家 → C家みたいと思って頂けれ良いと思います。

 新田開発は多額の初期投資が必要で、資金回収に時間がかかります。いつ領主が代わるかわからない状態で、こんな飛び地の新田開発を腰を据えてやろうとは誰も考えなかったとして良さそうです。

 それでも、いかにも新田開発の適地に見えるところですから、そこがいつまで経っても放置されたままなのは、地元や近隣の住民には不思議に見えたのでしょう。いつしか狸との関連が尾鰭が付いて広まったようです。

 これにさらに尾鰭がついたのが明治に入ってからになります。県の肝いりで本格的な新田開発事業が持ち上がったのです。ところが責任者の異動、病気退職、さらに兵庫県自体が再編形成時期になり結局頓座。これが江戸期から続くお狸伝説と結びついて、

『狸ヶ原に手を出すと、お狸様の祟りがある』

 こういう感じになり、なんとなく新田開発は先延ばし、先延ばしにされていき、先延ばしにされるほど曰く付きの土地になり、第二次大戦後も宅地開発さえされず、西宮学院が手を出すまでポッカリ残ってしまった経緯として良さそうです。


 お狸伝説は狸ヶ原キャンパスの建設が始まってからも続きます。切り倒した林が元に戻っていたりとか、造成したはずの土地が一夜にして草ボウボウになったりとか、建設に使っていた重機が神隠しに遭ったあたりは眉唾だと思っています。

 しかし建設中の校舎が謎の倒壊を起こしたりとか、火事を起こしたり、さらに建設会社が倒産したりが起こっています。それ以外にも発注時の贈収賄問題が発覚して、これが国や県の補助金にも飛び火し、挙句に国会議員から担当大臣まで巻き込むスキャンダルに発展したりです。

 これに連動するように学内での不正経理問題が浮上し、他にも論文の捏造疑惑が連発したり、当時の古河学長の愛人隠し子騒動が起こったりで学内は大揺れ。古河学長は辞任しないと頑張ったのですが、スッタモンダの末に赤井徹造学長に交代。

 赤井学長はお狸ホールこと赤井徹増造記念ホールに名を残していますが、これもまた狸で彩られます。狸ヶ原キャンパス建設も、本部も大揺れ状態ですから体制刷新を唱えたのは常識的ですが、赤井学長は一連のトラブルを祟りによると結論付けてしまったのです。

 怪しげな霊能力を引っ張り出してきて霊視をやらせまでしたのです。そこまでいくまでに理事会や教授会で大反対がありましたが、赤井学長は強引に抑え込んで実行させています。ちなみに赤井学長の当時のあだ名は『徹碗』。本来なら剛腕でしょうが、名前に因んでそう呼ばれたそうです。それでもって霊能力者の御託宣は、

『お狸様がお怒りじゃ』

 ホンマに見えたんかいなと思うのですが、この言葉を真に受けて大規模な鎮狸祭を執り行ったそうです。ところが、その神事の最中に霊能力者が泡を吹いてぶっ倒れてしまったのです。意識を取り戻した霊能力者曰く、

『あれは、山姥大狸様じゃ』

 山姥大狸ってどんなんだと思うのですが、山姥大狸を鎮めるためには神社を作って祀るしかないと言い出したのです。これまた理事会や教授会は大反対したのですが、徹碗赤井学長は狸ヶ原神社を作り上げてしまいます。

 ちなみにこの神社は、キャンパス周辺が宅地化されるのに伴って鎮守社的な位置づけになり、秋祭りの時にはキャンパスの大狸祭と一体となり盛大なものになっています。それと秋祭りの時には学長以下が必ず参拝するのも恒例です。

 結果論としか言いようがないのですが、狸ヶ原神社が出来てからキャンパス建設はスムーズになり、その業績を称えてホールにその名が残ったぐらいです。この辺もホンマに称えられたか怪しい部分はあり、徹碗が強引にそうさせたとの口碑も残っています。

 徹碗はキャンパス名にも揮われています。キャンパス名を決めるにあたって、元の地名の狸ヶ原はいくらなんでもの意見が大勢でした。そこで有力だったのが中原キャンパスです。中原は本来は狸ヶ原の一部を指す地名ですが、狸ヶ原よりずっとマシぐらいでしょうか。

 これに猛反対して狸ヶ原を押しまくったのが徹碗。ついにひっくり返して狸ヶ原キャンパスになったそうです。あまりの赤井学長の固執ぶりに、あれは赤井学長が狸に操られていたとか、赤井学長の正体は狸だとかの噂が乱舞し今でもその話は残ってます。


 これでお狸伝説は終わりそうなものですが、狸ヶ原神社まで作ってしまったので、お狸伝説はキャンパスの学生に受け継がれてしまったのです。とにかく出来た時にはキャンパス以外に何もないところだったので、学生が暇つぶしに作ったものだと考えています。

 だからパターンがありまして、一番有名なのはある時に本部から教授が来て講義をする予定だったのですが、どうしても道に迷って狸ヶ原キャンパスに到着できなかったそうです。本部に戻って休講の連絡をしようとしたら狸ヶ原キャンパス側から開口一番、

『今日はご苦労様でした』

 なんと教授が現れて講義をしていたというのです。ちなみに逆パターンの話もあり、そのために狸ヶ原キャンパスから本部に講義に出向いた教授も、今でもそういう扱いを受けるようでボヤイてました。

『だってだよ、今日の講義は面白かったから、あれは狸の仕業だって必ず言われるんだから』

 狸は八化けと言われますが、山姥大狸は妙齢の美女に化けるのが得意とされます。それで化かされる話もポピュラーです。典型的なのは美人の女子学生と知り合い、結婚話まで進んでいたのに、彼女は突然いなくなり、探しても、そんな女子学生は存在しなかったぐらいです。

 これのバリエーションに、地味で目立たない女子学生が突然目の眩むような美女に変身し、これに突撃した男子学生が結ばれて、ふと気づくと元の地味な女子学生だったなんてオチです。


 とにかく狸に騙された系の話は興味本位で量産されるので、ほとんどは作り話のはずですが未だに本部からは、

『狸ヶ原キャンパスは狐狸の巣窟』

 今でもこう言われています。狐は関係ないのですけどね。ボク自身は狸に騙されるような経験はないですが、

『それはわからんぞ。騙されてる最中は気づかないだろ。そもそもオレが狸でない保証なんてどこにもないやろが』
『お前が大学と思っているところは森の中かもしれんぞ』
『そもそも篠田が狸でない保証がどこにある』

 こんな会話が日常的にされるのが狸ヶ原キャンパスです。お狸伝説は研究会でボクも調べましたが、九分九厘は作り話。タマタマの事象を狸に強引に結び付けただけで良いと思います。

 一番可能性がありそうな赤井学長のエピソードですが、赤井学長は徳島の小松島市の出身なのです。小松島市には阿波狸合戦で有名な金長神社があり、あれだけ狸にこだわったのは、そのせいだろうとするのが研究会の結論です。そんなことを思いだしてる時に天羽君がやって来ました。

「許可は出た」
「青田教授のアポは取っておく」

 天羽君は山姥のままです。山姥と二人連れで青田教授に会いに行くのは気が重いですが、これも研究のためですから仕方ありません。

 もし本当に狸の悪さが存在するなら、天羽君が突然美女に変わるぐらいの事が起こればボクでも信じるかもしれません。そんなことは天地がひっくり返ってもなさそうですけどね。

麻吹アングルへの挑戦:浦崎史郎

 AI研の大山教授から寄附講座の話を聞いた時に呼ばれたのが、当時講師であった浦崎史郎です。話を聞いた浦崎は頭の中で素早く可能性を検討しています。カメラもデジタル、写真もデジタル、これをAIに出来ないはずがありません。むしろ今まで手を付けていないのが不思議なぐらいです。

 もっとも浦崎も写真について詳しいとは言えません。せいぜいスマホで記念写真を撮る程度です。その点を大山教授は危惧していたようですが、浦崎は理詰めで押し切れるはずの直感がありました。写真に特別の秘密があるとは思えなかったのです。

 それでも大山教授はこの寄附講座の行く末に不安を強く抱きます。そこで浦崎の部下に若手の選り抜きを配します。大山教授は愛弟子である浦崎に躓いて欲しくなかったのです。

「天羽君まで回してもらえると聞いて喜んだ」

 AI研の若手女性研究員の中で一番人気は林真奈美です。それに相応しい美貌と性格の良さを併せ持ち、研究センスの評価も高いところです。

「林君も天羽君の前ではモノが違う。あれこそ鬼才だ」

 研究に対する真摯な姿勢はもちろんですが、没頭し始めると異常なほどの集中力を発揮します。さらに複雑な事象の中から原理原則、法則性を見出す能力が卓越しています。

「恋人にするなら林君だが、研究なら天羽君だ」

 ただ天羽涼は鬼才ではありますが孤高のところがあり、誰かと組むのを好みません。これまでも、それで幾つかのトラブルを起こしています。おそらく組んだ相手との能力差への苛立ちになっていると見てよさそうです。そのためかAI研の中でも少し浮いた存在になっています。

 浦崎は今度の寄附講座で、天羽をいかに生かすかが研究の成否の大きなポイントになると考えていました。一人でやらせるのが無難な選択ですが、浦崎は適切なパートナーと組ませることで天羽のさらなる才能の開花を期待したのです。

 寄附講座開設の準備段階で浦崎は天羽を密かに呼び、これから取り組む研究に参加してもらう事と、そのときにはコンビを組んで研究に当たってもらう旨を伝えます。浦崎がパートナーとして提案したのは黒木孝之です。

 黒木も優秀です。とくに能力を発揮するのはAIを活かす機器の設計製作になります。とにかく予算など一顧だにせずに自分の理想の設計をするために、いつも揉めますが、浦崎もその才能を認めています。

「黒木君がその才能を発揮するには、うちでは無理だろう」

 それと研究とは関係ありませんが、黒木は高校まで野球をやっていたスポーツマンです。それもかなり本格派で甲子園まで後一歩まで進み、プロからも育成契約の打診があったぐらいなのです。

 背も高く、顔もいわゆる彫の深いタイプのイケメンで、黒木がAI研に入っただけで女性研究員が色めき立ったほどです。天羽とて女ですから、見た目が良い男の方が気持ちよくペアを組んでくれるはずの計算です。ところが、

「黒木君では・・・」

 浦崎は天羽の反応の悪さに驚きました。どう見ても天羽は黒木とのコンビを厭っています。天羽の姿勢がこれでは、研究を始めても、トラブルの種になるとしか考えられません。それなら一人でやらせる方が百倍マシです。そう腹を括ったところで、

「浦崎先生、今度の研究ではパートナーが必要なのは認めます」
「誰か希望はあるのか」

 天羽が提案した人物は浦崎には意外でした。篠田真とコンビを組みたいとの旨なのです。篠田も若手研究員ですが、どちらかと言えば平凡な印象です。凡庸とまでは言い切らないとしても、研究そのものよりも、細やかな気遣いで研究室の雰囲気を和ませる潤滑剤的な働きが評価されているぐらいです。

 篠田のような存在はチームを編成する上で重宝はするのですが、研究者として食べていけるかとなると無理だろうが浦崎の見方です。篠田の能力では天羽と軋轢を起こす懸念が頭を渦巻きます。

「失礼ですが、浦崎先生はわかっておられません」

 歯に衣を着せないのも天羽です。どちらかと言うと口数の少ない方ですが、一たび口を開けばガチガチの正論で相手を切り裂きます。これが今までのトラブルの原因にもなっています。

「黒木君は林さんとでも組めばよろしいかと。私が組むのなら篠田君」

 浦崎は天羽が篠田の何を見て、どう評価しているのかを考えましたがわかりません。あえて言えば、角を立てない篠田なら、天羽も研究がやりやすいからだろうと自分を納得させています。

「天羽君の目は確かだった」

 研究が始まるとチームAの成果は目を瞠るものがありました。あまり期待していなかった篠田は、なんの問題もなく天羽とコンビを組んだだけではなく、審査AIの開発に大きな貢献をしています。これは浦崎だけでなく、大山教授も認めるところです。

「安達ケ原の山姥になった天羽でも物ともしなかったからな」

 天羽が集中すると完全に周囲が見えなくなります。普段からオシャレやファッションとかに縁遠い天羽ですが、集中すると凄まじい姿になります。だから安達ケ原の山姥ですが、篠田はそうなった天羽をきっちり支え、あの天羽関数を生み出すのに貢献しています。

「そこまで天羽君にはわかっていたのだろうか」

 今度の研究での天羽は、これまでに比べても格段の切れ味を示しています。浦崎も光の変化による変数の処理は手に負えない感想を持っていました。ところが天羽は一歩一歩、その解明に確実に前進しています。浦崎でさえ天羽の考えに付いていくのがやっとです。

「もう置き去りにされている気さえする。そんな天羽君と互角に検討できる篠田に驚かないといけないだろう」

 浦崎の今度の研究の狙いはAIフォトグラファーへの扉を開くことです。そこでの審査AIの位置づけは究極の写真の発見器ぐらいの位置づけでした。審査AIで究極の写真を見つけ、それがどうやって予想できるかを解明して行くぐらいです。

 ところが天羽と篠田は三大メソドのマニュアルを研究し尽くし、そこから導かれる究極の写真のアングルまで解明してしまったのです。おかげで審査AIも特撮機も天羽関数の検証機になってしまったぐらいです。

 この予想外の展開に浦崎は喜び過ぎた後悔があります。浦崎は研究の初めから光の変動による変化には目を瞑る予定でした。寄附講座の期間・予算から無理があるとの判断です。特定条件でフォトグラファーにAIが追い付けば成果としては十分ぐらいです。

 研究成果の発表による反響も満足すべきものがありましたが、写真界を知らな過ぎたの悔いがあります。天羽と篠田が見つけ出した究極の写真は、写真界では究極ではなかったのです。

「まさか麻吹アングルが存在するとは・・・」

 まさに奇怪なものです。浦崎は特定条件下での被写体が撮られる写真は、すべて撮影可能であるとの前提で研究を行っています。言い換えれば常に決まったベスト・アングルがあり、一度見つければ何度でも再現できるはずです。この考えは今でも間違っていないと思っていますが、

「光による変動要素を舐めていた」

 ほんの少しでも光が変わればベスト・アングルはまさに変幻自在に変わっていくのです。それだけはありません。

「それでも三大メソドの範囲内であれば、天羽君の関数の応用ですべてカバー出来ていたのに」

 いきなりすべては無理でも研究さえ重ねれば、いずれすべてを解き明かせるぐらいです。天羽もそれに一歩一歩近づいています。しかし麻吹アングルはそれさえ超越しているとしか考えられません。天羽も篠田も麻吹アングルの謎を必死になって追いかけていますが、あまりの短時間の変化に研究は足踏み状態になっています。

「いや、麻吹アングルと言えども物理現象に過ぎない。しょせんは限定された条件の中の一枚だ。これさえ乗り越えれば、フォトグラファーはこの世に不要になる」

 天羽と篠田が取り組んでいる光の変数を天羽関数に組み込めれば、道は開かるはずです。研究には壁は付き物で、壁は高くて厚いほど乗り越えた時に手にするものが大きいのは良く知っています。

 浦崎は天羽が専門家であるメディア創造科の青田教授の話を聞きたがっているのを知っています。浦崎としては理のみから写真のすべてを解明したい願望は変わっていませんが、

「天羽君なら止めても行くだろう。それが研究に必要と判断すれば、そこに情など存在しないからな」

 天羽の優秀さは浦崎も驚嘆しています。浦崎は自分こそが大山教授の後継者であると自負していましたが天羽には及びそうにありません。

「あははは、それでも私が後継者になるだろうな。天羽君は西学では収まらない。港都大は愚か東大や京大でさえ小さすぎる。あの才能を活かせるのはマサチューセッツかハーバードあたりだろうし、科技研に誘われても不思議はない」

 浦崎は天羽にとってはこの研究でさえ踏み台に過ぎないと見ています。しかし浦崎にとっては一世一代の仕事になると予感しています。これは自力では不可能です。天羽を部下として使える今しか成果を挙げられるとは思えません。

「なんとしても麻吹アングルを解明して見せる。こんなチャンスは二度と訪れない」

麻吹アングルへの挑戦:研究の壁

 天羽君と相変わらず光を変えながら麻吹アングルを捜索中です。パラパラと見つかりはするのですが、そこで足踏み状態。天羽君は紫外可視分光光度計まで持ち込んでデータを探っています。

 それでも進展はあって、天羽君は一つずつ条件を変えながらの光による天羽関数の変化を数式化しています。もちろん角度とか、輝度による変化にもです。

「また一つ増えた」
「まとめられそうか?」

 ボクも協力していますが、どうにもバラバラでこれに法則性を見出して統一出来るかは疑問符が付きます。

「こことここは相関性」
「それなら・・・」

 まさに千里の道を歩ている感じがします。今使っているのは人工光。これなら一定ですが、自然光相手になると目が眩む思いがします。

「それが研究」

 地道な作業の末に解き明かしたのが光の角度と天羽関数との統一。まだ完全とは言えませんが、この式で角度の変化にかなり対応できるようになっています。天羽君が熱中しているのは可視光の成分による波長の違いによる差です。

「やはりありそうか」
「ウシがネック」

 研究進展に立ち塞がっているのが特殊撮影機。とにかく五時間もかかるのがネックです。あまりの遅さに天羽君が思わず、

「このノロマなウシが・・・」

 珍しくボヤいたので、今ではウシと呼んでいます。とにかくどう頑張っても一日に三実験。午前中と午後、さらに夜間にセットして帰ります。さらにチョコチョコとトラブります。

 実用機ではないのでかなりデリケートな部分が多いのです。ですから、今は二実験にしています。少し休ませてメインテナンスをやらないと、どうにも調子が悪いのです。黒木にも相談しましたが、

「あれはデモ機に近いから、本格的に使うとなると無理が出る。実用レベルの耐久設計じゃないからな。文句を言うなら予算に言え」

 新しく作り直さないと無理という事です。そんな予算はあるはずもなくウシを宥めすかせながら苦闘中です。


 天羽君と悪戦苦闘しながら思い返しているのは、麻吹アングルの不思議さです。実在は確実ですが、どうやって人間の目でとらえてるのだろうかです。それもファインダー越しのはずです。

 なんらかの特殊カメラや特殊レンズの可能性もありますが、そんなものが売っていれば誰も苦労しません。特注の可能性も、

「理論なしで作れない」

 ですよね。作れるのなら大喜びで販売してるはずだからです。

「専門家の意見を聞くべきだ」

 浦崎教授は良い顔しないだろうな。

「たとえば誰の?」
「青田教授」

 青田教授は学芸学部メディア創造学科。ここは写真学科としてスタートして、今は映像と音響はもちろん、それのプロデュースに重点を置いているところです。

「こんな写真家の敵みたいなAI開発に協力してくれるかな」
「あそこは大問題を抱えている」

 大問題とはツバサ杯。これはメディア創造学科出身のフォトグラファーである麻吹つばさが寄贈した銀杯です。これを巡ってのコンクールが行われるのですが、一昨年から学外にも門戸を広げるオープン化が行われています。

 これが大問題になったのは山川学長の存在。山川学長は麻吹つばさの熱狂的ファンで、ツバサ杯の学外流出阻止を青田教授に厳命したそうです。

「事実上の学長命令」
「それ以上って噂もある」

 ツバサ杯は学内に留まりましたが、

「メデイア創造学科の学生は一度もツバサ杯を獲得していない」

 ツバサ杯はグランプリ、準グランプリ、特選、入選、佳作とありますが、メディア創造学科は準グランプリどころか入選止まり。ツバサ杯を獲得したのは三年連続で写真サークルの学生なのです。そのために、

『趣味でやっているサークルの連中に、メディア創造学科の学生が歯が立たないって大笑いだな』

 こういう悪評が立ってしまっています。単純には写真のプロも養成しているはずの学科が、アマチュアの写真サークルにも及ばないとはぐらいです。この辺はメディア創造学科の重点がプロデュース能力の育成にあるらしいので同情しますが、

「とはいえ、あれだけ歴然たる差が付けば陰口は生まれるよな」
「だから協力してくれるはず」

 この辺はメディア創造学科の前身は写真学科なのもあるようで、今も伝統的に写真の技量は重視されていると言うか、重視されていると思われてるぐらいで良さそうです。だから、学内の写真サークルだけでなく、他大学の写真関係学科にも後れを取っているのが問題視されてるいるのですが

「ボクも噂で聞いたことがあるけど、ツバサ杯の季節が来るたびに顔色が悪いなんてものじゃないらしいよ」

 それにしても写真サークルのツバサ杯を獲った学生は何者なんだろう。ツバサ杯はオープン化されてから、

『学生日本一決定戦』

 こう呼ばれるぐらいの人気になっていると聞いたことがあります。なにしろ副賞がハワイ旅行ですから、学生なら張り切るでしょう。学生じゃなくとも張り切るか。ここで天羽君が、

「ツバサ杯のあの写真は麻吹アングルのはず」
「それは前に確かめたが」
「青田教授なら何か知っておられるはず」

 天羽君が言うには、あえてこの研究に専門家を入れずに理論で押したのは結果として悪くなかったとしています。その代償に写真や写真界の話にあまりにも知識が乏しすぎるとしています。その一つが麻吹アングルさえ知らなかったのです。

「何が聞きたいんだ」
「もちろん麻吹アングル。青田教授なら、その秘密の一端ぐらいは知っているはず」

 研究には壁に当たることは常識ですが、今はまさにその状態です。それを突破するる一定の方法はありません。ひたすら暗中模索を続けた末に乗り越えられるものは乗り越えますし、ダメなものはダメです。とにかく手段を選んではいけないのが鉄則です。

「わかった。一緒に浦崎教授に頼もう」
「それが良い」

 天羽君のこの研究に懸ける執念を見た気がします。