怪鳥騒動記:鳥の話

    「コトリ先輩、なに読んでるのですか」
    「メキシコの怪鳥」

 やっぱり好きだものね。

    「怪鳥と言うぐらいですから、大きいのですか」
    「そりゃ、大きいで」
    「ダチョウより大きいとか」

 そしたらニコニコ笑いながら、

    「ダチョウもデカいけど、十九世紀ごろまで象鳥っていうのがいたそうや。これがなんと高さが三・五メートル、体重五百キロもあったらしい」

 そんな化け物みたいな鳥が十九世紀までいたとは知らなかった。

    「卵が十キロもあったっていうからな」

 そりゃ大きいわ。

    「ほいでもメキシコの怪鳥は飛ぶんや」
    「飛ぶんですか」
    「鳥は飛んでこそ鳥やろ」

 それじゃ、ダチョウの立場がなくなるけど、

    「飛べる鳥で大きいと言えば」
    「アホウドリやろな。大きさを示す指標は色々別れるけど、翼開長で三・六メートルぐらいになるらしい」

 そりゃ、大きい。

    「ワシより大きいのですか」
    「ワシもでかいで。コンドルやったら翼開長は三メートルぐらいになる」

 アホウドリにも匹敵しそう。怪鳥って言うぐらいだからもっと大きいんだろうけど、

    「どれぐらいですか」
    「翼開長が五メートルぐらいあったとなってる」

 そこにユッキー社長が、

    「コンドルでも飛んで来たんじゃない」
    「ちょっと生息地域と外れるからな」

 コンドルと言えば南米のアンデス山脈だものね。

    「いつもの見間違いとか、フェーク・ニュースじゃないですか」
    「そうかもしれんけど、そんな鳥がおったらおもしろいやないか」

 この日はこれぐらいだったのですが、

    「例のメキシコの怪鳥やけど、目撃譚が増えてるで」

 まだ追っかけてたんだ。

    「記事に依るとやな、犬を襲ったそうや」
    「犬ですか」

 ユッキー社長が珍しく興味を示し、

    「犬は連れ去られたの?」
    「そうみたいや」
    「だったらコンドルじゃないわね」

 えっ、どうして。

    「コンドルは大きいけど、獲物をつかんで飛ぶには適してないのよ」

 そうなんだ。

    「ユッキー、それやったらオウギワシの可能性はあるで」
    「ハッピー・イーグルも大きいけど翼開長は二メートルぐらいよ。三メートルでも大きすぎるのに五メートルは桁外れすぎるよ」

 どうもメキシコの怪鳥は現地でも相当話題になってるみたいで、パラパラと続報が入って来てコトリ先輩は熱中されてます。

    「出た!」
    「何が出たのですか」
    「写真や写真」

 それにしても、なんと写りの悪い。

    「これじゃ、何の鳥かわかりませんね、それにサイズだって比較するものがありませんし」
    「そやけど、専門家がコンドルは否定的やと言うとる」

 それはユッキー社長が前に言ってたけど。しばらくは目ぼしい続報もなかったのですが、突然テレビのニュースに。コトリ先輩は釘づけ状態で見てます。ニュースに使われたのは動画で、

    「スマホで撮ったもんらしいけど・・・」

 これも映りが悪いのですが、突然大きな鳥が舞い降りて来て、庭に放されていた大きな犬をつかんで飛び去っていきます。

    「大きいな。たしかに五メートルぐらいありそうや」
    「それにしても派手な鳥ね。全体が緑で腹が赤みたいよ」

 この日はシオリさんも来てたのですが、

    「たしかに大きいと思うが、騒ぎに便乗してのCGじゃないのか」
    「そうよね、こういう騒ぎになると必ず出るものだし」
 そうなのよね。CGの発達は目覚ましくて、実写との区別は専門家でも難しいって言われてるぐらい。そのせいか、シーペンサーが撮影されたり、ヒマラヤの雪男が出現したり、ネス湖にネッシーが出てきたりの騒ぎがあったけど、あれも後でCGとわかったものね。

 とはいうものの、テレビのニュース映像だけでは、さすがのシオリさんも真贋を区別することは無理で、

    「もう少し決定的な映像が欲しいな。その元映像が入手できたら、サキにでも分析させるのだが」

 サキさんはオフィス加納の動画部門のチーフで、最近では映画も撮ってるぐらい。

    「シノブちゃん、悪いけど、もっと凄い映像が出てきたら、手に入れてくれないか」

 あちゃ、シオリさんも嫌いじゃないのか。物と保管状態によるけど、手に入れるのは不可能じゃないけど、

    「シノブちゃん。わたしもちょっと気になるから、シオリが欲しい映像なり、画像が出てきたら動いてくれる」

 ユッキー社長まで。でもあれよね。こういう騒ぎは便乗とか、逆に暴動騒ぎを誘発する時もあるから、その辺は業務に影響することはあるものね。

    「かしこまりました」

怪鳥騒動記:ケツアルコアトル

    「シノブちゃん、ケツアルコアトルって知ってるか」
    「アステカの神の名前です」
    「そうやねんけど・・・」

 マヤ文明ではククルカンと呼ばれてるけど、世界を創造した四神の一人。

    「これが同時に人の名前でもあるんや」

 は?

    「神の名前と人の業績がまぜこぜになってる部分があるぐらいや」

 それならわかる。

    「トルテカ文明ってのがあってな・・・」

 ミシュコアトルという神武天皇みたいな英雄がいて、クールワカンに都を築いたってなってるそう。そのミシュココアトルの息子がセ・アカトル・トピルツインって言って、

    「そうや一の葦の年に生れたってことになってる」

 息子は成長して王になるんだけど、

    「ケツアルコトル・トピルツインって名乗ったってなってる」

 長いからケツアルコアトルって呼ぶけど、クールワカンからトゥーラに遷都したんだって。ケツアルコアトルは優れた王だったみたいだけど、メソアメリカ文明では特異な主張をしたで良いみたい。

    「そうやねん、生贄廃止をやったんや」

 当時の宗教観としか言いようがないけど、メソアメリカ文明では生贄は絶対みたいな感じだったんだよね。これの廃止政策をやったもんだから、

    「テスカトリポカとの抗争が生じたんや」

 テスカトリポカは対立部族であるとも、神官グループであるとも、軍事勢力を持つ一族とも考えられてるけど、とにかく対立構図は、

  • 生贄廃止派・・・ケツアルコアトル
  • 生贄護持派・・・テスカトリポカ
    「見ようによってはケツアルコアトル教とテスカトリポカ教の抗争としてもエエかもしれん」

 この結果、勝ったのはテスカトリポカなんだけど、

    「負けたケツアルコアトルは、メキシコ湾岸までくると、蛇のいかだに乗って日が昇る方向へ去っていったとなっとる」

 その時に、

    『私は一の葦の年、必ず帰ってくる。そして、今度こそ私が要となる。それは、生贄の神を信仰する民にとって大きな災厄となるであろう』

 やっとつながった。「一の葦の年」ってなにか宗教的な意味があるかと思ってたけど、ケツアルコアトルの誕生年だったんだね。

    「神話にこのエピソードが入り込んでややこしなっとる部分があるねん」

 だろうな。だってケツアルコアトルは東の海に出て行って帰ってないんだもの。

    「ここでコトリの興味はケツアルコアトルがいつ生まれかやねん」

 一の葦の年にホントに生まれたかなんて確認しようがないけど、一の葦の年なら五二年ごとに来るから推測は可能よね。

    「通説ではトルテカ文明はテオティワカン文明崩壊後に台頭したとなってる」

 テオティワカン文明は紀元前後から七世紀ぐらいまで続いた文明で、今でもメキシコシティの近くに最大の遺跡が残ってるのが有名。

    「メソアメリカ文明も並立があってな・・・」

 大雑把にわけるとメキシコ中央高原とユカタン半島に別れるんだけど、ユカタン半島にはマヤ文明がずっと頑張ってるんだけど、メキシコ中央高原は栄枯盛衰があったぐらいかな。

    「トルテカ文明の始まりは七世紀ぐらいでエエと思うんやけど、問題は終りや」

 この辺の考古学的論争はあるんだけど、

    「コトリはチチメカ族の侵入説を取ってる」

 チチメカとは「乳を飲ませる」の意味らしくて、遊牧民族らしいのだけど、

    「メソアメリカ版のゲルマン民族の大移動でもあったぐらいの見方や。中国なら北方民族の侵入かな」

 チチメカには「新しく来た人」の意味もあるらしいから、コトリ先輩の見方も一理あると思う。クアウティトラン年代記てのがあるらしいけど、

    「十六世紀に作られたもんらしいけど、原本は無くなってて、十七世紀の写本が元やそうや」

 さらにトルテカ・チチメカ史もあるたしいけど、これも十六世紀に書かれたものらしい。どっちも成立が新しいと言えば新しいけど、

    「さらに原典があったと見るのが妥当やと思うで」

 とにかくそれぐらいしかないものね、

    「ケツアルコアトルはトゥーラを建設して、去ってるやろ」
    「そう見れますね」
    「トルテカ・チチメカ史には一〇六四年にトゥーラに到着したとなってるねん。一方でクアウティトラン年代記にはトルテカ王国は終焉したとなっとるねんよ」

 どういうこと?

    「中国式ちゃうかな。トルテカの方が文明は進んどったけど、チチメカの方が武力は強かったてことや。それでもって、トルメカを滅ぼしたチチメカはトルメカの後継者を名乗ったぐらいや」
    「だったらケツアルコアトルがトルメカ王で、テスカトリポカがチチメカ王ぐらいですか」
    「そう見とる」

 そうなるとトルメカ文明は

  • 七世紀から十一世紀半ばまでのトルメカ王国
  • 十一世紀半ばから十二世紀のチチメカ王国

 この二つがあったことになるかもしんない。

    「ここでやけど、トゥーラは地名でもありそうやけど、単に都って意味もあるそうやねん。他にも理想郷とか、憧れの都市とか」
    「では一つじゃない」

 コトリ先輩の説は面白くて、ケツアルコアトルはトルメカ王の中でも傑出していたんだろうとしてるのよ。だからこそケツアルコアトルと名乗ったなり、呼ばれたんだろうけど。

    「当時は神官王でエエと思うけど、ひょっとしたらもう一歩進んで神王やったんかもしれん」
    「エジプトのファラオみたいなものですね」

 要は代々の王もケツアルコアトルを名乗っていた可能性もあるんじゃないかって。

    「ではチチカカ王を迎え撃ったのはセ・アカトル・トピルツインじゃなくて」
    「子孫やったんかもしれん」
 コトリ先輩はもう一歩考えてた。メソアメリカ文明も多神教だけど、トルメカ族はケツアルコアトルを守護神ぐらいにしてたんだろう。神の扱いは信奉する部族の興廃に連動するから、この時期に神としての地位が上がったんだろうって。

 後から侵入したチチカカ族はテスカトリポカを守護神としてたけど、ケツアルコアトルも取り込んで崇拝したんじゃないかって。

    「そやから初代のケツアルコアトルは七世紀まで遡れる可能性があるってことや」
 コトリ先輩との歴女の会はおもしろい。

怪鳥騒動記:アステカ暦

 今年はシノブがクレイエール入社してから七十六年目、エレギオンHDが出来てから四十一年目、そして夢前遥が三十一歳になる年。シノブはユッキー社長や、コトリ先輩と三十階住まいなんだけど、今夜も酒盛り。

    「コトリ先輩、歴女の会の頃が懐かしいですね」
    「そやなぁ」

 クレイエールで歴女の会を作ったのはコトリ先輩で初代会長。シノブだって元会長。

    「歴研と討論会やった頃は、シノブちゃんはまだ女神やなかったもんな」
    「そうそう、ごく普通の人の結崎忍でしたよ。お別れパーティの夜も覚えてますか」
    「忘れるかいな。ミサキちゃんとマルコにどれだけ見せつけられたことか」
    「マルコがお姫様抱っこでキスしまくりでしたものね」

 そこにユッキー社長が、

    「そんな会だったんだ」
    「ちょっと違うけど、まあそんな会。とくにお別れパーティは盛大やった」
    「なんのお別れだったの」
    「女神とお別れ、コトリとお別れのつもりやった」

 ユッキー社長はちょっと小首を傾げて、

    「それってカズ坊のマンションに来る前の話?」
    「そうや。四百年ぶりに五女神がそろた時や」
 神々との対決やエランの宇宙船騒動もあったけど、あの時の二人の対決が一番怖くて凄まじかった。見た目は平然と会話を交わしながら、首座の女神と次座の女神が本気で離れて組み合ってたんだものね。

 もちろんあの時にシノブもいたんだけど、ソファから身動き一つ出来なかったもの。あれも動かすまいとする首座の女神と、そうはさせまいとする次座の女神のつばぜり合いだったんだ。部屋中にピリピリするというか、あれは殺気が渦巻いてた。

 なんとか二人の妥協が成立してマンションから生きて帰れたけど、消耗しきったコトリ先輩は玄関で倒れて意識不明となり入院となり、二週間も目を覚まさなかったぐらい。そんな二人が同居してニコニコと話をしてるんだから世の中不思議なものだ。

    「また歴女の会やりたいですね」
    「そやなぁ。でも、ムリやなぁ」

 そうなのよね。出世しすぎちゃってコトリ先輩が副社長でシノブが専務。

    「でも二人でも出来るやんか」
    「だったら、わたしも入る」
    「それやったら三十階の歴女の会でもやるか」

 歴女の会って言っても三人だけだけど、

    「クレイエールの歴女の会の始まりも、こんなノリやってんよ」
    「でも輪は広がらないですよ」
    「そこは言わない。アカネさんは無理でもミサキちゃんは入るで。元会員やし。シオリちゃんも入るかもよ」

 ユッキー社長が、

    「でも、クレイエールの歴女の会はミーハー歴女の集まりだったはずよ」
    「あれも楽しいけど、三十階は本格派やろうや。シノブちゃんもだいぶ目覚めたし」

 伊集院さんとムックした富士川は燃えたものね。

    「コトリ、ところで何読んでるの」
    「世界の怪奇現象」
    「好きだねぇ」

 どちらかと言わなくとも合理主義者のユッキー社長に較べると、コトリ先輩はその手の怪奇現象がお好み。

    「UFOとか」
    「ホンモノが来たやんか」

 だよね。あれだけ文明が進んでいたエランでも、時空トンネル使ってやっとこさ地球に到達だし、宇宙探検もかなりやったみたいだけど、地球以外で知的生命体の存在どころか生命体の痕跡さえ見つからなかったって言うし。

    「そう言えば、ちょっと前に調べてたのは?」
    「アステカ暦」

 マヤ文明とするのがポピュラーだけど、中南米で栄えたメソアメリカ文明で使われていた暦のこと。

    「一の葦の年が気になってな」

 メソアメリカ文明の掉尾を飾るのはアステカ帝国だけど、たった三百人のスペイン人コルテスに滅ぼされちゃうんだよね。その時の原因の一つとされるのが『一の葦の年』ともされてるんだ。

    「アステカ暦は十三日周期の数字で表す日付と、二十日周期のモノを現す日付の組み合わせで表してたんや」
    「十干十二支みたいなものですね」
    「さすがシノブちゃん、理解が早いわ。アステカ暦は十三干二十支ってところやな」

 日本の干支表記も今は年しか使われてないけど、かつては、

  • 日干支
  • 月干支
  • 年干支

 この三つが使われてたんだよね。

    「そういうこっちゃ。アステカ暦も一年は三百六十五日やってんよ。そこでやけど二十日周期の方を一ヶ月にしとったらしい」
    「でも五日余りますよ」
    「アステカ暦では一年は十八カ月で、それぞれの月の名前が付いとったけど、最後の五日は無名の月にしとったらしい」

 そうなんだ。

    「それとアステカ暦の場合は年を数える時は日と違ったんや」

 干支の場合は日も、月も、年も数え方は同じだけど、アステカ暦では十三の数字は同じでも、物を現す方は四つしか使わなかったんだって。

    「二十日周期のうち、三・八・十三・十八番目だけ使とって、家、うさぎ、葦、石刀になるんや」

 元年が「一の家の年」で、二年が「二のうさぎの年」って感じね。

    「この組合せは五十二年で一回りする。干支やったら還暦って感じやな」

 そっか「一の葦の年」は五十二年に一回しか回って来ないんだ。マヤ文明というかメソアメリカ文明も長いんだけど、アステカ暦がいつから使われてたかになるけど、

    「遅くとも紀元前五世紀ぐらいから使われたみたいや。メソアメリカでは天上には十三の層があると考えられていたから、十三は神聖な数字として扱われ取ったでエエやろ」
    「じゃあ、二十日の方は」
    「こっちはようわからんけど、二十進法やったという説もあれば、両手両足の指が二十本やったという説もある」

 メソアメリカ文明ではかなり早くから定着してた数え方ぐらいと見て良さそう。

    「スタートの日ってわかってるのですか」
    「うん、スペインがアステカ帝国を制圧した時に、キリスト教の布教のために古くから伝わる書物を集めてほとんど焼いてもたんや」
    「そのためにメソアメリカ文明は謎のベールに包まれてしまったとされてますよね」

 それでも生き残った書物の中にチラム・バラムの書があるんだって、そこのオシュクツカブ年代記が計算の根拠らしいけど、

    『一五三九-一五四〇年のカレンダー・ラウンド十三アハウ七シュルの日にトゥンが終わる』

 なんじゃこりゃ、

    「これはマヤ暦の読み方になるんやけど・・・」

 マヤ暦では十三アハウが日付で、七シェルが月の名前になるんだって。アハウは二十日周期の二十番目、シェルは十八か月制の六月ってところ。トゥンは長期暦の数え方の一つで三百六十日の単位だそう。

    「同時にカトゥンの終りも一緒やねん」

 カトゥンは二十トゥンになって七千二百日になるんだけど、トゥンの終りとカトゥンの終りが十三アハウ七シェルになるのは一万八千七百年に一度ぐらいしかないから特定できるんだって。

    「計算はコンピュターに任せたらエエんやけど、マヤ暦のスタート日は紀元前三一一四年八月一一日になるんや」

 メソアメリカ文明の長期暦はこの日を期限にして何日目って表現が使われるんだって。

    「もっともやけど、スタートの日なんて、日本の神武天皇の即位日みたいなもんでエエと思うで」
 シノブもそう思う。紀元前五世紀ごろに神官たちが、様々な神話や伝承を組み合わせて捻くり出したんもんだろうって。

次回作の紹介

 紹介文としては、

 メキシコに怪鳥が出現。当初は存在さえ疑われますが、実在の可能性が徐々に高まりシノブも情報収集に務めます。そんな調査の時に出会ったのが鳥類研究家の平山博士。二人は魅かれあいますが、ついに怪鳥はメキシコで仕事中のアカネの前に姿を現します。


 怪鳥は現地調査に当たっていた平山博士の恩師である山科教授を襲っただけでなく、メキシコを恐怖のどん底に陥れます。怪鳥はメキシコ軍の攻撃を物ともせず、NORADまで襲いブラジルに移動します。そんな怪鳥の最大の脅威は人類の食糧を食い尽くすこと。


 日本でも対策会議が開かれますが、山科教授亡き後第一人者となった平山博士は政府の対策会議で東京で引っ張り凧になります。さらに有効な対策が見つからず政府は平山博士をブラジルに派遣しようとします。


 これを聞いたシノブは平山博士の身を護るために重大な決断をします。また人類滅亡の危機にユッキーもコトリも立ち上がります。最後にユッキーが編み出した秘策とは。

 小説と映像は扱う分野が異なるところがあると思っています。小説が苦手なのはやはり動きがあるもの。スポーツ小説なんかが典型的と思っています。スポーツ小説にも名作と呼ばれるものがありますが、クライマックスが映像とは異なります。

 映像なら試合なりのシーンがクライマックスですが、小説では決戦に到るまでの過程や心理描写が中心にならざるを得ません。文字ではどう頑張っても限界がありますからね。

 怪獣も小説にするのが難しい分野と思っています。そりゃ、映像に現れる怪獣の存在感を文字にするのは容易なものではありません。だったら書かなきゃ良いようなものですが、書いてしまったのがこの作品です。

 怪獣映画にはいくつかポイントがありまして、まず怪獣が現れる必然性です。つまりどこから出て来たかです。理由もなく突然現れるってパターンもありますが、映像では可能でも小説なら工夫が求められるところです。

 次にどんな怪獣にするかです。たとえば物を食うのか、食わないかも考えどころです。怪獣と言えども生物ですから、どこかから栄養補給が必要と設定するのか、そんなものを無視するのかです。

 知能の問題も出てきます。本能に従ってただ暴れ回るのか、高度な知能を持つのかです。知能を持つ怪獣と言われてもピンと来ないかもしれませんが、たとえばウルトラセブンのメガロン成人とか、ガッツ成人を思い浮かべてもらえたらと思います。

 それと怪獣退治の方法です。登場させたからには退治しないといけません。ここもお決まりですが、人類の通常兵器では歯が立たない設定も必要になります。ですから、あっと驚く新兵器を登場させるか、ライバルが現れてくれて相打ちにするのかぐらいは必要です。

 映像なら適当に流せる部分が小説には求められるぐらいでしょうか。わかっていたつもりでしたが、書くと大変な代物でした。それでもシノブのロマンスも上手い具合に入れられて個人的には満足しています。

怪鳥騒動記

昔の遊び

 ツイッターで拾ったネタですが、某小学校の冬休みの宿題というか課題に、

    昔の遊び

 これを調べるというか、体験する的なものが出たそうです。ココロは羽子板、凧揚げ、いろはカルタ、双六、福笑いぐらいでしょうか。そういう遊びは私の世代はまだ知っているというか、

    やったことがある
 ツイッターでは初代ファミコンを出したそうですが、あれだって既に昭和の産物。小学生の親世代なら十分に昔の遊びになると思った次第です。

 この辺は個人差もあって一概に言えませんが、子どもの遊びはファミコン登場でゴロっと変わった印象を持っています。私はファミコン前の世代に入るので古典的な遊びも経験というか、当たり前のようにやっていますが、ファミコン後の世代になると激減している気がします。

 ファミコンの登場は昭和58年で、ファミコンが登場した年に生まれた子どもは今年で37歳になります。ファミコン登場時に5歳なら42歳になります。つまり小学生の親ならファミコン後の世代に既に入っていると見てよいと思います。そういう親世代に古典的な昔の遊びと言われても、

  • 親から聞いたことがある
  • 授業で習ったことがる
 こうなっている人が多くなっていても不思議ないと思います。結局のところ「昔」の定義は個人差が大きく、年数が進むほどスライドします。ごく単純には平成が終わりましたが、今の小学生なら昭和は余裕で昔でしょう。

 もう歳がバレているようなものですから、私の生まれた年の30年前になると余裕で戦前です。そうですね、満州事変が起こっているぐらいの年になります。そのまま当てはめるのは無理があるかもしれませんが、今年生まれる子供の30年前は平成なのです。今年は令和2年ですが、これだって20年もすれば、

    それは平成のお話
 そうなるのは時間の問題ですからね。もっともそこまで私は生きてない可能性が高いですけど。


 明後日ぐらいから次の連載に入るので今日書いときますが、阪神大震災からも25年になります。あの年に生まれた長女も24歳になるということです。神戸ではこの時期になると震災追悼があれこれ行われますが、あれも既に昔に入っているとしても良いと思います。

 まだまだ経験者は残っていますが、これだって次の四半世紀が過ぎればほとんどいなくなります。せめてこうやって頭がしっかりしている間にせめて書いときます。もっとも四半世紀後に、この「はてな」が残っているかどうかは、誰にもわかりませんけどね。