アカネ奮戦記:タケシ

 ボクは青島健。オフィスでは『タケシ』と呼ばれてます。関東芸術大学時代から幾つものコンクールに入賞して名も売れてましたし、フォト・ワールド誌に、

    『これからの活躍が期待される若手十人』
 こうやって取り上げられたこともあります。大学卒業後は独立してプロの世界に入りましたが、入ってみるとそりゃ厳しい世界なのがヒシヒシとわかったのです。仕事の依頼もありましたし、なんとか食べられましたけど、それだけ。

 芸術系のプロはまさに弱肉強食。良い仕事や、大きな仕事は有名プロに集まり、ボクのような駆け出しの新人に回って来るのは、そのおこぼればかりです。そりゃ、なんでも最初はそうですけど、フォトグラファーの世界では化物と怪物が君臨しています。化物と怪物とはオフィス加納の四人で、

    『光の魔術師』麻吹つばさ
    『渋茶のアカネ』泉茜
    『白鳥の貴婦人』新田まどか
    『和の美の探求者』星野サトル
 有名なだけではなく写真の質が途轍もなく高いのです。とにかくプロであるボクでさえ、どうやったら、ああ撮れるのかさえわからないぐらいの差があります。新田先生や、星野先生の独特の美も驚かされますが、もっと凄いのは麻吹先生と泉先生。

 この二人には独特の美さえないのです。無いと言うのは変な表現ですが、どう言えば良いのでしょうか、独特の美なんて世界を超越したところで羽ばたいてるとすれば良いかもしれません。あんな怪物や化物が君臨する世界では、いつまで経ってもボクは燻るしかないと痛感させられました。


 ところでプロになる方法ですが、別に資格試験とかなく、あくまでも自称だけで、ボクも名乗ってました。ただ資格試験こそありませんが、業界的にそこで頭角を現せば一流のプロとして認められるところはあります。

 一つは西川流のトップエリートが集まる東京のシンエー・スタジオで、もう一つは写真を目指す者の聖地とまで呼ばれる神戸のオフィス加納です。どちらも入るのさえ難しいところですが、シンエー・スタジオに入るには、西川流の総本山とまで呼ばれる赤坂迎賓館スタジオをクリアする必要があります。一方でオフィス加納は入門志願書を送るだけです。

 こう書けばオフィス加納の方が入りやすそうですが、滅多なことでは採用されないのもまた有名です。さらに入門出来たらオーライかといえば、全然そうではありません。オフィス加納に入門できても、多くの弟子が逃げ出してしまいます。知り合いに元弟子がいたので聞いてみたのですが、

    『あの辛さは・・・』
 そこで絶句したぐらいです。もうちょっと聞くと、よくある無意味な内弟子修業的な辛さとか、新入りイジメみたいな世界は皆無で、写真の修業で求められるレベルの高さに悲鳴を上げるぐらいで良さそうです。

 そのためか、新田先生を最後にオフィス加納で認められたプロが出ていません。オフィス加納でプロとして認められるのに比べたら、司法試験や国家上級公務員試験なんて簡単すぎるように見えるぐらいです。

 でもボクは決心しました。オフィス加納の門を叩こうと。それぐらいのレベルを越えないと一流のプロにはなれないからです。入門志願書を送って一年ぐらいしてから、ついに待望の面接通知が舞い込み勇躍神戸のオフィス加納に。無事採用され、泉先生の弟子になれました。


 入ってみたオフィス加納はまさに別世界。とりあえず人間関係は和気藹藹。始終、なにか悪戯を仕掛け合ったりするところで、もうアカネ先生と呼ばせて頂いてますが、

    「ここは写真スタジオで、武術とかコントの道場じゃないんだよ。どうしてドア一つ開けるのにこれだけ緊張しなきゃいけないんだよ」

 と言って開けて部屋に入った途端に、

    『ガッシャン』

 金盥がアカネ先生を直撃。お茶も先生自ら淹れてくれる時もありますが、

    「ぐぇぇぇ」
 これがあの『渋茶のアカネ』の呼び名の由来の極渋茶だったのです。こりゃ、強烈だわ。もちろん師匠には敬意は払いますが、体育会系的な上下関係と言うより、そうですね、学校の先生と生徒ぐらいの関係と言えば良いのでしょうか。

 先生を呼ぶ時もアカネ先生だけではなく、麻吹先生はツバサ先生ですし、新田先生はマドカ先生、社長である星野先生ですらサトル先生なんです。ボクは新入りですから他のお弟子さんはすべて兄弟子になりますが、

    『聖地へようこそ』

 こんな感じで歓迎会をしてくれました。ここも先輩、後輩と言うより写真を学ぶものの同志って感じでしょうか。そこであれこれアドバイスももらったのですが、

    「最初は辛いぞ」
    「いや、その先も辛いよ」

 どうも弟子になると雑用から始まるようですが、

    「タダの雑用係じゃないよ。すぐにわかるだろうけど、ここには無意味な仕事は皆無だ。雑用だって命を削られるぞ」
    「本当に命を削るのはアシスタントだけどな」

 アシスタントぐらいならと思ったのですが、

    「こればっかりは口で説明出来ないからな。まあ、嫌でもすぐわかるさ」
    「そういうことや。ここで生き残るには、燃えるような向上心や」
    「そんなもんじゃ足りないよ。魂をカンカンに燃え上がらせてイイぐらいかな」

 四人の先生の指導ぶりも聞きましたが、

    「どの先生も手抜きなしや。それも半端やないぐらいと思ったらエエ。タケシが付いて行く限りは見放さへんけど、これでもかってぐらいに容赦無しと思といたらエエ」
    「とくにアカネ先生やろ。あの先生の指導は・・・」
    「それはタケシがこれから思い知らされるし」

 オフィス加納には西川流のような段級制度は無く、フォトグラファーになれるか、なれないかのところであるのは、よくわかりました。

    「とりあえず、次の新弟子歓迎会にタケシが居る事を祈っとくわ」
 どんな修業が待ってるんだろう。なにか薄ら寒い予感が背筋を走っています。

アカネ奮戦記:天女伝説

 二回目のマルチーズの刑の後だけど、一回目の経験のあるアカネさえ驚いた。首座の女神がやると、ここまで出来るんだと腰抜かした。ツバサ先生の一回目が人基準の美人なら、ユッキーさんがやると、まさに

    『天女』

 自分の体と顔なのに信じられないぐらいの変わりようだった。コトリさんに言わすと、

    「ユッキーの趣味的にはこうなるな」
 言われてみればユッキーさんにもそんな雰囲気はある。考えてみりゃそうだよな。女神は自分の好みの容姿になってるんだけど、他人を変える時も自分の趣味が出るだろうし。


 そんなわけで天女にさせられたアカネにコトリさんが天女伝説を教えてくれた。コトリさんは歴女だから、この手の話にも詳しいんだ。

 天女伝説っていうと一般的には羽衣伝説で、天女が羽衣を脱いで水浴びしてるところを通りがかった男が羽衣を隠してしまって・・・この後はバリエーションがあるそうだけど、始まりはそこからだけど、

    「これはちょっと変わってる」

 天女が泉に舞い降りるところまでは同じだし、そこである貧しい男が天女を見つけるところまで同じだけど、他のところと違うのは羽衣を隠したりはしないんだ。目の眩むほど惚れまくった男は、どうやって天女と結ばれるかだけを考えるんだよね。男が目指したのは、

    『天女に認められる男になること』

 そこから死に物狂いで働くんだ。がんばって、がんばって、その地方で一番の長者になるんだけど、天女が男の前に現れる気配すらなかったんだ。がっくりした男は家屋敷も売り払って旅に出ちゃうんだ。あちこちを旅した男は仙人に出会うんだよ。仙人に天女と結ばれたい願望を相談すると、

    『天女と結ばれるのはとても難しい。天女と結ばれるには長者になるだけでは無理で、心優しくならねばならない』
 こんなものアドバイスにならないと思うけど、再び男は働いて、働いてまた長者になるんだ。それだけじゃない、精進して、精進して心優しい長者になるんだ。そこまでの男となれば、あちこちから縁談が申し込まれるんだけど男は全部断っちゃうんだ。

 そんな頃に男の評判を聞いたお城のお殿様は、この男をお姫様の婿にしようと考えるんだ。お殿様はお姫様の婿にするのだから、断れるはずがないと考えて、男の屋敷にいきなり正式の使者を送っちゃうんだよね。

 使者が来る前に男の周囲の人々は、この縁談を受けるように勧めたんだ。もし断ったりしたら大変なことになるかもしれないって。ところが男は、

    『お断りします』

 断っちゃったんだ。心配する周囲の人々に、

    『これしきの事で挫けるようなら我が願いが叶うことなどありえませぬ』

 面子を潰されたお殿様は怒っちゃったんだ。怒って、怒って、男に無理やり罪を被せて牢屋に放り込んじゃったんだ。それだけでは腹の虫がおさまらないお殿様は、この男を死刑にしてしまうんだよ。刑場に引き出され、磔台に立った男は最後に、

    『今世での願いは叶わず。来世にてこれを叶えん』

 こう叫んで槍で刺される瞬間に天から声がしたんだって。

    『その願い聞き届けたり』

 あっと思うと空から天女が舞い降り男を抱きかかえて天高く昇って行ったそうなんだ。男の心を確認した天女は、ついに自分に相応しい男と認め、天上界でいつまでも幸せに暮らしたんだったとさ。

    「アカネさんも天女になったんだから、こんな男がきっと現れるで」

 だ か ら、アカネは女神でも天女でもなく人だって。そこはとりあえず置いとくけど、二回目にやられてからも十三年だよ。そんな男がこの世のどこかにいて、アカネの愛を得るために日々精進してるとは思えないよ。

    「まあ、天女でもアカンかったら、次はコトリの出番やな」
    「けっこうです」

 ツバサ先生まで、

    「アカネのキャラ的には前の方が」
    「だめよシオリ、今のアカネさんはわたしのお気に入りなんだから」
    「そやけどやで、未だに男が出来へんやんか。ここはコトリが・・・」

 あのなぁ。さらにツバサ先生の追い討ちが、

    「これだけ外見いじくっても男が出来ないと言うことは、究極の性格ブス決定やな」

 ウルサイわい。こんなの心優しいアカネが性格ブスのわけないだろうが。でもさすがに心配になってミサキさんに聞いてみた。ミサキさんは女神の中で別格に人に近い感覚を持っている常識家なんだ。

    「アカネさんは性格ブスではありません」

 ほらみろ、アカネはミサキさんなら信じる。他の女神どもは置いとく。

    「ただアカネさんに合う人が限られるだけです」
 こらぁ! でも合ってる気がしないでもない。だから今年こそ、今年こそだよ。

アカネ奮戦記:初詣

    『パンパン』

 えっと、神社にお参りする時って二泊二日弾丸ツアーだっけ、なんか違う気がするけど、とにかく頭を下げて、

    「今年こそ運命の男に出会えますように」
 泉茜三十五歳、これは初詣だから今年で三十六歳。職業はフォトグラファー、オフィス加納所属。あれから、もう十六年になるんだ。

 どうしてもフォトグラファーになりたくて、大学中退してツバサ先生の弟子になったのが二十歳の時。そこからツバサ先生にビシバシに鍛え上げられてプロとして専属契約を結んだのが二十二歳の時。

 そこからプロのフォトグラファーとしては順調だったでイイと思う。しかしアカネには厄介な知り合いがいる。そう女神ども。それも五人もいるんだよ。そんな連中と知り合ってしまったのは、アカネにとって良いことか悪いことかは微妙過ぎる。

 だってさぁ、ツバサ先生まで女神だったんだよね。ツバサ先生がいなかったらアカネがプロになれる可能性なんてゼロだったから、女神には感謝しないといけないところはある。だけどだよ、女神は突拍子もない悪戯をするんだ。


 もともとのアカネは骨格標本のペッタンコ。体だけでなく顔もペッタンコで、髪はチリチリの天然パーマ。それでもだよ、生れてから二十二年も付きあってきたから愛着はあったんだ。そりゃ、もうちょっと胸だって欲しかったし、目をつぶらにして、鼻だってもう少し高く・・・

 そしたらツバサ先生は突然トンデモない事を言いだしたんだ。その頃のツバサ先生は女神の自覚を取り戻した頃で、色々と力を試したかったぐらいでイイと思う。

    『そうだユッキー、イイ機会だから練習しときたいけど』

 女神は人の容姿を変えられるって言うんだよ。道理でどの女神も人とは思えない、いやあいつら人じゃなくて女神だけど、神々しいぐらい綺麗なんだ。その力は人にも使えるっていうんだけど、怖くなってどこまで変えられるか聞いたんだ。

    『シオリの力ならなんにでも変えられるけど、たとえば・・・』
    『たとえば』
    『犬にするのだって可能よ』

 ツバサ先生だって初めてやるわけじゃない。失敗したら犬になるって言われた上に、

    『シオリ、そうっとよ。わたしでも犬まで行ったらホントに戻す自信ないし』
    『わかった、わかった。さあ、アカネ観念せい。犬になってもユッキーが飼ってくれる』

 ユッキーさんは犬になってもマルチーズにして飼ってくれるって慰めの言葉・・・そんなもの慰めになるか! そしてなす術もなくやられた。幸いなことにマルチーズにはならなかった。それどころか、

    「これは誰ぇぇぇぇ」

 骨格標本のペッタンコはツバサ先生ばりのポヨヨ~んになり、目鼻パッチリのサラサラ黒髪。そのうえ女神同様に歳を取らない体にされちゃったんだ。羨ましいと思うかもしれないけど、とにかく完全に別人みたいなものだから、

    「どなたですか」
    「あんた誰?」
    「アカネだって。冗談じゃない、こんな娘を産んだ覚えはありません」

 本人だって誰だかわからないぐらいだから、親兄弟までアカネと認めてもらうまで、そりゃ大変だった。とにかく靴のサイズまで変わるんだよね。それがだよ、二回目まであったんだ。今度は首座の女神のユッキーさん。またもや、

    「これは誰ぇぇぇぇ」

 ツバサ先生にやられた時はグラマー系の美女だったけど、今度は清楚というか気品のある面立ちで、スタイルだってスリム系でダイナマイトという代物。再び、

    「どなたですか」
    「あんた誰?」
    「アカネだって。冗談じゃない、こんな娘を産んだ覚えはありません」
 幸い三回目は今のところない。三回目がないように極力三十階は避けるようにしてる。美人にしてくれたのは感謝しないといけないかもしれないけど、この調子でやられ続けると、そのうちミスってマルチーズにされかねないもの。


 それでもマルチーズの試練に耐えて綺麗にはなった。なったけど今年で三十六歳なんだ。アカネは独身主義者じゃない。もちろんレズでもない。結婚願望だって強いし、子どもだって欲しい。

 どうしてだよ、どうして結婚どころか恋人の一人も出来ないんだよ。そりゃ、ツバサ先生が先に結婚したのは年上だから認める、マドカさんも同上。ショックだったのはミサキさん。ミサキさんは三座の女神にして、先代が香坂岬、今が霜鳥梢だけど、アカネより霜鳥梢は六つも年下なんだよ。そしたらコトリさんが、

    「そろそろ売れ残りの会に入る?」

 誰が入るもんか。でも真剣にヤバイと思い始めてる。キスさえまだなんだよ。当然だけど体もまっサラのまま。そりゃ、むやみに経験を焦るのは良くないだろうけど、無しで一生終えるのは絶対イヤだ。そしたら今度はツバサ先生が、

    「要するに写真以外に取り柄が何もないってことだ」
 いくらツバサ先生でも失礼だろ。そりゃ、四字熟語や諺や格言は苦手だし、方向音痴じゃないつもりだけど地理も苦手でよく迷子になる。とくに東京は苦手。日本語も怪しいと言われることもあるけど英語は論外。だから海外オファーは極力避けてる。

 料理もホントは何を作りたかったか意味不明の物がしばしば出来上がるし、整理整頓も大の苦手で、掃除洗濯も好きじゃない。字は自分で書いたはずなのに読めなくなる時があるし、絵も下手っぴ。

 人の話を聞いてないし、聞いてもしょっちゅう勘違いと早とちりする。教えられた通りにする事はまずないし、自分流儀はテコでも譲らない。とにかくお手本通りにするのが一番苦手。だから礼儀作法とか、マナーは天敵で・・・たしかにフォトグラファーになってなかったら、ロクなもんになってなかった気がしないでもない。

    「でも写真だけは、呆れかえるぐらいの才能がある。フォトグラファーはアカネの天職だ。それだけで十分だろう」

 この商売は合ってると思うけど、だからと言って男への縁も無いのはおかしいだろ。

    「心配するな、必ず現れる。焦って変なのに遊ばれるな」

 間違いじゃないけど三十六歳だぞ。でもさぁ、ここまで残っちゃったんだから、やっぱりロールプレイング・ゲームじゃなかった、ロシアン・ルーレット、これも違うぞ、なんだっけ。ええい、難しい言葉を使おうとするからややこしくなる。とにかく、

    「イイ男が欲しい」

 自分で言ってゾッとした。これって女神どもの口ぐせじゃないか。とにかく今年こそは恋人作って、根こそぎ経験して、ヴァージン・ロードを歩いてやるんだ。

    「アカネ、歩くだけなら結婚式場の仕事に行ったら出来るぞ」
 ウルサイわい。

次回作の紹介

 紹介文は、

 一流プロを目指しオフィス加納の門を潜ったタケシ。師匠と仰ぐアカネへの秘めたる恋。この恋を実らすにはオフィス加納でプロになる事と精進を重ねる日々。タケシの恋を応援するツバサ、ユッキー、コトリ。しかしタケシはツバサに与えられた課題に苦悩し失踪。はたしてアカネはタケシの恋に気づくのか。波乱万丈の恋物語です。

 こんな感じで、タケシのフォトグラファーとしての成長と、アカネの恋を軸にしたお話です。登場以来、我ながら使いやすいキャラのアカネですが、これに恋をさせるのは大変でした。

 ラブ・ロマンスをさせようにも、しっとりとした情感とか、微妙な心理の揺れ動きを描写するには難しすぎるキャラ設定だからです。ですから独身のままにしておく方向性もあったのですが、それはそれで可哀想です。ですから、無理やりでも恋をさせようと頑張ったのが本作になります。

 舞台はオフィス加納ですが、この作品でツバサのキャラに弟子好きの一面と姉御肌を濃くさせています。書いている時は、そうしないと話が進まない面があっただけですが、後の作品に活用できたので結果オーライぐらいでしょうか。

 それとアカネのキャラは使いやすい半面、少しシリアス系の話になると困るところがあるのですが、登場させているだけで華がある気がします。その辺を出来るだけ活かしたつもりの作品です。渋茶のアカネに匹敵する出来と個人的には思っていますが、それはそれ、評価は読者に在りです。

アカネ奮戦記

五十年のタイムトラベル

 ハインライン、アシモフと来たらアーサー・C・クラークになり、クラークとなると2001年宇宙の旅になります。ハインラインの時にも書きましたが、2001年宇宙の旅どころか、続編である2010年宇宙の旅の時代も通過してしまっている自分に苦笑しています。

 ちなみにクラークは続編として2061年宇宙の旅、さらには3001年終局の旅まで書いていますから、こちらの続編の時代までは見るのは難しそうです。

 2001年宇宙の旅はスタンリー・キューブックが映画化していますし、この映画も不朽の名作とされていますが、正直言って難解でした。じゃ、小説ならどうだと言われると、一度読みましたが、あんまり面白くなくてそれっきりです。どうもクラークの作品とは相性が悪いようです。


 SF映画の名作の一つにブレード・ランナーがあります。原作はアンドロイドは電気羊の夢を見るか? でフィリップ・K・デックの作品です。デックの作品はよほど映画化との相性が良いみたいで、ブレード・ランナー他にもトータル・リコールなど10本ぐらいあるみたいですから、正直なところ驚かされます。

 ブレード・ランナーの映画化も難航したようですが、リドリー・スコットが描いたとくに冒頭部の世界をデックは絶賛したとなっています。私も見たことがありますが、テクノロジーは未来的なものを見せながら、現代の風俗も混じりあってるぐらいでしょうか。

 こういう未来世界の描写はそれまでなかった気がしています。未来世界の一類型として、お清潔社会がある気がしています。下手すれば服までユニフォーム状態です。そればかり見ていたので、未来とはそんなものだと思っていましたが、そっちの方がおかしいと感じたのがブレードランナーとすれば良いでしょうか。

 未来と言っても過去の延長線上に存在します。ちなみに毎度毎度嫌になるのですが、ブレードランナーの冒頭シーンは、なんと2019年の設定です。そう今年です。そりゃ、千年先とかの話ならともかく、数十年先なら今の風俗がある程度残っているとするのが現実的な気がします。


 SFではタイムトラベルものはポピュラーな設定です。未来へのタイムトラベルは現在でも理論上は可能です。ハインラインが夏への扉で使ったコールド・スリープもありますし、宇宙を光速に近い速度で飛べば、宇宙船内の時間の進みは遅くなり、猿の惑星状態で未来にたどり着けます。

 もっと現実的なタイムトラベルもあります。私だって半世紀ぐらいの記憶があります。50年かかって50年後にタイムトラベルを重ねてきたと言えなくもありません。

 子どもの頃に50年先にはどんな未来があるかはワクワクしてましたし、ごくごく素直に夢の社会を想像していました。では現実はどうかですが、ガシェットはSF作家でさえ想像できないものが出現しています。たとえば、これを書いているPCもそうですし、PCからつながるネットもそうです。ごくシンプルにスマホなんて驚異的なモノのはずです。

 では社会の仕組みはどうでしょうか。50年前の人間でも、半年もすれば余裕で馴染めるような気がしています。ガシェットの使いこなしにしても、時代が進むほどスイッチ・ポンですから、すぐに馴染んでしまいそうな気がします。

 次の半世紀は寿命が持ちませんが、今を生きる若者の50年後はどうでしょうか。その時に同じ感想を持つのか、違う感慨を抱くのかを想像するのがSF作家のお仕事かもです。