不思議の国のマドカ:三十階に

 麻吹先生に連れて行かれたのはクレイエール・ビル。言わずと知れた世界三大HDの一つであるエレギオンHDの本社。麻吹先生はエレベーターに乗り込むと手慣れた様子で操作をされて、

    「マドカならここの三十階を聞いたことがあるだろう」

 もちろんです。エレギオンHDの心臓部とされ、その内部は厚い秘密のベールで閉ざされた場所。エレギオンHDの社員は愚か、重役でも入ることが許されない特別の場所。そこに入ることが許されるのは片手もいないとされています。

    「麻吹先生は入られた事があるのですか?」
    「ああ、アカネも来たことがある。もっともアカネは来るのをかなり嫌がるがね」

 エレベーターは三十階に止まり扉が開くと、

    『コ~ン』

 あれは鹿威し、さらに目の前に池にかかる朱塗りの木橋。木橋の向こうは梅見門に光悦垣。これはいったい。

    「マドカ、驚いただろう。わたしも初めて来たときにはビックリさせられたよ」
    「これはいったい」
    「エレギオンHDの心臓部とは、なんてことはないユッキーの家なんだよ。こんな状態を他人に見せたくないから隠してるだけだってさ」

 麻吹先生の言葉に耳を疑いました。麻吹先生は間違いなく『ユッキーの家』と仰いました。これはもう都市伝説の類になりますが、エレギオンHDの小山社長の特別の親交のある人物にのみ、

    『ユッキー』

 こう呼ぶことが許されると。小山社長がどれほどの手腕で、政財界人でその名を知らない人がいないほどの人物ですが、そのプライベートは完全に謎に包まれています。なにしろ自宅住所でさえ不明なのです。ユッキーの呼び名は、故立花副社長がそう呼んでいたらしいとしか確認されていないとも聞いています。

    「麻吹先生、ユッキーとはどなたですか」
    「あん、小山社長の事だよ」

 麻吹先生は挨拶も無しで、ずかずかと玄関を上がり込みリビングに。

    「いらっしゃい、ちょっと待っててね」
    「今日は初めてのお客さんやからユッキーが気合入れてもて」

 リビングに隣接しているオープン・キッチン、いやあの規模になるともはや厨房。

    「じゃあ、ユッキー、ビールでも飲んで待ってるわ」

 ええっ、厨房の中にいるのがあの小山社長。急いで挨拶に立とうとするマドカを麻吹先生は押しとどめ。

    「もうマドカは円城寺まどかじゃない、新田まどかだ。ここでも招待客として振舞えば良い」
    「どうしてそれを」
    「だからここはエレギオンHDの心臓部だよ」

 バレてた。知られてはならない秘密が麻吹先生だけではなく、小山社長にまで。やがてテーブルに料理が並び。

    「いらっしゃいマドカさん。ここの社長やってる小山恵よ。ユッキーと呼んでね」
    「私はコトリ。ユッキーの同居人。いちおう副社長」
    「副社長って、あの月夜野副社長ですか」

 去年に異例の事ですが、学生のままエレギオンHDに直接入社され、さらに誰もが驚く大抜擢でCFO、CIO、CLOに就任。ここ数年活動が穏やかとされていたエレギオンHDを急に活気づかせた話題の人なのです。そして瞬く間にCOOとなり副社長就任。エレギオン・グループでは、

    『立花副社長の再来』

 こうまで言われています。故立花副社長と言えば、

    『稀代の策士』
    『微笑む魔女』
    『鋼鉄の金庫番』
    『恐怖の交渉家』
 などなど、いくつもの異名が轟くまさに伝説の人です。月夜野副社長は、故立花副社長に匹敵する業績をあげているとされます。これはエレギオン・グループ以外からもそう見られ、トンデモない人物が再来したものだと震えあがっているのです。


 それにしても三人ともお美しい。いやこれはまさしく美の競演。これほど美しい女性は芸能界でも見るのが難しいほどです。それより、なにより気になるのが小山社長の年齢。

 小山社長はこれまで直接お会いしたことはなかったですが、会った事のある人の話では、異常に若く見えるのは有名です。それでもです、目の前におられるのは、どこをどう見ても二十歳過ぎの華奢な若い女性。実年齢はマドカの記憶違いが無ければ今年で六十五歳のはず。

    「マドカさん、麻吹先生、ここではシオリって呼んでるけど、わたしにとっても、コトリにとっても、これ以上大事な人はいないのよ。だからシオリの弟子のあなたの悩みの解消に協力させてもらうわ」
    「麻吹先生がシオリって」
    「マドカさんの悩みを解消するためには、まず信じられないものを信じてもらう必要があるの。とりあえず、麻吹つばさは加納志織よ。それも生まれ変わりではなく、加納志織の続きを麻吹つばさがやってるの」
 加納先生の話はオフィス加納の伝説です。いや日本の伝説です。八十歳を超えて死ぬまで若さと美貌はまったく衰えなかったと。マドカもオフィスに残された加納先生の写真を見たことがありますが、まったく歳というのを取られていませんでした。

 そして目の前の小山社長もそうです。いや今の麻吹先生もそうかもしれません。三十歳になられるはずですが、二十歳過ぎにしか見えません。月夜野副社長もそうです。見た目だけなら二十七歳になるマドカが一番年長に見えるのです。

    「マドカさんは『愛と悲しみの女神』を読んだことがおあり」
    「柴川教授の本まで読ませて頂いてます」
    「そりゃ、好都合だわ。ユウタはあとがきにエレギオンの女神は現在も存在するって書いてあったでしょ」

 えっ、まさか。そんなことが、

    「マドカ、アカネが急に変わったのを覚えているか」
    「ええ、イメチェンしたとか」
    「イメチェンであそこまで変われると本気で思うか」

 あの日のことは覚えます。喋り方こそアカネ先生でしたが、オフィスの誰もがアカネ先生とはわからなかったのです。そうマドカでさえそうでした。スリムすぎる体は麻吹先生並みにグラマーになり、顔だってあの美貌に突然変わられたのです。あの日にアカネ先生だとわかったのは麻吹先生ただ一人。

    「麻吹先生は・・・」
    「わたしに宿ってるのは主女神だそうだ。そしてアカネを変えたのはわたしだ」
    「では小山社長は」
    「ユッキーは首座の女神、コトリちゃんは次座の女神。三座と四座の女神は宿主代わりに備えて休職中だよ」
 マドカの頭は割れそうです。でもここは間違いなくクレイエール・ビル三十階。目の前にいるのは小山社長と月夜野副社長。オフィス加納で行われるような悪ふざけでないのはマドカにはわかります。

 それでも叙事詩に謳われる眠れる主女神が麻吹先生で、あの首座の女神が小山社長で、知恵の女神とまで謳われた次座の女神が月夜野副社長だなんて。

    「ならば立花小鳥前副社長も次座の女神であったと」
    「そうよ」
    「だから今でもコトリさんとお呼びされてるのですね」
    「ちょっと違う」

 立花前副社長のさらに前身がクレイエールの小島元専務で、小島元専務の呼び名がコトリであったから、コトリと呼ばれるそうです。

    「ではユッキーと言う呼び名も」
    「そうよ、木村由紀恵時代に付いた呼び名よ。ちなみにね、木村由紀恵、小島知江、加納志織は高校の同級生でね、二年の時は同じクラスだったのよ」

 だから小山社長はシオリと呼び、麻吹先生はユッキーと呼ぶんだ。

    「マドカさん、いきなり信じろとは言わないわ。もちろん信じなくても構わない。ただね、エレギオンの女神であるとして、マドカさんに話をするから、そのつもりでだけ聞いてね」
    「は、はい」
 謎に包まれるクレイエール・ビル三十階が伝説のエレギオンの女神たちの棲家であったとは俄かに信じるのは無理がありますが、もしマドカの悩みを解消する力があるとしたら、女神しかいないかもしれません。今夜のマドカに何が起るのだろう。

不思議の国のマドカ:すり替え

 マドカの調査が済んだって、コトリちゃんから呼ばれたよ。

    『カランカラン』

 コトリちゃんとこのバーに来るのも久しぶり。それにしてもここのマスターも怪物だね。まだ現役でシェーカー振ってるじゃない。もう百歳越えてるはずだけどね。

    「シオリちゃん、相当複雑だから良く聞いてや」

 新田和明の妹は友美さんっていうんだけど、間違いなく実在し、集団レイプ事件も確認されてる。発狂して精神病院に入ってるのも事実だし、集団レイプの結果、妊娠して子どもを産んでるのも事実だって。

    「ここで先に言っとくね。神も結婚するし子どもも作るのよ。そりゃ、意識だけが神で使ってる体は普通の人だからね」

 ミサキちゃんや、シノブちゃんがそうだからわかるし、わたしもサトルの子が欲しいもの。

    「それと神の意識と言っても、大元をたどればエラン人なのよ」
    「コトリちゃんみたいに分身した可能性は」
    「それも可能性としてあるけど、それならなおさら人やんか」

 なるほど。神と言えども家族愛が普通にあるってことね。というか、人と同様に家族愛が強いものと、そうでもないのが存在するぐらいの理解で良さそう。

    「新田和明は家族愛が強いタイプの神と見てエエ」
    「そりゃ、姪御さんを引き取るぐらいだから」
    「ここからが複雑なんや。こればっかりは偶然でエエと思うけど、円城寺まどかも同じころに、同じ病院で生まれてるのよね」

 話がキナ臭くなってきた。

    「まさかすり替えたとか」
    「結果としてはそうやねんけど、そんな簡単な話やないねんよ」

 どういうこと。すり替えだけでも複雑すぎるけど、

    「新田和明は結婚もしてるし、子どももおる。ただな、和明の性嗜好はかなり変わってる」
    「ホモとか」
    「ホモじゃ子どもは出来んやろ。和明は奥さんを深く愛してる」

 ノーマルじゃん。

    「和明が愛す対象は心が女で体が男や」

 混乱しそうだけど、とりあえず外見というか体は男ってことよね。

    「そんな男を女にして愛するのが和明の性嗜好や」
    「でもさぁ、性転換手術受けたって子どもなんか産めるはずがないじゃないの」
    「それが出来る神ってこと」

 あっ、そうだった。和明は神だった。

    「前にユッキーと話とってんけど、神であっても完全性転換させるのはムチャクチャ難度が高いのよ」
    「コトリちゃんやユッキーでも」
    「理屈の上で可能言うだけぐらいや」

 そんなに難しいんだ。

    「もしやるならば、相当な経験が必要になる。でも和明は可能になったんやろ。和明の意識は神の意識やんか、何千年も試行錯誤する時間があるやろ」

 どれだけ失敗の山を築いたか怖いぐらいだけど、

    「だからタダのすり替えやなかった」
    「どういうこと」
    「新田まどかは姪やなく甥やったんや」

 なんだって。不幸な妹の子である甥を姪に変えて、円城寺家の娘とすり替えたってか。

    「なにか証拠があるの」
    「和明の奥さんやけど、薄々やけど神やねん。コトリでもよう見んとわからんぐらい。たぶんやけど、和明をもってしても完全性転換させて、子どもまで産ませるとなるとそうせんとアカンねんやろ」
    「まさかマドカも」
    「そやった、薄々もエエとこやけどあれも神や」

 話はさらに複雑になったのよ。どうも和明は新田まどかを円城寺まどかそっくりに作ったみたいなのよ。ここもこれじゃ不正確で、

    「二人を瓜二つに作ったんだよ」

 もちろんバレないためだと思うけど、まるで双子みたいとまで言われてたそうなのよ。

    「話が複雑になるから、呼び方ちょっと変えるな。本物の円城寺まどかを円マド、本物の新田まどかを新マドとしとく。実際に二人は、逆だがそう呼び合っていたいたらしい」

 和明も別にすり替えた円マドを不幸にする気はなかったみたいで、新マドの学友状態にして、ほぼ同じ教育を受けさせるようにしてるのよね。さらに二人は仲もすごく良かったみたいで、まるで本物の双子みたいに育ったらしい。

    「名前が同じなのに意味があるの」
    「和明・友美の兄妹の下にもう一人妹がいたんだけど、難病で生まれて間もなく亡くなってるんよ」
    「その子が・・・」
    「そう、まどかやってん」
 二人は同じ大学に進んだんだけど、写真の才能は新マドにあったらしい。薄々でも神だから、ただの人の円マドを上回ったんだろうって。たしかにマドカの才能は半端じゃないもの。

 ただ円城寺まどかの父である栄一郎は娘が写真に血道を上げるのが気に入らなかったで良さそう。そのために新田まどかの名前でコンクールに応募し、新田まどかが受賞していたんだって。

    「ちょっと待ってよ。じゃあ、同じ赤坂迎賓館スタジオに就職した話は」
    「ホントだよ。円マドはセクハラを受けそうになって竜ケ崎学を投げ飛ばして破門になってるねん」

 一方の新マドは竜ケ崎のマン・ツー・マン指導で西川流を極めたのか。そうると、えっ、えっ、まさか二回目が起ったとか。

    「そのまさかが起ったんよ。どうしても写真の道に進みたい新マドは円マドとすり替わったってこと」

 頭が痛くなりそうだけど、

    新田和明の甥 → 和明の姪の新田まどか →円城寺まどか → 新田まどか

 こうなってるんだ。最終的には本物の円城寺まどかが家に残り、本物の新田まどかがオフィス加納に入ったことになる。

    「結局回り回って元の鞘に収またってことなの。でもさぁ、赤ちゃんの時のすり替えはまだしも、大人になってからのすり替えは無理があり過ぎるじゃない」

 コトリちゃんはゆっくりとスコッチを味わってたけど、

    「バレないね。栄一郎の結婚は祖父の敏雄による完全な政略結婚なんよ。子どもこそ出来たものの、マドカさんが生まれてからの仲は冷え冷えしてたんだよ」
    「いくら夫婦仲が冷え冷えしても、母親なら自分の娘の見分けぐらいできるはず」
    「出来ないよ。マドカさんが生まれてから、栄一郎も奥さんも互いの浮気に走ってしまい、母親と言っても産んだだけで、育児はすべて執事である新田和明夫婦がやってたんだよ」

 イヤな話だ。

    「それでも新田和明夫妻ならわかるはず」
    「そりゃ、わかるよ。本物の姪なら神が宿ってるからね」
    「うんうん」
    「新田和明の目的は不幸な生い立ちの甥に幸せな人生を送ってもらうことだよ。今の時点で円城寺まどかであるのは、政略結婚の道具としてしか使われないんだよ。だから写真で自分の道を切り開いていく方が幸せだと思わへんか」

 たしかに。でもそれじゃ、新マドは、

    「円城寺まどかには婚約者がいる」
    「政略結婚?」
    「それに近いやんけど、学生の時に婚約は行われてるんよ。でも新マドは相手を嫌っていた。赤坂迎賓館スタジオに勤めたのも、少しでも結婚を遅らせるためでもあったんだよ」

 お金持ちのお嬢様稼業も大変だよね。

    「ところが円マドは好きだったんだよ。だからすり替えの話に乗ったんだ。去年結婚して、もうすぐ子ども生まれるよ」

 超複雑な話だけど、グルッと回れば、みんな幸せか。今さら真相を蒸し返しても意味無さそう。だって結婚したのは正真正銘の円城寺まどかだし、うちのマドカも正真正銘の新田まどかだものね。強いて言えば当人同士の記憶が逆だけど、ここまでくれば些細な問題として良さそう。

    「円城寺まどかと新田まどかの複雑な関係はわかったけど、最初の問題であるレズ疑惑は?」
    「新田まどかはレズじゃない」

 ありゃ、見間違えたかな。

    「でも女を愛してる」
    「それってレズじゃない」
    「だいぶ違う。男の心で女に恋してる」

 それって性同一障害とか、

    「性転換する時に失敗したの」
    「違うと思う。初めてだから気づかなかったんだろう」
    「はぁ? どういうこと」
    「おそらく男の心を持つ男を性転換させたのは初めてだったと見てる」

 あっ、なるほど。和明は女の心を持つ男しか性転換させてないんだ。体が女になれば心も女になるぐらいに見てたんだわ。

    「それだけじゃないだろうけど、学生時代のマドカが婚約者を嫌ったのも心が男だったから」
    「それも大きかったと見てる。別にその婚約者だけでなく、どんな男だって嫌だったで良いと思てる」

 マドカにホモっ気があればどうなってたかは興味あるけど、こっち方も考えだすとややこしいから置いとく事にする。残された問題はマドカをどうするかよね。

    「円城寺まどかはそれで良いとして、新田まどかはどうなるの」
    「どうして欲しい」
    「そりゃ・・・」

 どうしたら良いのだろう。性転換手術を受けさせて男にするのがイイのかな。

    「神でも女から男にするのは難しいの」
    「男から女と難度は同じぐらいやと思うけど、これは和明さえやった事がないと思うわ。コトリやユッキーに期待されても完全は無理。せいぜい見た目を男にするのが精いっぱい」

 だろうな。じゃあ、そのままだったら、

    「シオリちゃん、男の体にもし変えられたら耐えられる?」

 想像するだけで嫌だ。そっか、そういう苦痛をマドカは毎日耐えてるのか。ここでコトリちゃんはニッコリ笑って、

    「ユッキーと考えてることがあるから、マドカさんを三十階に連れてきてくれへんかな」
    「なにするの」
    「ユッキーの診立てが正しいことを祈っといて」
 なにする気だろう。

不思議の国のマドカ:マドカの懊悩

 マドカには誰にも言えない秘密があります。円城寺家の執事の新田の姪がいるのですが、母親が重い病で入院中とのことで新田が引き取って育てていたのです。新田は屋敷に住んでおり、姪とは同い年どころか誕生日も一日違いだったもので、双子のように育てられています。

 これは円城寺家側の事情ですが父母の仲は冷め切っており、食事さえ一緒に取る事は稀でした。そのためマドカの育児は執事の新田夫妻に任せきりでしたので、自然に親しくなりました。執事の新田はある日にこんな要求を父母にしたそうです。

    『マドカお嬢様の御教育のために、姪のマドカを付き添わせるのが最良かと存じます』
 育児に無関心の父母は、さして深く考えるでもなく、あっさり了承したそうです。ですから礼儀作法から、茶道、華道、書道、合気道、さらにはフルートから写真教室まで常に一緒でした。学校も大学まですべて同じです。そうそう家事一般も執事の新田夫妻から教わっています。

 それと名前が同じであるだけではなく、他人の空似とは思えないほど、そうまるで一卵性双生児のように良く似ています。そしてお互いの呼び名は『円マド』、『新マド』としていました。

 どれぐらい似ているかですが、おそらく当人同士以外なら執事の新田夫妻しか無理として良いかと思います。父母では到底無理と言うところです。実際に入れ替わる悪戯を何度かしましたが、一度も気づかれたことはありません。

 一つだけ違うのは恋愛です。新マドは歳相応に異性に興味を示しましたが、マドカの方はさっぱりです。そんな時に知り合う事になったのが二つ上の小野寺先輩です。合気道は試合ではなく演武を競うのですが、そんな大会で素晴らしい演武を行っていたのです。

 マドカは合気道の目標ぐらいかしか興味はありませんでしたが、新マドの方は熱中していました。ある演武会の懇親会でたまたま席が隣り合わせになったのですが、それだけで噂が立ってしまったのです。

 小野寺先輩は小野寺グループの御曹司です。小野寺グループは小野寺フィルムから始まり、梅花カラーのブランドで有名です。一方で写真のデジタル化の流れを読み切り、日本最初のデジカメであるゼノンを発売したのもまた有名です。以後はデジカメ、さらにはカメラ技術を応用した内視鏡などの医療機器、さらにフィルム技術を活かしたバイオ製品、医薬品にと発展し、社名もゼノンと変えています。

 小野寺グループの御曹司と、円城寺の娘ですから、格好の取り合わせと見られたのだと思います。それだけでなく、小野寺先輩はマドカに興味を持ってしまったのです。マドカはお付き合いなど考えもしませんでしたが、小野寺先輩にお熱の新マドは、

    「円マド、もったいないよ」
    「だったら新マドが行って来てよ」
 まだ高校生ですし、学校も違うので深い付き合いまで進まなかったようですが、二人交際は断続的に続いたようです。それはそれで良かったのですが、これが大きな問題になってしまったのです。

 新マドはあくまでも円城寺まどかとして小野寺先輩に会っていたのです。最初がそうだったので、言いだせなくなったそうです。新マドと小野寺先輩の関係は聞くところによると友達以上、恋人未満的な状態だったようですが、ここに大人の事情が絡まってしまったのです。

 南武グループと小野寺グループの提携問題です。この話が進む中で父母も小野寺家も二人の交際関係を知ってしまっただけではなく、これ幸いと婚姻関係にする話がまとまってしまったのです。もちろん小野寺先輩と円城寺まどかの婚姻です。

 二十歳になった時に父母に急に呼び出され、レストランの個室で食事をしたのがお見合いで、それだけで婚約成立です。あまりに強引な話の進め方に反発はしましたが父母は冷たく、

    「円城寺の娘に自由な結婚は許されない。これでも最大限の配慮はしてやった。文句は言わせない」
 写真は大学に入ってからも熱中していましたが、父母も良い顔はしていませんでした。そこで新田まどかの名前でコンクールに応募し、授賞式も新マドに行ってもらっていました。ただ新マドも写真は好きだったので、大学卒業後は赤坂迎賓館スタジオ勤務としていたのです。

 マドカは必死になって父母に食い下がり、写真の勉強のために新マドと一緒に赤坂迎賓館スタジオ勤務を認めさせました。執事の新田も口添えしてくれましたし、小野寺先輩も海外留学に行くことになったので、渋々父母も認めてくれました。

 しかし少しでも写真の勉強を早く終わらせるために特別待遇だったのです。入社しときから竜ケ崎先生のマン・ツー・マンによる指導で二年も過ぎる頃に竜ケ崎先生から、

    「もう教えられることはない」

 こう宣言され父からも、

    「マドカ、遊びは終りだ」

 そこからは結納、挙式の日まで着々と進められる状況に陥ってしまったのです。そんな時に新田まどかが赤坂迎賓館スタジオを退職して帰って来たのです。聞くと竜ケ崎先生からセクハラを受けそうになり投げ飛ばして破門になったとのことです。ここで新田まどかに頼み込みました。

    「円城寺まどかになって欲しい」

 さすがの新マドもあまりの話に驚くばかりでした。ここで執事の新田は、

    「マドカお嬢様は小野寺様の事を好きになれませんか」

 悪い人ではありませんが、どうしても恋愛感情を抱けないのです。じっと考え込んだ執事の新田は、

    「マドカ、お前はどうなんだ」

 新マドはやはり小野寺先輩が好きだったようです。

    「マドカお嬢様。新田が黙っていれば誰にもバレるような事はありません。むしろ今からマドカお嬢様が小野寺様と御結婚される方が不具合を生じる可能性さえあります」

 この日に二人は入れ替わったのです。

    「マドカお嬢様。新田まどかになられたからには、御自身で生活を切り開いていかねばなりません。お覚悟はよろしいですね」

 赤坂迎賓館スタジオでは特別待遇ではありましたが、その才能は竜ケ崎先生からも認められ、

    「お嬢様芸として終わらせるには惜し過ぎる」
 これはお世辞かもしれませんが、新田まどかの名前で応募した写真大賞では新人奨励賞も頂いています。新田まどかになったマドカは写真で自分の道を切り開いていくと決めたのです。目指したのは写真を目指すものの聖地であるオフィス加納です。

 幸い弟子入りは許されたのですが、まさに聖地に相応しいスタジオでした。入ってまず驚かされたのが、マドカの写真が一番下手なのです。それもダントツです。さらにマドカの数段上であったサキ先輩も、カツオ先輩も挫折されてしまいました。

 一方でプロとなり専属契約を結んだアカネ先生は目も眩むような成長をされています。マドカが入った時には一段上ぐらいでしたが、見る見るうちに星野先生を抜き、今や麻吹先生と並び称されるようになっています。


 そんなオフィス加納でついに個展を開くところまで許されたのですが、マドカの心の問題が限界に達しています。マドカはどうしても異性を愛することが出来ないのです。それだけはなく、女性でいることに耐えられなくなっています。

 これは子どもの時からずっとそうでした。生理が来た時の恐怖、日々女性の体に変わる絶望感にさいなまされました。なんとか女性としてやって来れたのは、新マドがずっと一緒だったからだと思っています。

 マドカは新マドを手本に女になろうと努力を重ねていました。でも、どうしても男性に興味を持つのは無理です。興味が向かうのは女性です。ですから麻吹先生や、アカネ先生はマドカにとって眩いばかりの存在です。

 撮影旅行の時には同性ですから一緒にお風呂も入ったりしますが、もう胸の動悸がおさえようがありませんでした。そうなんです、お二人には素直に恋できるのです。ですから、麻吹先生が御結婚された時には一人で泣いていました。

 今のマドカの関心はひたすらアカネ先生に向っています。しかし麻吹先生と同様に実の結びようの無い関係です。これはおそらくレズビアンでさえありません。マドカの心は男としてアカネ先生と結ばれたいのです。

 どうしてマドカは女として生まれてしまったのでしょうか。ここまで懸命に女になろうと努力を重ねて来ました。どんな女より女らしく、どんな女より美しく、どんな女より上品にです。結果として見た目は完全な女として振舞えてはいます。考える時だって女言葉で考えるように無理やり習慣づけました。

 でもそんな努力になんの意味があったのでしょうか。心の芯はどうしたって男です。これは変わりようがないのが今となれば良くわかります。マドカが重ねて来た努力は、ノーマルな男が商売のために無理やりなるオカマに過ぎなかったのではないかと。

 女の体への増すばかりの違和感、アカネ先生への報われようのない恋心。マドカがこの世に存在する価値などあるのでしょうか。さらに誰にも相談のしようがないものです。そんなマドカの心理状態は写真にも出てしまっているようです。麻吹先生は、

    「悩み事があるようだな。わたしで良ければ聞くが」

 思い切ってと思いましたが、言えるはずもなく。

    「いえ、個人的な事なので」

 麻吹先生は少し考えてから、

    「この状態では個展は無理だ。少し延期にする」
    「そんな」
    「焦るな。この麻吹つばさを信じろ。これぐらいで見捨てたりはしない」

不思議の国のマドカ:円城寺家と新田家

 ユッキーにマドカのレズ疑惑を調べてもらってたんだけど、話が複雑になってるのよね。コトリちゃんの幕末から明治にかけての話も絡んで来て大変。

    「さすがに良く調べてるけど、円城寺家の方に神の存在の可能性があるのはわかるけど、新田家は関係あるの」
    「あるはずなのよ。神が人の世に安定して住むには生活拠点が必要なのよね」

 たしかにそうよね。いくら記憶や能力を継承出来たって、人として死んだら一旦御破算になるのは良くわかったもの。ユッキーがエレギオンHDやってるのもそれだし。

    「多いのは親子継承かな。そうすれば財産は自動で手に入るでしょ」

 ちょっと違うけどユッキーの大聖歓喜天院家時代みたいなものか。

    「ただいくら生活拠点を作っても時代の変化で維持できなくなる時があるのよ。おそらくだけど、維新の動乱で倉麿に宿ってる神の拠点が使い物にならなくなったと考えてるの」

 神と言えども未来を見る能力のあるのは少ないって言うし、

    「そこで目を付けたのが北田家」
    「円城寺家じゃないの」
    「あそこは北田家に近づくための手段に過ぎなかったのよ」

 そっか、貧乏男爵家なら入り込みやすいし、支配もしやすいか。

    「問題は倉麿に宿った神がどこに行ったかなのよ」
    「息子の久麿じゃないの」
    「違うと思う。久麿の時に北田財閥は解体されて、この頃は南武グループと円城寺家の関係は薄くなってるんだよ」
    「そりゃ、妙ね。倉麿は歩くヤリチンだけど、経営手腕も凄そうじゃない」
    「それに子どもも普通に三人。もっとも最初の奥さんに子どもが出来なかったのもあったけど」

 たしかに残された実績からすると、倉麿と久麿は別人、いや久麿はただの凡人として見て良さそう。

    「そんな円城寺家を南武グループに戻したのが三代目の敏雄」
    「七人の娘の政略結婚ね」
    「経営手腕も優れていて、旧北田財閥を再結集して南武グループを作り上げ、その中核に南武HDを置いたのは敏雄の手腕によるもなんだよ」

 へぇ、これが敏雄の実績か。こりゃ、殆ど一社員から伸し上がってるとして良さそう。これは確かに倉麿を彷彿とさせるわ。

    「今の栄一郎はどうなの」
    「会ったこともあるけど普通の人、神じゃない。南武グループは苦労してるよ。もっとも、誰がやっても今の南武グループは難しいと思うよ。グループに斜陽産業が多いからね」
    「子どもは」
    「男一人、女一人」

 栄一郎はユッキーも見てるから神じゃないで良さそう。もしユッキーより強い神なら力を見せないことも出来るそうだけど、この業績じゃね。でも、確かにおかしいな、どうして一代おきに神が宿るんだろう。

    「問題の新田家だけど、コトリが気合入れて調べ直してくれたのよ。まず克行は存在してたかもしれないけど、新田克俊とは縁もゆかりもない。さらに新田克俊と新田孝もそう。さらに新田孝と新田和明もそう」

 どうなってるのよ、

    「これは推測になっちゃうんだけど、倉麿が円城寺家を乗っ取る時に新田の名前を使ったんじゃないかと考えてる」
    「どういうこと」
    「倉麿は現われた瞬間に円城寺家を支配してる。ここでなんらかの神の力を使った可能性もあるけど、そうじゃなくて滋麿さんを脅迫したんじゃないかって」

 ミステリーもイイとこだけど。

    「円城寺家には秘密があったのよ。円城寺家が曲がりなりにも華族になり男爵家に滑り込めたのはコトリの力だよ」
    「それは聞いたけど」
    「コトリは二つのウソをついて長州志士の妾になってるんだよ。一つは実は極道屋の娘で『神算のコトリ』とまで呼ばれた筋金入りの博徒だったこと」

 そっかそうだった。

    「もう一つは年齢よ。もう三十歳なのに十八歳って誤魔化してるのよね。これはついでみたいなものだけど処女でもない」

 それもそうだった。

    「これを知っているのは滋麿さんご夫妻と、滋麿さんのお母さんと、新田三太夫さんだけ。おそらく綾麿さんにさえ伝えていないはず。ここはコトリもどうしてもわからなかったみたいだけど、倉麿は嗅ぎ付けたんじゃないかって」
    「でもどうやって」
    「東京じゃ難しいけど、京都なら神算のコトリを知ってる者も少なくないよ」

 神算のコトリが亡くなったのは維新から二十年ぐらいだから、京都なら円城寺家の娘に化けてたのを知っている者が生きていても不思議ないか。

    「倉麿が京都に住んでいた可能性は?」
    「あるかもしれない。ただね、円城寺家に現れる前の倉麿についてはいくら調べても、なにもわからないのよ」

 でもこれでやっと話が見えてきたぞ。

    「だから三太夫さんの子孫が必要だったんだ」
    「そういうこと、三太夫さんの子孫と名乗り、三太夫さんから聞いたと言われれば滋麿さんの顔も蒼くなったと考えてる。これがコトリの嫁ぎ先にバレたら、まだその長州志士は健在だから、怒って縁切られるかもしれないじゃない」

 まあ、詐欺にあったようなもんだし。

    「それとこれはコトリの推測だけど、滋麿さんはコトリのことを考えてくれたんじゃないかって」
    「どういうこと。その時には、コトリちゃんもう死んでるんでしょ」
    「そう、本妻扱いでね。立派な墓が残ってるよ。お世話になったコトリを円城寺の娘のままにしておきたかったんじゃないかって」

 コトリちゃんがこの調査に半端じゃないぐらいの気合を入れてる気が良くわかったわ。そりゃ、二百年ぐらい前の話だけど、コトリちゃんにとっては大切な思い出だし、滋麿さん一家や、三太夫さんはコトリにとって大事な人なんだ。

    「克俊が円城寺家に入ったのは倉麿が死んだのと入れ替わりで良さそうなの。戦後の混乱期で食うに困ったんじゃないかとしてた。どこかで円城寺家と新田家の関係を嗅ぎ付けたぐらいしかわからなかったわ。だから、本当に苗字が新田で、名前が克俊も怪しいとしてた」
    「克俊は活躍したの」
    「ぜんぜん、久麿と残された円城寺家の財産を食いつぶしながら生きてたぐらいで良さそうよ」

 なんだ、その克俊ってのは、

    「じゃあ、新田孝は」
    「これは純粋に苗字が同じだっただけ」

 そうなると、

    「新田和明も円城寺敏雄が死んでから入れ替わるように出現したとか」
    「そうよ、和明は三太夫さんの血縁だと名乗ってるわ」
    「その和明はどうなの」

 ユッキーはここで一呼吸おいてから、

    「コトリが見に行ったのよ。執事だから外出するし」
    「そしたら」
    「間違いなく神だった。それもあれは半端じゃなく強大だそうだよ」

 新田和明が神だって。でも倉麿も敏雄も神だと思う。そうなると新田克俊も神だった可能性が高いよね。

    「新田和明が神なのはコトリちゃんが確認したから確実だろうけど、なにかしてるの」
    「それが、ぜんぜん。あれだけの神なのにタダの執事だよ」
    「でも神の系譜は、
    倉麿 → 克俊 → 敏雄 → 和明
    こう伝わってると見るのが妥当じゃないの」

 一代おきにキャラ変換する神っているのかな。わたしに宿っているイナンナがそうだったみたいだけど、

    「キャラ変換の可能性も考えたけど、わざわざ執事に宿るのは変と考えてる。倉麿の次は久麿でイイじゃないの。敏雄の後だって栄一郎でイイでしょ」

 そりゃ、そうだ。だったらこれをどう説明するのよ。

    「コトリと出した推測は、二人の神が交互に出現してるんじゃなかろうかって」
    「二人? だから宿る相手もキャラもそれだけ違うとか。でも宿主代わりの時はどうしてるの」
    「考えられるのは一つで、宿主代わりは出来ないんだろうって。出来ないは誤解を招くね。地上での連続宿主代わりは出来ないんじゃないかと」

 地上でってどういう意味、

    「地上界以外に行けるところで、神が存在する可能性は冥界」
    「でもそれはパリでミサキちゃんが潰したはず」
    「ミサキちゃんはエレシュキガルの冥界を潰してるけど、そこでゲシュティンアンナとドゥムジに会っていないはずなのよ」
 誰なのよその神。

不思議の国のマドカ:突き破る話

 マドカさんの最近の成長ぶりは凄い。相変わらず端正で上品なところは変わらないけど、棍棒じゃなくて、梱包じゃなくて、内服・・・もういい、とにかく力強さを感じるんだよね。激しく動く被写体もなんの苦にもしなくなったし。ちょっと聞いてみたんだけど、

    「武産合気を取り入れられた気がします」
    「それって・・・」
    「自分と相手との和合、自分と宇宙との和合です」

 アカネと違って、わかって言ってるんだろうな。とにかく合気道四段の猛者だし。そうそう前にラグビーの課題を見た時からなし崩し的にマドカさんの写真も見るようになってるんだけど、

    「どうですかアカネ先生、商売物になってますか」
    「合格だよ」

 こりゃ、えらい自信だ。こういうのを一皮毛むくじゃら、ちがった一皮干し、ちがう、思い出したぞ・・・なんだっけ。まあ、いいか。時々、いやしょっちゅうこの手の言葉を度忘れするのが、アカネの数少ない欠点の気がする。まあ、聞き間違いより害は少ないんだけど。

    「アカネ、マドカに個展を開いてもらう」

 早いよな。まだ入門して二年目だぞ。さすがツバサ先生が見込んだだけの事はある。でも、どうなんだろ。

    「受付もサトル以来だから、気合入れんとな」
 こりゃ、手放しだ。それだけの実力が付いてきたのは認めるけど。ここでイイのかな。この辺が個展をやらずじまいだったから、感覚がつかめないんよね。


 でも、どうにも気になってる点があるんだ。ラグビーの課題の時に顔を出した過剰な女らしさ。あの時は最後の最後になんとかクリアしたけど、消えきってない気がする。アカネの感触からすると克服したのではなく逃げたんじゃないかって。

 言い方を変えれば誤魔化したぐらいかな。だからレベルは数段上がっているけど、どこか違和感がある気がしてるんだよ。ツバサ先生の言うプロの壁を薄皮一枚で突破していない感じ。

 個展を開くのであれば、この薄皮を破ってからの方がイイとアカネは思うのよね。とにかく個展はプロのための最終試験で、落ちれば師弟の縁は終りっていう厳しいもの。ツバサ先生にまさか見えていないとは思えないんだけど。

    「ツバサ先生。お話があります」
    「ほう、やっと初体験を済ませたか。どうだった」

 まだだって。その前に男がいないのも知ってるくせに。それにツバサ先生だって結婚まで大事に守ってたじゃないか。その前の一万年の経験はさておきだけど。

    「どうだ、入って来る時は痛かったか」
    「違います」
    「ほぉ、最初から痛みがなかったとは余程前戯で・・・」
    「誰もそんな話をしてません」
    「まさか、初体験からイッたのか」
    「マドカさんの写真の話です」

 ツバサ先生はビックリしたような顔になり、

    「アカネ、いくら初体験とはいえマドカに撮らせたのか。どうせならサキに撮らせた方が良かったと思うが。まあいい、見せてみろ」

 誰が自分の初体験を写真に撮らせたり、動画にしたりするものか。ましてや、それをどうしてツバサ先生に見せなきゃアカンのよ。エエ加減、アカネのロスト・バージン話から離れやがれ、

    「マドカさんに個展はまだ早いと思います」

 急に顔が厳しくなったツバサ先生は、

    「理由」
    「プロの壁をまだ破り切っていません」

 ツバサ先生は椅子に深々とかけ直して、

    「いや、プロの壁は越えてる」
    「まだです。ツバサ先生には見えないのですか」

 ツバサ先生は大きなため息をして、

    「アカネにはあの薄皮一枚が見えるのか。こりゃ、ホンマに化物だな」

 人をマルチーズに変えようとしたツバサ先生に化物扱いされたくないわい。

    「見えてるならどうして」

 ツバサ先生は椅子を回しながら、

    「アカネにはわかりにくいかもしれんが、マドカは力強さを加える過程で西川流から飛躍しプロの壁を越えたよ。もう、家元の西川大蔵さえ越えている」
    「でも・・・」
    「あれは壁じゃない。あれがあっても、プロにはなれる。でもあれがある限り、永遠にマドカの足を引っ張るし、プロの壁を越えた後の伸びにも影響する」

 だったら、だったら、

    「それを突き破らせるのが師匠の務めじゃないですか。個展で突き破る期待をされてるのですか」
    「個展は成功するが、膜を突き破るのはおそらく無理だろう。そういう個性で生きていくしかない気がしてる」
    「どういうことですか! ツバサ先生らしくないです」

 どうも歯がゆいな。

    「アカネにアイデアでもあるのか」
    「う~んと、う~んと、そうだ、男と付き合うとか」
    「付き合えばどうなる?」
    「恋を知れば女は変わる」

 ツバサ先生は苦笑いしながら、

    「恋したぐらいじゃ、あの膜は破れんよ」

 マドカさんは折り紙付きのバージンだけど、そんなにお嬢様の処女膜って頑丈なんだろうか。

    「今ならむしろ逆効果の可能性もある。アカネ、問題はデリケートなんだ」

 なるほどデリケートぐらい頑丈なんだ。これは相手の男も余程強力じゃないと突き破れないって事だな。アカネのもそうなのかな。最初の時はかなり痛いって聞くし。ふとツバサ先生は怖ろしい言葉を口にしたような表情になり、

    「ところでアカネ、デリケートってどういう意味だ?」
    「バカにしないで下さい。人が真剣に話をしている時に」
    「そりゃ、悪かった。あくまでも念のためだ。だいぶ痛い目にあってるからな」

 アカネだって昔のままじゃないんだから、

    「デリケートってのは、道に物とか置いて通れなくすることです」

 そしたらツバサ先生は茫然としてた。ちゃんと理解してたのにそんなに驚かなくてもイイじゃないか。マドカさんの処女膜はそれぐらい頑丈で突き破りにくい話ぐらい、わかってますよ~だ。アカネが真剣に心配して相談してるのぐらいは見たらわかるのに。

    「アカネ、それはバリケードだ。デリケートとは繊細とか微妙の意味だ」

 あれっ、そうだったっけ。ちょっと勘違い。でも、そんなに差がないじゃない。問題はマドカさんの頑丈な処女膜をいかに突き破るかだものね。

    「とにかくアカネ、もうちょっと待ってくれ。考えてる事がある。マドカに大きく成長してもらいたい気持ちはわたしにもあるからな」
    「なにかマドカさんの処女膜を突き破るイイ手があるのですか」

 ツバサ先生は不思議そうな顔をされて、

    「アカネ、なにか勘違いしてないか」
    「御心配なく。ちゃんとわかってます」

 これ以上はないぐらい、疑わしそうな顔になったツバサ先生は、

    「アカネがマドカのことを真剣に心配してる気持ちは良くわかった。とりあえずマドカの処女膜を突き破る話は終りだ。それではマドカの膜は破れない」
 しっかし、なんて頑丈な処女膜なんだろう。お嬢様を相手にする男は大変だ。アカネは庶民の娘だからすうっと、行くのかな?