渋茶のアカネ:小山社長

 エレギオンHDは世界三大HDの一つに数え上げられる日本一の大会社。それぐらいはアカネでも知ってる。そして、これを率いる小山社長はまさに雲の上の人。調べてみて腰が抜けそうになった。まさに数々の伝説に彩られた氷の女帝。

 伝説の始まりはクレイエールの社長就任。秘書からのいきなりの大抜擢で社長だよ。クレイエールは世襲会社じゃないし、当時だって神戸でも指折りの大会社。この時にまだ二十八歳と言うから驚くしかないじゃない。

 社長に就任した年に彗星騒動、さらにその八年後に宇宙船団騒動が起ってる。アカネはまだ生まれてなかったけど、お父さんやお母さんに聞いたらリアル・パニック映画の世界そのものだったって。

 日本は比較的平穏だったらしいけど、世界中で大規模な暴動が頻発し、この世を悲観するあまり投げ売り一色となり経済は大混乱だったらしい。そりゃ彗星激突で地球が吹っ飛ぶとか、謎の宇宙船団が頭上を十隻も何ヶ月もグルグル周回されたら、そうなるよね。

 そんな時に小山社長は機敏に動いたってなってる、国家予算規模の借り入れに成功し、手当たり次第に会社・株・債券・不動産を底値、いや捨て値というかタダ同然でゴッソリ買い込んでるんだ。

 彗星騒動も宇宙船団騒動も実害としては殆どなかったんだけど、騒動が終わった後に反動で空前の好景気になったんだ。そう、小山社長が『これでもか』と買い込んだ会社・株・債券・不動産は天文学的な価値に膨れ上がり、エレギオン・グループを形成してるんだよ。

 これだけでも十分に伝説的なんだけど、神戸空港に着陸した宇宙船団の代表に対して、地球側全権代表となって交渉に当たってるんだ。理由なんてわかりようもないけど、エラン語を小山社長は話せるだけでなく、読み書きも出来たそうなんだ。ちなみに今でもエラン語は読みも、話せも出来ないとされてる。そりゃそうよね、宇宙語なんてわかる方がどうかしてる。


 小山社長のプライベートは謎に包まれていて、どこに住んでいるのかさえ不明なんだ。顔写真とかが、ネットでもさっぱり見つからないのはエレギオンHDの力と見て良さそう。いわゆる財界活動は最小限らしいけど、政界への影響力は巨大らしい。この政界ってのも日本だけじゃなくて世界って感じで、アメリカ大統領でも、ロシア大統領でもいつでもサシで話が出来るなんて評判さえあるもの。

 マスコミでさえ相手にならないと見てもイイかもしれない。マスコミったって広告収入が命みたいなものだから、エレギオン・グループを敵に回す度胸があるところはないだろうし、敵に回して生き残れるところなんてあるはずもないぐらい。

 これだけだったら影の支配者みたいな感じだけど、小山社長はちゃんと会社には出勤してるし、社員は小山社長にも会ってるし、話もしてるみたい。だから小山社長の画像はなくても、小山社長がどんな容姿かの情報はある。

 小山社長は今年で六十四歳のはずだけど、誰もが口をそろえて二十歳過ぎにしか見えないって言うのよね。そりゃ怖い人みたいだからお世辞もあるとは思うけど、お世辞も限度ってのがあるじゃない。女性に若く見えると言えば喜ばれるかもしれないけど、六十四歳を二十歳過ぎなんてすれば普通は嫌味になるよ。

 この若く見えるに関連してるんだけど、全然歳を取らないとも言われてる。そうなの加納先生と同じ不老現象が小山社長にもあるとしか考えられないの。でもそれだけ若く見えたら、たとえどこかで会ってもアカネでもわからないと思う。


 及川氏は小山社長に会えと言ったけど、どうやって会ってイイのかさえわかんないのよ。でもただ一つだけ手がかりはあるの。ツバサ先生がホテル浦島に行った時に、小山社長となぜか同席してる。意を決してツバサ先生に頼んでみた。

    「小山社長と会うことは出来ますか」
    「無理だろうね。あっちは雲の上の人だよ」

 これでオシマイ。そうこうしてたらサトル先生から、お酒に誘われた。連れて行かれたのは、

    『カランカラン』

 そうあのバー。サトル先生も知ってたんだ。

    「アカネ君はツバサ先生のことをあれこれ調べて回っているようだね」
    「そりゃ、お師匠様ですから」

 サトル先生は優しくて怒った顔なんて見たことがないとまで言われてるけど、今日のサトル先生の顔はちょっと厳しい、いや真剣ってした方がイイかも。アカネはよほど拙いことをしたかと思ってたら、

    「ツバサ先生がアカネ君にどうして教えないのか不明だ。だから知らない方が良いのかもしれない。でも、知っておいても良いと思う」

 なんだろ、聞くのはなんとなく恐いけど。

    「オフィス加納が復活した時のスタッフなら全員が知っていることだ。ツバサ先生は加納先生だ」

 ああ、やっぱり。

    「でも知っているのはそれだけだ。どうしてシオリ先生が麻吹つばさとして復活したのか、いつからそうなってるのかも誰も知らない」
    「サトル先生でもですか」
    「そうなんだ」

 ずっとアカネが抱いていた疑問の答えは出たけど、そうよね、本当の謎はどうしてそうなってるかだし、どうして歳を取らないかだものね。

    「ところでサトル先生はエレギオンHDの小山社長を御存じですか」」

 サトル先生が知ってるとは思わないけど、

    「ああ、知っている。小山社長は加納先生の古い友だちで、加納先生の葬儀を取り仕切ったのも小山社長だ」
 えっ、えっ、えっ、加納先生と小山社長が友だちだって。これはサトル先生の弟子入り秘話みたいなものだけど、当時のサトル先生は勤めていたスタジオを退職し実家に帰り、趣味で写真を撮ってたみたい。

 熊野古道の写真を撮ってる時にタマタマ出会ったのが五人組の若い女の子のグループ。ガイド役とカメラ係を頼まれて大喜びでやったそうなの。そのうえだよ、その日の宿が一緒だったので夕食まで一緒に食べたんだって。

    「その時に加納先生に」
    「そうなんだ。それだけじゃなく、残りの四人はあのエレギオンHDのトップ・フォーだったんだ。後で知ってビックリしたなんてものじゃなかったよ」

 オフィス加納の復活の時にも小山社長はかなり協力をしたで良さそう。そうそうサトル先生は三十八歳で未だ独身。アカネがオフォス加納に入ってからも女の噂一つ立ったことがない。でも、たぶんホモじゃない。古いスタッフ曰く、

    『サトル先生が愛した女性は唯一人、加納先生だけだよ』
 加納先生がサトル先生を弟子にしたのは八十歳の時、その時にサトル先生は二十五歳。この歳の差で恋愛感情なんて普通は生じる余地もないけど、とにかく不老の加納先生ならありうる不思議過ぎる世界。

 加納先生もまたサトル先生に特別な感情はあったと思ってる。だって引退から現役復帰しただけではなく、オフィス加納まで復活させてる。そして八十三歳で亡くなるまでサトル先生のみを弟子として育成されてる。

 それだけじゃない。加納先生の死後にオフィスの経営が危機に瀕した時に。大学を中退してまでオフィス加納に復帰し、経営立て直しに活躍されてる。これは自分が作ったオフィスを見殺しに出来ないだけでなく、サトル先生を見殺しに出来なかったからだと考えてる。

    「サトル先生、やはり今でも」
    「あははは、そうだよ。ボクは加納先生に恋をした。笑っても構わない、母親どころか祖母ぐらい年上の加納先生に恋をした。でも叶わぬ恋だった。でも甦ったシオリ先生なら・・・」

 こりゃ複雑な恋だ。見た目に騙されたとまで言わないけど、五十五歳も年上の女性に恋をした訳じゃない。その女性は死んだはずなのに、他の女性の中に甦ってるのよね。だからまた恋をしてるんだけど・・・まあ、誰を好きになるのも自由だけど、

    「ツバサ先生は二十九歳ですから、行ったらイイじゃないですか。加納先生はお会いしたことありませんが、ツバサ先生も素敵すぎる女性です」
    「今のツバサ先生が素晴らしい女性であるのは言うまでもないよ。でも不安なんだよ」
    「もたもたしてたら、誰かにさらわれちゃいますよ」
    「それはそうなんだが・・・」

 サトル先生の不安は、定番の告白しても相手にされないのもあるみたいだけど、歳も取らないし、こうやって甦ってくる女性の相手として自分が相応しいというか、資格があるのだろうかもあるみたい。

    「でも、加納先生は結婚されてますし、聞く限りでは旦那さんは普通に歳取って死んでますよ」
    「それはそうなんだが・・・」

 ええぃ、煮え切らない。サトル先生は間違いなくイイ人なんだ。男前とまでいわないけど、見た目だってそんなに悪くない。でも優柔不断なのが欠点かも。まあ、それでもなんとなく不安感を覚えるのぐらいはわからないでもない。言い方は悪いけど魔女に恋してるようなものだもんね。

    「おそらくだけど、すべてを知っているのは小山社長の気がしてる」

 及川社長もそう言ってたけど、

    「だったら聞きに行ったらイイじゃないですか。とりあえず知り合いだし」
    「それはそうなんだが、知るのが怖い気がしてる」

 ええい煮え切らん男だな、

    「サトル先生はツバサ先生が好きなんでしょう」
    「そうだ」
    「そこで、どうしても気になるのがツバサ先生の謎なんでしょう」
    「そういうことになる」
    「知らなきゃ、プロポーズ出来ないんでしょ」
    「いや、あの、その、プロポーズというか、まずは・・・」

 たく、イライラする。

    「知らなきゃ、プロポーズ出来ないのなら、知るしかないでしょうが。ツバサ先生だって待ってる気がします」
 そうなんだよね、サトル先生にも女の噂がないけど、ツバサ先生に男の噂がないのは業界の七不思議とさえ言われてるぐらい。だってさ、だってさ、ツバサ先生処女説まであるんだもの。ひょっとしたらサトル先生からのプロポーズ待ってるかもしれないやん。

 そこからサトル先生はグダグダと渋りまくったのだけど、アカネが頑張ってるうちに話が変な方向に転んじゃったのよね。

    「・・・だったら、アカネ君が聞いてきてくれないか」
    「どうしてアカネなのですか、直接の当事者はサトル先生じゃありませんか」
    「いやアカネ君だって当事者だ。そりゃ、ツバサ先生の弟子だもの。アカネ君だって知りたいだろ」

 ここでミスった。

    「そりゃ、アカネだって知りたいですけど」
    「だろ、だろ、だろ・・・」

 はめられた。アカネも知りたい誘惑があったから押し切られちゃった。二週間ほどしてから、サトル先生から連絡があり、クレイエール・ビルに行って欲しいって。そうすれば小山社長に会えると。一階の受付で来意を告げると、

    「渋茶の泉先生ですね」

 渋茶は余計だ、

    「御案内させて頂きます」

 なんか変だなぁ。制服じゃないから本来の受付の人じゃなさそう、歳の頃は二十代半ば過ぎだけど、超が付く美人の上に惚れ惚れするぐらいのナイス・バディ。着やせするタイプみたいだけど、アカネにはわかる。社長秘書さんぐらいかな。エレベーター・ホールに来ると、何人かの社員が待っていたのですが、

    「申し訳ありません。これからお客様を社長のところにお連れしますので、ご遠慮ください」

 なんだ、なんだ、乗り込むのは二人だけとか。なにやらパネルを操作するとエレベーターはどこにも止まらず三十階に。えっ、あの噂の三十階じゃないの。なにやら不安と期待がモコモコ湧き上がってくる感じ。ドアが開くと、

    『コ~ン』

 なんじゃ、なんじゃ、あれって、なんだっけ、竹に水がたまって鳴るやつ。さらに目の前には池があって木橋がかかってる。その橋の向こうに・・・なんでビルの中に家が建ってるんだ。さらに中に案内されると広々したリビング。う~ん、豪華だ。部屋の中には誰かいるけど、まさか、

    「来たね、アカネ。ついにここまで。まったくサトルの野郎も自分で来りゃ、イイのに。そんなんだからオフィスを潰しそうになるんだよ」
    「ツ、ツ、ツバサ先生」

 そうしたらもう一人見知った顔が、

    「いらっしゃい、ローマ以来かな。渋茶のアカネさん」

 だ か ら、渋茶は余計だけど、えっ、えっ、えっ、この人が小山社長だって。

    「あなたは、あの時のユッキーさん」
    「あら嬉しい、覚えてくれていたなんて。ユッキーと呼んでね」
 とにかく驚愕の世界で、三十階まで案内してくれたのが、なんと常務の香坂さん。歳を聞いて息が止まりそうになったけど、七十八歳って冗談だろう。今夜は一体何が起るか、アカネは果たしてこの部屋から生きて出られるのか。衝撃の結末は来週に・・・とはしてくれないよな。

渋茶のアカネ:アカネの課題

 アカネがブレークした及川電機のカレンダーだけど、あれはまだ仕事としては未完成。残り半分をなんとしても完成させなきゃいけないんだ。それこそルシエンの夢なんだよ。でもそれにはツバサ先生の協力が必要なんだけど、これが難物。

 イヤなのも心情的にわかるんだ。でもね、でもね、ツバサ先生は協力する義務があるとさえ思ってるんだ。かえすがえすも失敗だったのは、カレンダー写真が完成して、残り半分の仕事の遂行を迫った時。あの時は後一歩で了解を取れそうだったのに、アカネがぶっ倒れてしまった。

 あれからはツバサ先生も用心してるのか、この話を出そうになるとスルスルと逃げちゃうんだよね。どこかでキッカケが必要なんだけど、今はアカネも一人前のプロだから、同じオフィスといっても、弟子時代みたいに始終顔合わせてるわけじゃないもんね。

 そんな時にビックリするようなニュースが飛び込んで来たんだ。及川さんが入院したって言うのよ。アカネも時間を作ってお見舞いに行ったんだけど。見るからに弱ってた。歳が歳だから、正直なところ危なそうな感じ。

    「アカネ君、わざわざ悪いね。やっと年貢の納め時がきたみたいだ」
    「及川さん、まだ早いですよ。来年のカレンダーも見てもらわないと」
    「あははは、心配しなくとも来年も依頼すると思うよ」
 明るく振舞ってはくれますが、及川氏は寂しそう。及川氏は終生独身。養女が一人いるんだけど、これが交通孤児らしい。どうして独身の及川氏の養女になったか疑問だったんだけど、もともとは及川電機の社員の娘だったらしく、様々な経緯で養女として引き取ったらしい。

 及川氏も及川氏なりに愛情を傾けて育てらしいのだけど、やはり他人。というか、既に小学校六年生だったみたいで、難しいお年頃。親子仲はギクシャクせざるを得なかったで良さそう。

 及川氏の後に社長になった娘婿は養女が見つけて来たというか、娘婿に口説かれてというかのなれそめらしい。要は普通に恋をして結ばれたと言いたいところだけど、娘婿は野心家だったで良さそう。

 及川氏の養女の娘婿になれば、及川電機の社長の椅子が回ってくるぐらいかな。及川氏もその野心は見えてたみたいだけど、堅実な経営の才はあるにはあったらしい。もっとも及川氏の評価は手厳しく、

    「うちぐらいの規模の会社を守りの経営で切り抜けるのは無理だよ。常にイノベーションがないと必ずジリ貧になる」
 これは取締役を解任された時に岡本さんに話したものだそうだけど、その予言通り及川電機の経営は徐々に傾いていき、ついにはエレギオン・グループの一員として再生されるところまで追いつめられたとして良さそう。

 及川電機の経営のことはさておき、娘婿の夫婦仲も良くなかったそうなのよ。それが娘婿の社長解任が決定打になり離婚。子どももいたそうだけど、そういう家庭で育ったものだから、独立してからは家にも寄り付かずみたい。

 及川氏はあの広いお屋敷に一人で住み、入院してからも家族の見舞はなさそう。そのためかアカネが行くとまるで孫、歳の差からするとひ孫かもしれないけど喜んでくれる。

    「及川さん、あのカレンダーの仕事はまだ終わっていません」
    「そんなことはない。あれは立派な仕事だった。あの頃を思い出したもの。加納先生が撮ったカレンダーを見る時のワクワク感と、それさえ裏切る仕上がり。冥土の土産に相応しいものだ」

 どう見ても及川氏に残された時間は長くなさそうなんだけど、

    「岡本社長から聞きました。あのカメラのプロジェクト・コードはルシエンではないって」
    「岡本もおしゃべりだな。そうだミューズだ」
    「でもプロジェクト・ルシエンはあったと」

 及川氏は遠い昔を思い出してるようでした。

    「プロジェクト・ルシエンは私的なプロジェクトで岡本んさんや、ごく限られたメンバーしか内容を知らなかったはずです」
    「あははは、ちょっと思い違いをしてる。岡本ならそう解釈してるだろうが、プロジェクト・ミューズはプロジェクト・ルシエンの最終部分だよ。そう及川CMOSの開発も一部だ」

 ああ、やっぱり。

    「及川さんがルシエン計画を始められたのは、加納先生にカメラを贈る約束をした時じゃないですね」
    「どうしてそう思うかね」
    「人であるベレンはルシエンに恋をします。許されぬ恋の条件にシンマリル奪取を命じられたベレンは片手を失いながらも使命を果たします。ところが、シルマリルを飲み込んだカルハロスによって深手を負わされベレンは死にます」
    「トールキンだね。加納先生をルシエンにたとえ、私がベレンってところだ」

 もう言ってくれてもイイのに、

    「及川さん、いつ知ったのですか。加納先生がエレギオンの女神であることを」

 及川さん顔に凄味が、

    「私は二十六歳の時に急死した親父の跡を継いで社長になった。しかもだ、当時はまだ大学院在学中だった。それも仏文だ。こんな役立たずが、あれほどの業績を残せるのが不思議だと思わんか」
    「そ、それは・・・」
    「経営だけならまだしも、数々の製品開発を行ったが、その基礎知識はすべて泥縄式に習得したものだ」
    「まさか・・・」
    「そのまさかだ。私の正体を知る者はおそらくエレギオンHDの小山社長ぐらいだ。シオリにはなぜか見えなかったらしい」
    「見えるって」
    「小山社長に聞いてみたまえ」

 往年の気迫が甦ったみたいな・・・

    「シオリをルシエンに喩えたのはそうだが、ベレンに喩えたのは山本先生だ」

 アカネの予想さえ超えてる。

渋茶のアカネ:三十階仮眠室にて

    「ユッキー、なんか用か。わざわざここに呼び出しって大層やんか」
    「そうよ大事な用事よ」

 なんやろ。大学や大学院通ってる間はお互いフリーが原則やねん、用事があるとしたら女神の仕事、そうイタリアでやった天の神アンの残党騒ぎクラスや。

    「また変なんが湧いて来たとか」
    「それはだいじょうぶ」
    「だったら」
    「でも、これもある意味、女神の仕事」

 ある意味ってなんじゃろ、

    「シノブちゃんは?」
    「旦那さんの看病で休職中」
    「ミサキちゃんは?」
    「こっちも旦那さんが入院しちゃって」
    「マルコが!」

 あの歳になっても瞬間湯沸かし器は健在みたいやねんけど、怒って滑って転んで骨折。

    「ボケなきゃ、イイけど」
    「ホントにね」

 まさかユッキーの奴、シノブちゃんも、ミサキちゃんも不在だから寂しさの余りコトリを呼んだとか。それなら、それで相手したらなしょうがないけど、ユッキーが宿主代わりの時にはどうする気やろ。

    「クレイエール・ビルも五十年になるのよね」

 そやなぁ、これ建てたんは綾瀬社長の時代やもんな。

    「少々老朽化したのと、さすがに手狭になってきたから建て替え考えてるのよ」
    「もうちょっとだけ待った方がええんちゃう」
    「その辺は考えてるけど、コトリと基本意見を一致させときたいし」

 建て替え時のネックはミサキちゃんだもんな。やるならミサキちゃんが宿主代わりに入った時期しかあらへん。

    「前のプランか?」
    「コトリの意見は」
 前のプランを練ったのは三十年ぐらい前だっけ。エレギオンHDが設立された時に、本社ビルを新築しようってなったんや。三ノ宮の駅前に土地も確保しとってんけど、駅前再整備事業と絡んで消えてもた。

 エレギオン本社ビル新築の話が頓挫した表向きの理由はそれやけど、裏の理由もあって、仮眠室の拡大プランを考えとってん。今のはワン・フロアに建ててるから、平屋やし、屋根も格好悪いやんか。

 ユッキーも玄関を吹き抜けにして大きな階段作りたいっていうし、コトリもあれこれ部屋が欲しかってん。そこで出来上がったのが五フロア分使っての三階建て計画。これやったら二人の希望をほぼ盛り込めそうやってんよ。

 しかしミサキちゃんが大反対。まあわからんでもない。それだけのビル内建築物を建てるとすれば、ビルの構造をよほど強化しないといけないし、仮眠室だけで五フロアも取るのは誰から見ても非常識だし、住んでるのは二人だけだし。

    「さすがに五フロアぶち抜きは拙いんちゃう」
    「コトリもそう思うよね」

 ユッキーの出してきたのは三フロア・プラン。

    「三フロアといっても、ぶち抜きは二フロア分にする。規模は今とあまり変わらないけど、屋根がちゃんと出来るのと、ロフトが作れるよ」
    「ロフトは感じ良さそうやん」
    「それと庭がちゃんと作れるの」

 いまの庭は床の上にうっすら土を敷いた程度。とにかくワン・フロア分しか高さがないから、木を植えるのも大変。

    「なるほど、一階目は社長室とかの役員室やな。仮眠室に入るには一階目からの専用エレベーターってわけか」
    「どう」
    「コトリは賛成やけど、どうせミサキちゃんが宿主代わりに入らへんかったら、手つけられへんやんか」
    「それはそうなんだけど、今回の話ってわたしもコトリも出番がないじゃない」

 たしかに。

    「このままじゃ、出番なしで終りそうじゃない」
    「そんなことは・・・あるかも」
    「でもこれってシリーズものだし、このシリーズの真の主役はわたしだし」
    「違う主役はコトリだ」

 おっとここで喧嘩したらあかん。

    「とにかく飲もか」
    「そうね。そうだそうだ、コトリに飲んでもらいたいビールがあるんだ」

 あれ、缶ビールかいな。それも冷やしてないし、コトリは温いビールはあんまり好きじゃないんだけど、飲まへんのも悪いし。

    「これ、これって、まさか、あの時の・・・」
    「そうあの時のラウレリアのビールを再現したつもり。コトリにもそう思ってもらえたら成功かな」

 懐かしいなんてものじゃない。二度と飲む事なんてないと思ってた。

    「ヒントは?」
    「グルート・ビールよ」
    「でもあれは何となく似てるけど、やっぱり違うで」
    「ダテに九年間も遊んでなかったよ」
    「そういうのを遊んでるって言うんやんか」

 エレギオン黄金時代の掉尾を飾る珠玉のビール。これが現代のエレギオンに復活するなんて。あの頃の思い出が一遍に甦る気分や。

    「コトリ、あの夜に終わっちゃったけど、またここから始めよ。今度こそ二人でエレギオンの平和を守ろう」
    「もちろんや。あんな事には絶対にさせない。コトリとユッキーが組めば世界最強やし、今は主女神だって復活してる。真の黄金時代を思う存分謳歌するんや」

 ユッキー、ありがとう。今日の本当の目的はコレだったんや。あの苦しいアングマール戦のさなかにユッキーが見えた平和な世界まで生き抜いて来れたんだ。後は楽しまないと。

    「ユッキー、ビールはあるの」
    「それがね・・・」
    「・・・わかった、わかった協力する。二人でコンビを組めばすぐに問題は解決」

 山のような試作品が溜まっていて、飲んで処分するのに悪戦苦闘中だって。

    「ユッキー。こっちのはイマイチ過ぎるで」
    「なかなか難しくてね」
    「でも、当時やったら一級品や」
    「あははは、そうとも言える」

 現代のビールも大好きだけど、当時のビールは格別。現代人の口にはあわへんかもしれんけど、これこそが世界で二人しか覚えていないエレギオン時代のビール。

    「コトリ、こっちなんだけど」
    「うん、これは踊る魚亭だよ」
 そう、あそこからの苦しいことを思い出すんじゃなくて、あそこからあの戦争がなく続いて築いたはずの時代を作るんや。来年からコトリも復活だし。

渋茶のアカネ:アカネ・イメチェン

    「男が欲しい」
 もとい恋人とか彼氏が欲しいの意味だけど、真剣に考えるべき課題である。たしかに仕事が忙しいから出会いのチャンスは少ないけど、この状態が改善されるわけないじゃないんだ。そうなのよ、忙しくても一時的なものなら、そこだけ我慢してもイイけど、下手すりゃ、死ぬまでこんな感じじゃないの。

 アカネはフォトグラファーになるために頑張って来たし、この仕事も大好き。仕事だって楽しいけど、仕事だけに人生を費やす気はないもの。ましてやまだ二十二歳だよ。まだまだ花も恥じらう乙女のはず。

 そうよそうよ、仕事は大事だけど人生の全てじゃないのよ。そうよ、プライバシーの充実、あれっ、なんか違うな、プラモデルじゃない、プリンターじゃない、えっと、えっと、プラスチック、プライムビデオ・・・性活じゃなかった生活の充実も同じぐらい大事だ。じゃあ、どうすればだけど、手っ取り早く言えばやっぱり、

    「男が欲しい」
 問題はどうやったら入手できるかなんだよな。理想は白馬の王子様が現れること。でも二十二年生きて来てガマガエル一匹現れる兆候もないじゃない。アカネだって女だから、中学や高校でラブラブ・カップルしてる連中を見て羨ましかった。

 でもさ、あの時代はまだそういうカップルって例外的じゃない。そうでない方が多数派だったから、羨ましいだけで、そんなに悔しいと思わなかったんだ。勝負は大学に入ってからと思ってた。

 大学に入るとたしかにラブラブ・カップルは増えてった。引っ付いたの、別れたの、ついに初体験だの話で大盛り上がり。子どもが出来ちゃったから、堕ろすの堕ろさないで大騒ぎとか。産科まで付いて行って、その後で慰めまくるってのもあった。

 わかる、みるみるうちにアカネは少数派になっていったのよ。アカネは間違っても暗くて陰気な女じゃない。コンパも、合コンも良く誘われたし、財布の許す限り参加してた。でもね、ふと気が付くと、途中で消えてく連中がいるのよね。要は目的を果たしたってことだけど、アカネは例外なく三次会、下手すりゃ五次会までいるのよね。

 どうして、どうして、どうして、アカネだけ無視するのよ。声の一つぐらいかけてくれたってイイじゃない。男友達もたくさんいたし、なんだかんだとよく遊んだけど、甘そうな雰囲気の一つなったことすらない。

 大学は二年の秋に中退しちゃってツバサ先生の弟子になったんだけど、オフィス加納でも同じ。オフィスにも男はいるし、独身もいる。今だってそうだけど、オフィスで一番若いのはアカネなのよ。どうしてみんな無視するのよ。

 プロになれて専属契約してからは、芸能人のグラビア撮影の仕事も多いんだ。男性アイドルだって多いんだけど、ツバサ先生から、

    『あの手の人種は、口説いて一発やるだけの連中も多いから気を付けてね。もちろん、割り切って楽しむのもありよ』
 やるかやらないかは置いといても、声ぐらいかかると期待してたんだ。だってそんな経験すらゼロじゃない、初めて口説かれたのがアイドルってのは自慢のタネぐらいになるじゃない。なんなら、やってもイイぐらいに思ってるのに。

 それ以前にツバサ先生のアシスタントやってる時も同様。そりゃ、ツバサ先生と並んでしまえば、どんな女だってくすんで見えるのは認めざるを得ないけど、

    『時々、そんな感じの声がかかりますが、すべてお断りさせて頂いています』
 そうなんだよ、マドカさんには声がかかってるんだ。マドカさんは悔しいぐらい上品で、綺麗で、可愛げがある上に教養まであるお嬢様。ツバサ先生と並んでもアカネみたいに単なる引き立て役で終わらないぐらい。

 もっともあんなに虫も殺さないような顔をしながら、赤坂迎賓館スタジオを辞めた理由が、セクハラされそうになったから、相手を投げ飛ばしたっていうぐらい芯も強い。エエイ、とりあえずマドカさんは置いとく。


 いろいろ考えたけど、アカネはイメチェンすることにした。とりあえず諸悪の根源は、

    『渋茶のアカネ』

 これが定着してしまったことにあると見た。だってさ、だってさ、ツバサ先生は、

    『光の魔術師』

 格好イイじゃん。渋さが売りのサトル先生も、

    『和の美の探求者』

 どうしてオフィス加納の三枚目の看板が『渋茶』なのよ。渋茶からイメージされる女に恋愛感情なんて抱くはずないじゃんか。そこでだ、そこでだよ、他の呼び名を付けてもらうために仕事で頑張った。ちょっと仕事に偏りが出来ちゃったので、ツバサ先生は、

    「うん、まあイイか」

 気づいたみたいだけど、愛に溢れる写真を量産してみたんだ。期待はラブリー・アカネだったんだけど、結果は、

    『渋茶のアカネの愛の溢れる世界』

 クソっと思って、今度は幸せいっぱい路線で量産。これも、ツバサ先生は。

    「はん、ふ~ん」

 期待はハッピー・アカネとか、幸せの伝道者だったんだけど、結果は、

    『渋茶のアカネの幸せ世界』

 どう頑張っても渋茶が取れてくれないのよ。あれこれ傾向を変えてたらドドメは、

    『渋茶のアカネの七色世界』

 アカネはイロモノか! ツバサ先生なんか、

    「う~ん、芸域の広がりが感じられる」
 仕事の成果で呼び名を変えるのは当面無理そうだから、アカネ自身をイメチェンすることにした。カメラマンって肉体労働だから、欲しいアングルのためには寝転がったり、木に登ったりなんて日常茶飯事なのよね。それこそ髪振り乱しての世界。

 だからツバサ先生はほんの薄化粧。下手すりゃスッピン。アカネもそれに見習ってスッピン。ツバサ先生のアシスタントも半端じゃないからね。仕事だけならそれでイイんだけど、ここは絶対変えなきゃいけないって。

 ツバサ先生が薄化粧やスッピンなのは仕事の都合もあるけど、そもそも化粧の必要もないほど元が綺麗なこと。これをアカネが真似しても意味がないだろ。うんと、スッピンでも集まって来るなら問題ないけど、集まって来ないのなら化粧するべし。

 思いっきり気合入れて化粧してみた。効果はあったと思った、オフィスに出勤しただけでスタッフの反応がまるで違ったもの。ほ~ら、アカネも化粧を決めればこれだけ違うと思ったんだ。

 その日の仕事は屋外のロケだったんだけど、かなり暑い日。仕事に入ると写真しか考えなくなっちゃうんだけど、いつものように大奮闘。イイ仕事が出来たと思ってるよ。帰りのロケバスの時だったけど、なにかアシスタンさんが怖がってる気がしたんだよ。おかしいなぁと思いながらもオフィスに帰ったところでツバサ先生にバッタリ。

    「アカネ、ちょっと来い」

 あれ、なにか仕事でしくじったかと思ってたら御手洗に。

    「鏡を見ろ」
    「ぎよぇぇぇ」

 御手洗にこだまするアカネの絶叫。化粧に慣れてない上に、気合を入れ過ぎての厚化粧。それが汗と泥でグショグショになっていて、まるでハロウィンの怪物みたいな形相に。それ以来、

    『渋茶に化粧』

 これだけじゃ、わかりにくいけど、同じような意味で言えば、

    『猫に小判』
    『豚に真珠』

 これぐらい似合っていない意味になっちゃった。ツバサ先生は、

    「男なんて、そのうち湧いて来るよ」

 グスン。『そのうち』なんていつの日よ。来なけりゃどうしてくれるのよ。でも化粧には懲りた。

    『カランカラン』

 ツバサ先生に誘われてバーに。

    「飢えてるな」
    「さすがにお腹いっぱいです」

 バーに来る前に焼肉行ったんだ。そしたらツバサ先生食べる、食べる。ツバサ先生がよく食べるのは知ってるけど、釣られて食べたアカネのお腹はパンパン。

    「男にだよ」

 そっちか。でも飢えてるんじゃないよ、欲しいだけ。その差は・・・あんまり変わらんか。でも聞いてみたい、

    「アカネは綺麗ですか」
    「はん、そう思う奴は少ないだろうな」

 そこまで、はっきり言わなくとも。

    「でも少ないけどいる」

 あんまりフォローになってない気がする。

    「いくらアカネが好き者だって、世界中の男を相手にする気はないだろ」

 誰が好き者だってか。好き者どころかまだやったこともないんだから。

    「一人見つけりゃ、イイじゃないか」
    「でも、一人さえいなかったら」
    「いない時はいないさ。でもゼロということない。焦って飛びついたらロクな目に遭わない」

 そりゃ、そうだよな。DV男とか、浮気しまくり男とか、ギャンブル狂とか、ヒモ専科とか、浪費癖バリバリとか、結婚詐欺はお断りだ。

    「加納先生の旦那さんの顔を見たことあるか」

 写真でなら何度か。

    「どう思った、どう感じた」

 優しそうな人だったけど、あの加納先生の旦那さんにしたら意外だった。悪いけど、もっと格好のイイ人だと思ってた。そしたら加納先生は一枚の写真を取り出してきて、

    「これが及川氏だ」

 うひょょょ、なんとイケメンで格好の良いこと。アイドル顔負けじゃない。若い時はこんなんだったんだ。それにしても良くこんな写真見つけて来たな。

    「加納先生は及川氏と付き合ったおられたんだが、後の旦那さんに再会した時から、すべてを投げ捨てるように恋に走られてる」

 それは及川氏から聞いた。聞いたけどビックリだなぁ。旦那さんはお医者さんだったけど、及川氏だって社長だから医者に目がくらんだ訳じゃないものね。

    「及川氏から聞いたのですが、結婚までも紆余曲目があったとか」
    「それを言うなら『紆余曲折』だ」

 意味が通じるからイイやんか。

    「なんか天使とか菩薩様が出てきて大変だったとか」
    「そこまで聞いてるのかい」

 またもやツバサ先生は一枚の写真を、

    「この仏像は?」
    「菩薩様だよ。亡くなった後にその姿を観音菩薩像に刻んで祀られてるんだ」
    「マジですか」

 この仏像通りの女性が存在するなんて信じられない。

    「アカネはわたしの母校に鶏ガラ・ツバサの写真を探しに行ったよね」
    「あ、はい」
    「あの時に加納先生の特集雑誌を見せてもらったよね」
    「ええ」
    「あの同学年に加納先生に匹敵するほどの人気があった生徒がいてね。同じぐらい特集雑誌が出てた」
    「それはもしかして、野球の応援でチア・リーダーやっていた人ですか」
    「それも見たのかい。左側が天使だよ。お二人とも母校の伝説的な美人だったんだよ」

 なんだ、なんだ、なんなんだ。あの優しい以外に取り柄の無さそうな加納先生の旦那さんに、これだけの美女が群がるとは信じられない。

    「人を愛するのはどこを愛するかだよ。そりゃ、見た目とか、学歴とか職業のスペックにどうしても目が行くのは仕方がないことだ。でもね、本当に見ないといけないのはハートだよ。これはわたしもまだまだ勉強中だけどね」
    「ハートですか?」
    「そうだよ、アカネがたとえ目を剥くぐらいの美人であってもいつかは年老いる」

 加納先生みたいな例外もいるけど、アカネが例外である可能性はゼロだもんな。

    「美しさしか見てない男の愛は続かないよ。昔から言うじゃない、美人は三日で飽きるって。アカネのハートは綺麗だよ。アカネのハートの綺麗さを見抜く男は必ず現れる。それは保証できる」
    「ホントにいるのでしょうか」

 そしたらツバサ先生は朗らかに笑いながら、

    「いるよ。なにせ五千年の保証付きだからね」
 加納先生がどれほど旦那さんを愛していたかのエピソードはオフィスの中に今でもたくさん残ってるものね。加納先生にはきっと見えてたんだと思う。アカネを見抜く男だってきっといるはず。でも、早めに出てきて欲しいな。

渋茶のアカネ:休日のアカネ

 アカネを幹部社員じゃなく専属契約にした理由を聞いたことがあるのだけど、ツバサ先生は、

    「あん、経営やりたいの?」

 アカネには無理だろうって。ごもっともで、幹部社員ってエラそうな肩書付くけど経営もやらなきゃいけなものね。おかげで写真に専念出来て助かってる。もっとも専念しすぎてるみたいで、

    「明日は休みだ、電話も切っとけ」

 だってあんだけの契約料と給料の上に歩合までもらってるんだから、元とるために働かないといけないじゃない、

    「アカネは黒字だ。休まないとまた入院になるぞ」
 はい、休みます。どうも、ちょっと前にやったアイドル・グループの写真集の評判が良かったみたいで、依頼料がまた上がったみたい。貯金も増えて来たから、二本目の加納志織モデルのレンズを狙ってるところ。

 休みと言ってもやることないのだけど、とりあえず午前中は部屋のお掃除。やったら、とりあえずどころのものじゃなく、エライことになっちゃったけど、ちょっとスッキリ気分。お昼はカップラーメンを食べて午後はまったり。


 まったりしてると、及川氏の話がグルグル回ってきた。あの夜に、

    「アカネ君はエレギオンの女神を知ってるかね」

 アカネは歴史も苦手だったから、困ったと思ったんだけど、その話なら知ってる。子どもの時に、

    『愛と悲しみの女神』

 こんなアニメがあったんだ。アカネは熱中したんだけど、原作漫画もあったから読んでた。あれって全部作り話と思ってたんだけど、及川氏によればさらなる原作があるっていうのよね。

    「あれは古代エレギオンに残されていた大叙事詩なんだよ」
    「でもそれも作り話じゃ」
    「長い間、そうと考えられていたが、最近の発掘調査で事実であると確認されつつあるのだよ」
    「まさか、壮大な大城壁が実在したとか」
    「その土台が確認されておる」
    「ではリュースとか、イッサとか、メイスとか・・・」

 漫画に出てきた女神の恋人で、格好良いのよね。まさに男の中の漢でアカネも惚れちゃったぐらい。

    「アングマール戦の石碑も発見されて、すべて存在が確認されておるのじゃ」

 ビックリした、ビックリした。このエレギオンの女神なんだけど、そりゃ美しくて、気高くて、賢いんだけど不老なんだよね。でも寿命が来ると死んじゃうんだけど、女神の魂は他の女性に移り変わって永遠の生を保つってのよね。漫画の設定だから『そんなのもあり』って思ってたけど、

    「アカネ君、世の中にはエレギオン学というのがあってな。日本では港都大が有名だ」
    「エレギオン学ですか」
    「文字通り、古代エレギオンを研究するものなのだが・・・」
 及川氏によるとエレギオン学の卒業生が及川電機に入社してきたそうなの。勉強してきたものと就職場所にえらい差があるけど、考古学で食える人は少なそうだものね。当時の及川氏は社長だったんだけど、そんな変わり種もおもしろうそうだと採用したみたい。

 そこで不思議な話を聞いたそうなんだ。及川氏は、そのエレギオン学の卒業生にエレギオン学の神髄とは何かと聞いたんだって。そしたら返った答えが、

    『永遠の女神を信じることです』

 なんか宗教がかってるというか、禅問答みたいな答えなんだけど、古代エレギオンでは漫画のように魂が移り歩く女神が実在したって言うのよね。そんなアホなと思うけど、それをまず信じることがエレギオン学のスタートっていうから驚き。及川社長もそう思ったそうなんだけど、

    「アカネ君、港都大は三次に渡るエレギオン発掘調査を行っているのだが、そのいずれもが世界を驚かす成果を挙げておるのだ」
    「そうなんですか」
    「その第一次の発掘隊長が小島知江氏、第二次の発掘隊長が立花小鳥氏なのだ」
    「小島氏、立花氏といえばクレイエールの」
    「そうなのだ」

 話がつながってるような、つながっていないような、

    「まさか古代エレギオンの女神が、現代でも実在してるのを信じるのがエレギオン学だというのですか」
    「そうらしい」

 それにしても及川氏がそんなことに、そこまで詳しいのかと聞いたんだけど、

    「あははは、シオリのためだよ。だが、会長になって三年目ぐらいだったかな。シオリはすべてを知ってしまったらしい」
    「加納先生が謎を知られたのですか」
    「以後はその話題を二度としなくなった」

 何があって、何が起ったんだろう。

    「アカネ君、君も知りたいのじゃないのかね」
    「えっ、まあ、そりゃ」
    「君は麻吹先生とシオリが同一人物ではないかと疑っておるのじゃないのかね」
    「えっ、あの、なんというか・・・」

 さすがはタダのジジイではない。

    「私が知っているのはここまでだ。すべての謎はクレイエール・ビル三十階にあると考えておる」
    「そこに何があるのですか」
    「あそこへの出入りは厳重に制限されておる。エレギオンHD社員でさえ出入り禁止だ」

 開かずの間みたいなもんかな。

    「ただシオリは晩年に出入りしていたらしい」
    「加納先生がですか。なかの様子はどうだったのですか」
    「なにも話してくれなかった」
 アカネもググってみたんだけど、出てくる出てくる。エレギオンHDの心臓部ってことになってるけど、中については完璧なミステリー・ゾーン扱い。最新のスーパー・コンピューターがあるって話から、夜な夜な黒魔術やってる話まで出てるぐらい。

 エレギオンHDのトップ・フォーの顔写真も探したんだけど、これが見事なぐらい見つからないんだ。これも書いてあるのはミステリアスな話ばかりで、氷の女帝とか、現代の魔女とか、エレギオンの四女神とかあるけど、これじゃ、サッパリわかんないよ。


 そうこうしているうちに日も暮れてきた。晩御飯何にしよう。メンドクサイからコンビニ弁当でも買ってこようかな・・・ん、ん、ん、これは拙い休日の過ごし方じゃないか。こんなに若くて写真も上手な可愛い女の子が、こんな休日でイイわけないじゃないの。

 やっぱり朝からデートに出かけて、今ごろはアカネを喜ばしてくれる、どんな素敵なディナーを御馳走してくれるか、期待に胸を弾ませて時間じゃなきゃいけないはず。サキ先輩もいってたもんね。カメラばっかりに熱中してるといけないって。

 アカネだって男が欲しい、もといこれじゃ生々しすぎるから恋人が欲しい。どうして誰も寄ってこないんだ。まあ、あんだけ仕事してたら出会う間もないけど、休日でさえこんな調子じゃ、見つかる訳ないやんか。うぇ~ん、誰か世話してくれ、こんな虚しい休日はヤダ。

 贅沢は言わないよ。背が高くて、ハンサムで、ジェントルマンで、アカネのことを世界中で一番大切にしてくれて、掃除も洗濯もやってくて、テーブルには花を飾ってくれて、クリスマスや誕生プレゼントにロッコールの加納志織モデルのセットをポンッと贈ってくれて、えっと、えっと、その程度で我慢するから。