渋茶のアカネ:休日のアカネ

 アカネを幹部社員じゃなく専属契約にした理由を聞いたことがあるのだけど、ツバサ先生は、

    「あん、経営やりたいの?」

 アカネには無理だろうって。ごもっともで、幹部社員ってエラそうな肩書付くけど経営もやらなきゃいけなものね。おかげで写真に専念出来て助かってる。もっとも専念しすぎてるみたいで、

    「明日は休みだ、電話も切っとけ」

 だってあんだけの契約料と給料の上に歩合までもらってるんだから、元とるために働かないといけないじゃない、

    「アカネは黒字だ。休まないとまた入院になるぞ」
 はい、休みます。どうも、ちょっと前にやったアイドル・グループの写真集の評判が良かったみたいで、依頼料がまた上がったみたい。貯金も増えて来たから、二本目の加納志織モデルのレンズを狙ってるところ。

 休みと言ってもやることないのだけど、とりあえず午前中は部屋のお掃除。やったら、とりあえずどころのものじゃなく、エライことになっちゃったけど、ちょっとスッキリ気分。お昼はカップラーメンを食べて午後はまったり。


 まったりしてると、及川氏の話がグルグル回ってきた。あの夜に、

    「アカネ君はエレギオンの女神を知ってるかね」

 アカネは歴史も苦手だったから、困ったと思ったんだけど、その話なら知ってる。子どもの時に、

    『愛と悲しみの女神』

 こんなアニメがあったんだ。アカネは熱中したんだけど、原作漫画もあったから読んでた。あれって全部作り話と思ってたんだけど、及川氏によればさらなる原作があるっていうのよね。

    「あれは古代エレギオンに残されていた大叙事詩なんだよ」
    「でもそれも作り話じゃ」
    「長い間、そうと考えられていたが、最近の発掘調査で事実であると確認されつつあるのだよ」
    「まさか、壮大な大城壁が実在したとか」
    「その土台が確認されておる」
    「ではリュースとか、イッサとか、メイスとか・・・」

 漫画に出てきた女神の恋人で、格好良いのよね。まさに男の中の漢でアカネも惚れちゃったぐらい。

    「アングマール戦の石碑も発見されて、すべて存在が確認されておるのじゃ」

 ビックリした、ビックリした。このエレギオンの女神なんだけど、そりゃ美しくて、気高くて、賢いんだけど不老なんだよね。でも寿命が来ると死んじゃうんだけど、女神の魂は他の女性に移り変わって永遠の生を保つってのよね。漫画の設定だから『そんなのもあり』って思ってたけど、

    「アカネ君、世の中にはエレギオン学というのがあってな。日本では港都大が有名だ」
    「エレギオン学ですか」
    「文字通り、古代エレギオンを研究するものなのだが・・・」
 及川氏によるとエレギオン学の卒業生が及川電機に入社してきたそうなの。勉強してきたものと就職場所にえらい差があるけど、考古学で食える人は少なそうだものね。当時の及川氏は社長だったんだけど、そんな変わり種もおもしろうそうだと採用したみたい。

 そこで不思議な話を聞いたそうなんだ。及川氏は、そのエレギオン学の卒業生にエレギオン学の神髄とは何かと聞いたんだって。そしたら返った答えが、

    『永遠の女神を信じることです』

 なんか宗教がかってるというか、禅問答みたいな答えなんだけど、古代エレギオンでは漫画のように魂が移り歩く女神が実在したって言うのよね。そんなアホなと思うけど、それをまず信じることがエレギオン学のスタートっていうから驚き。及川社長もそう思ったそうなんだけど、

    「アカネ君、港都大は三次に渡るエレギオン発掘調査を行っているのだが、そのいずれもが世界を驚かす成果を挙げておるのだ」
    「そうなんですか」
    「その第一次の発掘隊長が小島知江氏、第二次の発掘隊長が立花小鳥氏なのだ」
    「小島氏、立花氏といえばクレイエールの」
    「そうなのだ」

 話がつながってるような、つながっていないような、

    「まさか古代エレギオンの女神が、現代でも実在してるのを信じるのがエレギオン学だというのですか」
    「そうらしい」

 それにしても及川氏がそんなことに、そこまで詳しいのかと聞いたんだけど、

    「あははは、シオリのためだよ。だが、会長になって三年目ぐらいだったかな。シオリはすべてを知ってしまったらしい」
    「加納先生が謎を知られたのですか」
    「以後はその話題を二度としなくなった」

 何があって、何が起ったんだろう。

    「アカネ君、君も知りたいのじゃないのかね」
    「えっ、まあ、そりゃ」
    「君は麻吹先生とシオリが同一人物ではないかと疑っておるのじゃないのかね」
    「えっ、あの、なんというか・・・」

 さすがはタダのジジイではない。

    「私が知っているのはここまでだ。すべての謎はクレイエール・ビル三十階にあると考えておる」
    「そこに何があるのですか」
    「あそこへの出入りは厳重に制限されておる。エレギオンHD社員でさえ出入り禁止だ」

 開かずの間みたいなもんかな。

    「ただシオリは晩年に出入りしていたらしい」
    「加納先生がですか。なかの様子はどうだったのですか」
    「なにも話してくれなかった」
 アカネもググってみたんだけど、出てくる出てくる。エレギオンHDの心臓部ってことになってるけど、中については完璧なミステリー・ゾーン扱い。最新のスーパー・コンピューターがあるって話から、夜な夜な黒魔術やってる話まで出てるぐらい。

 エレギオンHDのトップ・フォーの顔写真も探したんだけど、これが見事なぐらい見つからないんだ。これも書いてあるのはミステリアスな話ばかりで、氷の女帝とか、現代の魔女とか、エレギオンの四女神とかあるけど、これじゃ、サッパリわかんないよ。


 そうこうしているうちに日も暮れてきた。晩御飯何にしよう。メンドクサイからコンビニ弁当でも買ってこようかな・・・ん、ん、ん、これは拙い休日の過ごし方じゃないか。こんなに若くて写真も上手な可愛い女の子が、こんな休日でイイわけないじゃないの。

 やっぱり朝からデートに出かけて、今ごろはアカネを喜ばしてくれる、どんな素敵なディナーを御馳走してくれるか、期待に胸を弾ませて時間じゃなきゃいけないはず。サキ先輩もいってたもんね。カメラばっかりに熱中してるといけないって。

 アカネだって男が欲しい、もといこれじゃ生々しすぎるから恋人が欲しい。どうして誰も寄ってこないんだ。まあ、あんだけ仕事してたら出会う間もないけど、休日でさえこんな調子じゃ、見つかる訳ないやんか。うぇ~ん、誰か世話してくれ、こんな虚しい休日はヤダ。

 贅沢は言わないよ。背が高くて、ハンサムで、ジェントルマンで、アカネのことを世界中で一番大切にしてくれて、掃除も洗濯もやってくて、テーブルには花を飾ってくれて、クリスマスや誕生プレゼントにロッコールの加納志織モデルのセットをポンッと贈ってくれて、えっと、えっと、その程度で我慢するから。

渋茶のアカネ:御礼訪問

 ここがクレイエール・ビルだな。ここはアカネでも知ってるエレギオンHDの本社ビル。そりゃ、世界三大HDの一つだもんね。エレギオン・グループからの仕事も多いから失礼ないようにしとかないと。

 今日は及川氏からカレンダーの件で話がしたいとのこと。かつて及川氏が社長や会長だった頃にカレンダーが出来上がるごとに加納先生とこうやって会食してたみたいで、アカネも同じように呼ばれたで良さそう。

 えっと、えっと、エレベーター・ホールはあそこで、レストランは最上階のイタリアンだったよね。それにしても楽しみ。ここのイタリアンは有名で、ロケーションもイイから一度来てみたかったんだ。店に入って、

    「えっと及川さんの・・・」
    「承っております。渋茶の泉先生ですね。御案内します」

 だから渋茶は余計だ。テーブルに案内されて、

    「本日はお招き頂きありがとうございます」
    「おお、良く来てくれた。アカネ君じゃなかった、アカネ先生と呼ばなきゃいけないないな」
    「アカネでけっこうです」

 これが若い格好のイイ男だったら申し分はないんだけど、そこまでは贅沢か。それにしても噂通りシックで高級感あふれる店だよねぇ。ちなみに今日のアカネはローマでツバサ先生に買ってもらった一式でフル装備。ヒールが辛いけど頑張って歩いてきた。シャンパンがサーブされて、

    「カンパイ」

 うん、料理も美味しい。ローマの時のも美味しかったけど、こっちの方が日本人向きにアレンジされてるのか、もっと美味しい感じさえする。

    「アカネ君の仕事には大変満足しておる。まさにあのカレンダーが甦ったみたいだった」
    「御満足頂けて光栄です」
    「岡本や、岩崎、二谷や岩本と祝杯をあげさせてもらったよ」

 聞くとカメラ・プロジェクトのメンバーで、今でも及川氏と親交のある方々でイイみたい。

    「ところでカメラなのですが」
    「ちゃんと動いてくれたかな」
    「もちろんですが、あれほどのカメラをもらって良いのでしょうか」
    「なんの話かな」
    「アカネ2です。あれは本物のルシエン、それもイメージセンサーが新型に交換されている改造機。レンズだって加納志織モデルではないですか」

 及川氏が悪戯っぽく笑って、

    「あれは確かに私の手元にあったものだが、岡本に売ったんだよ」
    「えっ」
    「岡本も悔しがってな。あれが本物のルシエンであり、さらに改造までされてると気づかなかったみたいだ」
    「そんなことが」
    「そのうえレンズまで見落としてしまったとな」

 そんなことが起るはずがないじゃありませんか、岡本社長がそんな初歩的な見落としをするわけが、

    「そういう話になっとる。棺桶までカネを抱えていっても空しいだろう。カネは使ってこそ生きるものだよ。君は単に岡本から格安の中古カメラを買っただけだよ」
    「そんなぁ」
    「その代りにカレンダーが甦ったのだ。みんな夢が叶ったと喜んでおった」

 ありがたくもらっておこう。

    「それにしても、よく新型センサーが組み込めましたね」
    「うむ、ちょっと悪戯をしていてな」

 聞くとルシエンには製作時にグレード・アップを容易にする設計が盛り込まれたんだって。イメージセンサーと画像処理エンジンをアセンブリー交換することにより、機能アップを可能にするぐらいかな。

    「今でもそうだが、イメージセンサーや画像処理エンジンはいくら最高のものを作っても十年もすれば陳腐化するじゃろ。当時なんてもっと早かった。だからそこを交換することでカメラの寿命を伸ばそうと思ってな」

 新型センサーの規格をルシエンの及川CMOSと交換可能なものにして作ったそうなのよ。

    「画像処理エンジンは?」
    「あれは試作品じゃ」

 及川電機では新型センサー開発と並行するように画像処理エンジンの開発も進められてるみたい。ロッコール・ワン・プロは良いカメラだけど、画像処理エンジン抜きのロー画像専用カメラだから、一般向けとしては無理があるのよね。だから画像処理エンジンを組み込んだものが熱望されてるのだけど、そのための布石で良さそう。

    「それもアセンブリーの規格はルシエン」
    「そうじゃ、それぐらいは決められる立場にあったからな」
    「そうなるとアカネがもらったあのカメラは、ロッコールの次期新型カメラの原型機」
    「原型機というより試作機かな。どうだアカネ君、使ってみた感想は」
    「最高でした」

 及川氏は悪戯を話す少年のように楽しそうです。

    「発売するのですか」
    「それはない。ビジネスとしてやはり無理があるのは二十年前に取締役会で否定されておる。あの時は悔しかったが、経営判断としては正しかったと思っておる」
    「だから取締役会の決定を受け入れられた」
    「そういうことだ。アイツの手腕じゃ無理の判断だ」

 淡々と話されてるけど、悔しかったんだろうな。

    「ところで加納先生とお付き合いは長いですよね」
    「うむ、麻吹先生がバラしたか。もう時効で良いと思っておる」
    「どうしてあきらめられたのですか」
    「勝てる見込みがなかったんだよ」

 聞かせて頂いてビックリした。やはり及川氏が加納先生を口説かれたのは最初のカレンダーの仕事が成功してから。

    「そこに後の旦那さんの山本先生が現れたんだ。シオリの様子があきらかに変わったのが嫌でもわかった」

 あっ、及川氏が『シオリ』って呼んでる。

    「山本先生が現れた途端にシオリの心は根こそぎ持っていかれたよ。どうしようもなかった」
    「それで加納先生は旦那さんと結婚」
    「結果はそうなんだが・・・」

 これも信じられない話だけど、加納先生の結婚は一直線にゴールインみたいな単純な話じゃなかったみたい。

    「強力なライバルがいてな」
    「あの加納先生にライバルですか?」
    「そうじゃ、それも二人じゃ。シオリは女神様と呼ばれるぐらい美しかったが、相手は天使と菩薩様じゃった」

 なんだ、なんだ、そのキャスティングは。宗教戦争かいな、

    「争った末にまず勝ったのは菩薩様じゃ」
    「加納先生じゃないのですか」
    「うむ、しかしすぐに亡くなってしまった」

 その後の展開も想像を絶するのだけど、菩薩様亡き後を女神と天使がシノギを削って争ったっていうから、加納先生の旦那さんってどれだけなのよ。

    「恋に燃えるシオリはドンドン変わって行ったよ」
    「変わる?」
 加納先生が及川氏と恋人関係になったのは三十一歳の時。この時の加納先生は及川氏によると二十代後半の若さに見えたってなってる。それがラブ・バトルを繰り広げられるうちに若返っていかれ、二十代半ば過ぎになっちゃったって言うのよ。

 どういうこと。加納先生が不老だったのは知ってるけど、及川氏の話を信じれば三十一歳ぐらいまでは歳相応に老けていたってことになるじゃない。そりゃ、少しは若く見えたんだろうけど、それぐらいはいくらでもありうることだもの。

 そうなると、そこから若返っただけじゃなく、固定され死ぬまで変わらなかったことになる。及川氏がウソを吐く必要がないもんね。

    「そんなことが・・・」
    「信じられないのは無理もないが、私が加納先生に最後に会った七十五歳の時までまったく変わらなかった」
    「なにか原因があるのですが」
    「シオリもあまりに自分が歳を取らないので不思議に思ったのだ」

 そりゃ、そうだろ。

    「そしたら、シオリだけでないことがわかったのだよ」
    「他にもおられるのですか」
    「うむ、シオリが調べた限りでは確実なのが二人、おそらくそうだろうが一人」
    「三人も!」

 この世には信じられないことが起るっていうけど、不老現象が加納先生も含めて四人もいるってどうなってるんだ。異常体質で納得するにも無理があるやんか。一度、会ってみたいもんだけど、加納先生が知ってるぐらいだから無理だろうな。不老現象は歳を取ってからわかるものだから、まだ生きてる可能性は低いものね。でもひょっとしたら、

    「まだ生きておられる方はおられるのですか」
    「おられる」

 えっ、えっ、

    「どこにおられるのですか」
    「ここだよ」
    「ここって?」
    「エレギオンHDだ」

 どういうこと、どういうこと。

    「エレギオンHDはクレイエールから発展して出来たのは知っているね」

 そうだったんだ。だからクレイエール・ビルにエレギオンHDの本社があるのか。

    「エレギオンHDのトップは女性だ。それもトップ・フォーと呼ばれている四人はすべて女性だ。この四人はエレギオンHDが出来た時からトップであり、立花小鳥副社長はお亡くなりになられたが、残りのお三方は今でも御健在だ」

 女性がトップ、それもトップ・フォーが全部女性って格好イイやん。でも、どう考えても若くて七十代か八十代にはなってるだろうな。

    「今から四年前になるが、ホテル浦島で小山社長と香坂常務にお会いしたことがある」

 それって、ツバサ先生が大暴れした時、

    「まさか、そのお二人が」
    「エレギオンHDのトップ・フォーは異常に若く見えるので有名なんだが、実際にお会いさせて頂いて驚いた。シオリそのものだった」
    「では加納先生が見つけられた三人はエレギオンHDのトップ・フォー」
    「正確には少し違う。三人には香坂常務と結崎専務は入る。もう一人はシオリの同級生であり、旦那さんを争ったライバルでもある、クレイエールの元専務の小島知江氏だ」
    「小島さんは」
    「もう亡くなっておられる」

 頭がこんがらがりそうだけど、加納先生は自分同様に不老である女性として、小島さんと、結崎専務と香坂常務を見つけたでまず良さそう。でも及川氏の話によると小山社長も不老って言うじゃない。

    「亡くなられた立花副社長はどうなのですか」
    「お会いしたことはないが、異常に若く見えたそうだ」
 じゃあ、加納先生以外に五人もいるんだ。それも加納先生以外はクレイエールからエレギオンHDでつながってる。このビルになにかあるのかも。

渋茶のアカネ:カツオ先輩

 わけわかんない世界に放り込まれた気分。このアカネが『先生』なんだよ。もっとも照れくさすぎるからオフィスではなるべく呼んでくれないように頼んでるけど、外に出れば、

    『泉先生』

 もっとも、

    『渋茶先生』

 こう呼ぶのもいる。クソ、いつまでも祟るんだから。イイ加減、もっと華麗な呼び名を付けてくれてもいいのに、渋茶がはまりすぎて、誰も付けてくれないじゃないの。仕事もツバサ先生やサトル先生と横並び。事務所にアカネ用のホワイト・ボードが出来てるのを見てビックリしたもの。それでさ、それでさ、

    「これは受けられますかって」

 こうやって確認されるんだよ。依頼料だって桁違いで、アカネがホントにやってもイイんだろうかってのがズラリだもの。選んでるかって、冗談じゃない、どんな仕事だって引き受けてる。あんだけの給料もらってるんだし、歩合だって嬉しいし。ツバサ先生には、

    「よっ、働き者。給料増えたらカネ目当てに寄ってくる男がいるから注意しとけ」

 こうやって冷やかされてる。専属アシスタントも付くようになった。ツバサ先生に、

    「まだアカネにはそこまで・・・」

 そしたらホワイト・ボードを指でさして、

    「あんだけあるから必要」

 とにかくなんでも引き受けてるから、仕事の数だけだったらツバサ先生はともかく、サトル先生に迫る勢い。それもオフィスの生え抜きを回してくれて、

    「そこまでしてもらうのは・・・」
    「アカネに新人のトレーニングはまだ荷が重い」
 たしかに、三年目でいきなりだものね。まだトレーニングされてる方だったし。


 そういや本物のマスコミの取材が来た。ちょうどブレークした時に二度に渡る入院騒ぎや、姉ちゃんの結婚式、ひいばあちゃんの葬式が重なって無かったみたい。インタビューとかされるんだけどツバサ先生なんて、

    「嬉しいだろ、スターになった気分だろ、それ舞い上がれ、ソレソレソレ・・・」

 こういう時ってさぁ、慢心を戒めてお説教の一つでもしそうなもんだけど、

    「そうならないように鍛えといた」

 そうなんだろうか、よくわかんない。そんなオフォスの中でちょっと暗いのがカツオ先輩。サトル先生の弟子で四年目の先輩。暗いというか顔が引きつってる。

    「ツバサ先生、カツオ先輩が近頃変な気が」
    「あん、あれかい。個展の準備だよ」

 ついにカツオ先輩もそこまで来たんだと思ったけど、

    「サトルの温情だ」
    「えっ」

 ツバサ先生はアカネを連れて自分の部屋に、

    「見てみな」

 カツオ先輩の持ち味は透明感とでも言えばイイのかな、

    「これは・・・ちょっとスッキリしすぎてる感じが」
    「言いにくいのはわかるけど、これじゃスッカラカンだ」

 おかしいな、前に見た時は透明感の中にも情感がこもってる気がしたんだけど。ツバサ先生が言う通りスカスカとしか思えないよ。

    「完全に迷路の中に入り込んやがる。それも、もがけば、もがくほど悪くなってる」
    「アドバイスをしてあげれば・・・」
    「それならサトルがやってる。アイツは優しいからな。でもここまで来たら裏目だ」

 ツバサ先生が言うには、カツオ先輩のテクはもう十分だそう。それはアカネにもわかる。最後の課題はそのテクを活かして自分の世界を切り開くこと。そこでカツオ先輩は悶え苦しんでいるらしい。

    「でも、ここをこうやって、ここをこうすれば・・・」
    「アカネ、あんたの指摘は正しい。その通りにやればこの写真は良くなる。でもそれだけだ。プロはいつもそれを当たり前のように撮らなきゃ意味ないんだ。こっちを見てみな」

 あれ、動画だ。これはもしかして、

    「サキの動画だ」

 映研の時のも良く出来てたけど、段違いに上手くなってる。素人くささが無くなったと言えばイイのかな。

    「カツオのレベルになれば、アドバイスは聞くものじゃない、取り入れるものなんだ。サキは専門学校でのアドバイスを取り入れ、自分のテクとして活かしきっている」

 たしかにそんな感じがするけど、

    「根本がしっかりしているかどうかだ」
    「根本ですか?」
    「そうだ、自分がどう撮りたいかの理想としても良い。これが自分の世界でもある。カツオは完全に見失ってるよ」

 厳しいけどツバサ先生の話はよくわかる。写真はどんな完成型を頭に描き、それに少しでも近づく努力の側面もあるもんな。あれ? ほんじゃアカネの完成型ってなんだろ。

    「アカネのは特別だ。アカネには理想も完成型もない、あえて言えばもっと桁違いに高いところにある。こんな奴を初めて見たよ」

 褒められてるのかな。それよりカツオ先輩だけど。

    「個展で自分を見つけることが出来なかったら、カツオは終りだ」

 数日後にカツオ先輩に誘われて串カツ屋に。なんか嫌なシチュエーションで、サキ先輩の時のことがどうしても思い出されるんだけど。

    「アカネ君、君に会えて良かった気がする。サキも言ってたが、本当のナチュラルってこの世にいるんだと思ったもの。フォトグラファーの世界は、アカネ君やサトル先生、ツバサ先生みたいな化物が切磋琢磨するところだって」
    「アカネなんて、まだまだ駆け出しです」
    「そうだよ、アカネ君でようやく駆け出しの世界なのが、はっきりわかった。ボクが限界までの能力を発揮しても、その駆け出しのレベさえ遥かに遠いよ」

 どうしてサキ先輩も、カツオ先輩もあきらめちゃうの。

    「でも個展に成功すれば」
    「もちろん全力を尽くす。ボクの最後のチャレンジだ」
    「カツオ先輩なら必ず成功します」

 どうやって励ましたら、そうだ、

    「カツオ先輩、限界は自分でそう思うから限界になるって誰か言ってました。常に通過点と思えって」
    「その言葉は正しいが間違っている。世の中には、そうである人と、そうでない人の二種類がいる。アカネ君に取ってはそうだろうけどね」

 聞きたくない、聞きたくない、カツオ先輩はオフォスに入ってからどれだけ可愛がってもらったことか。サキ先輩が優しいお姉さんなら、カツオ先輩は信頼できる兄貴みたいなものなのに。

    「ボクには見えた気がする。自分の進む道が」
    「なにが見えたんですか」

 カツオ先輩はビールを味合うように飲み、

    「とにかく個展が終わってからだ」
 カツオ先輩の個展は開かれた。個展の評価方法は聞いたことがある。加納先生の時からの慣習で、弟子を認めれば師匠が受付をやり、認められなければ黙って去っていき、師弟の縁はそれで終りだって。

 アカネも会場に行ったんだけど、いつも温顔のサトル先生の目が怖ろしく厳しかった。サトル先生もあんな目をするんだと初めて知ったぐらい怖かった。サトル先生は写真を見終わると無言で会場から去って行った。思わず呼び止めようとするアカネの手をツバサ先生は握りしめ、

    「追ってはいけない。アカネも写真を見ればわかるだろう。サトルだって辛いんだ。自分の弟子がモノにならなかったのは全部師匠の責任だからな」
 また一人去っていっちゃった。アカネが入門した時には、あんなに上手に写真を撮っているとしか思えなかったサキ先輩や、カツオ先輩でさえフォトグラファーになれなかった。どれだけ厳しい世界に身を置いているか、また思い知らされた気分。

 カツオ先輩の姿は翌日からオフィスから消えた。なんとかしたかったけど、アカネではどうしたら良いかわかんなかった。サトル先生も、ツバサ先生も、スタッフもまるで最初からカツオ先輩がいなかったかのようにしているのが恨めしかった。薄情過ぎるんじゃない。一ヶ月ほどしてから、

    「おはよう」
    「カ、カツオ先輩、戻って来てくれんたんですね」
    「さすがに心の整理に時間がかかってね。サトル先生にお願いしてプロデュースの方で雇ってもらった。ま、しばらくは裏方の何でも屋だ。今日の仕事はアカネ君のアシスタンだ」
    「よろしくお願いします」
    「それはボクのセリフだよ」

渋茶のアカネ:騙されるもんか

 一ヶ月も休むと、

    『久しぶり』

 こういう感じがするもんだね。

    「おはようございます」
    「やっと元気になったねぇ」

 もうコリゴリだ。

    「そうだそうだ、サトル先生が呼んでたよ。出勤してきたらすぐに顔を見せて欲しいだって」
 ヤバイ、お説教かな。そりゃ、これだけ休めば注意の一つぐらいするだろうし。でも、ちょっと待て、ここは普通の会社じゃない。ここはオフィス加納なんだ。タダの注意ですむわけないだろ。絶対に何か企んでいるはず。

 そもそもサトル先生が呼んでるのが怪しい。こういう時はまず直接の師匠であるツバサ先生だろ。そりゃ、サトル先生は社長だから呼ばれても不思議無さそうだけど、わざわざサトル先生がまず呼んでるのを怪しいと考えないといけないんだ。

 サトル先生は悪ふざけに一番加担しなさそうに見えるんだけど、サトル先生が噛んだ時はそれこそオフィス加納を上げての悪だくみになることがあるのは、よ~く知っている。アカネだってダテに三年も働いてるわけじゃないからね。

 とはいえ行かなきゃならない。今回は手が込んでるな。行かずに逃げちゃう手をまず封じられているようなもんじゃない。とりあえずやられそうなのは、ドアをあけたらドッカン・パターン。

 古典的な黒板消しもあるけど、オフィス加納にはホワイトボードしかないから、バケツはありうる。でもバケツじゃプラスチックでインパクトが欠けるからタライ。それも金タライの線は十分すぎるほどありうる。それぐらいは調達するものね。いや、どこかで使ってたからあるはず。

 さてサトル先生の部屋のドアだけど・・・これは巧妙だ。外からじゃ仕掛けがまったく見えない。どれだけ準備してるんだ。まさかドアノブに電流とか、でもあれは前にやって一人死にかけたから禁じ手になってるはず。

 そうなると・・・わかったぞ、落とし穴だ。上からの攻撃にアカネの注意を向けておいて、足元を狙う作戦に違いない。問題はドアの前なのか、ドアを入ったところかで、落とし穴の幅も問題だな。簡単にはまたげない幅になっているはずだから・・・

    「アカネ、なにしてるんだ」
    「あっ、ツバサ先生、おはようございます。床に落とし穴を仕掛けられていないかと思って」
    「どこの世界にコンクリートの床をぶち抜いて落とし穴を作ったりするものか。わたしも呼ばれてるんだ、入るぞ」

 それでもやりかねないのがオフィス加納だから、ツバサ先生がどこを踏むかよく注意して、同じところを踏んでおこう。それなら罠はないはず。部屋に入るとサトル先生から、

    「退院おめでとう」
    「御迷惑をおかけしました」

 なんとかサトル社長の前まで罠にかからずに来れたぞ、

    「君はオフィス加納を退職してもらう」
    「えっ、どうしてですか。そりゃ一ヶ月も休んだのは悪いと思ってますが、いきなりクビはあんまりです」
    「その上で専属契約を結びたい」

 専属契約ってなんだ。

    「オフィス加納では一人前のプロになった者は幹部社員になってもらうか、プロとして専属契約を結ぶことになっている」

 それは聞いたことがある。

    「君には専属契約が適当であると言うのが判断だ。ぜひオフォス加納と契約を結んでほしい。契約条件だけど・・・」

 専用の部屋が与えられた上で、なにこの契約料とか、この給料。さらに仕事ごとに歩合だって。ここでツバサ先生が、

    「うちではそれしか出せないんだよ。だから他と契約するのも、独立するのもありだ、どれを選ぶかは自由だ」

 なんだよこの急展開は。ちょっと待て、話がおかしすぎる。やっとわかったぞ。今回の罠はアカネを舞い上がらせておいて笑い者にする計画に違いない。あぶない、あぶない、乗せられてしまうところだった。

    「もう、冗談ばっかり、アカネも病み上がりなんですから、からかうのもイイ加減にして下さい」

 そしたらツバサ先生はまじめくさって、

    「これが契約書だ」
    「そんなもの、いくらでも偽造しちゃうじゃないですか、アカネを舐めてもらっては困ります」
    「信じん奴だなぁ、アカネがどんな評価になってるのか知らんのか。これを見ろ」

 ポイと渡されたのが業界誌。なになに、写真界に超新星が現れるってか、その名前は、

    『渋茶のアカネ』

 だから渋茶は余計だ。

    「わかったか」
    「ええ、凄いものですね。ニセの業界誌までデッチ上げるとは」

 そしたらツバサ先生は眉間をピクピクさせながら、

    「お~い、マドカ、他のも持ってこい」

 マドカさんが

    『ドサッ』

 様々な週刊誌が十冊ばかり、

    「アカネの及川電機の仕事の評価だ。わかったか」

 うひゃぁ、こりゃすごいビックリした。

    「こ、これは・・・」
    「わかったか」
    「労作ですね。一ヶ月もこんなんやってたんですか!」

 部屋中が転んでました。ようやく気を取り直したサトル先生が、

    「ここで勉強しすぎているので、容易に信じられないのはわかるが、染まり過ぎだぞ。とにかくサインしてくれ」
    「イヤです。どうせ便所掃除三ヶ月とか、肩もみ半年とか」
    「どこにも書いてないだろ」
    「そりゃ、あぶり出し」

 でもまあ、これだけみんながアカネを担ぐために準備していたのを無にするのも悪い。悪ふざけにあえて乗って、笑い者になるのもオフィス加納。

    「わかりました、サインします」
 さてなにが起るかと思ってたら、そのまま部屋に御案内。その時にアカネは覚悟した。真の仕掛けはこの部屋にあるって。すべては浮かれたアカネが『自分の部屋』に入るための罠だったんだと。まさか吊り天井とか、床がせりあがるとか。

 でも入ってもなんにも起らなかったんだ。その時にアカネは真の恐怖に襲われた。今回の悪ふざけの根の深さに。ここまででも、まだ仕掛け段階なのだと。いったいアカネになにをする気なんだって。


 月末になってアカネはすべてがわかった。その日は給料日で引き落としに行ったのだけど、

    「ひぇぇぇ、ホントだったんだ」
 アカネの絶叫が銀行に轟きましたとさ。これぐらい用心しないとオフィス加納ではなにがあるかわからないんだよ。

渋茶のアカネ:病室にて

 うわぁ、良く寝た。あれ手にチューブが付いてる。なんか変なところにもチューブが。なんだ、なんだ、ここはどこ、私はアカネよね。うん、ここはアカネのアパートじゃない、どこだろう。

    「泉さん気づかれましたか」
    「え、はい、ここは」
    「病院です」
 えっ、あっ、そうか、そうか、及川電機のカレンダー写真が完成して、ツバサ先生に見せた後に、そうそう、残り半分を撮らせろって頑張ってるうちに倒れちゃったんだ。たしかカレンダー写真は合格だったよな。残り半分の返事は・・・あったっけ。

 とにかく、くたびれた。我ながら無謀なチャレンジ過ぎた気もするけど、なんとか出来た、終わったんだ・・・終わった! ヤバイ、終われば溜まっていた仕事が押し寄せてくるやんか。こんなところで愚図愚図してたら、

    『クラクラクラ』

 あかん起き上がられへん。

    「泉さん、まだ無理ですよ」
    「無理でも、なんでも、仕事に行かないと・・・」
    「無理なものは無理です」

 ホンマや、ぜんぜん体に力が入らへん。

    「アカネは病気ですか?」
    「寝不足と栄養失調です」

 がひぃ~ん。そういや、食べてなかった。最後に食べたのいつだっけ。腹減った、腹減った。しばらくすると、

    「アカネ、やっと気が付いたみたいだね」
    「どうしてサキ先輩が」
    「アカネが抜けちゃったから、動員されたんだよ。これでも社員だし」
    「すみません」

 しばらく話をしてたんだけど、どうも丸々三日も寝込んでたみたいで良さそう。

    「ツバサ先生も何度か来てたんだけど、伝言を頼まれてる。ゆっくり休めって」

 サキ先輩の方は順調みたいで良さそう。

    「オフィスで見せてもらったんだけど、凄い仕事だね」
    「でも、もうちょっと時間があれば・・・」
    「まだ良くなるとか」
    「だって表紙の写真でも・・・」

 どうしても不満が残っちゃうのよね。あれだってもうほんの少し、そう髪の毛一本程度深くすれば、もっと効果的だったのに。次のもそうなのよ、もう一センチ引くべきだった。欲を言えば、もう五ミリぐらい右にずらして・・・

    「アカネ、成長したね。サキなんか置いてきぼりにされちゃったのが、よくわかるわ。写真やめて良かったと思うもの」
    「まだまだ、サキ先輩の方が上ですよ」
    「動画ならね。でも写真じゃ話にならないよ」

 翌日になるとツバサ先生も顔を見せてくれた。マドカさんも一緒だったんだけど。いきなり、

    「アカネ先生」
    「だから『先生』と呼んじゃダメだって。オフォス加納では個展を開くのを許されて、そこで認められて初めて先生って呼ばれるって、サキ先輩やカツオ先輩に聞いたことがあるもの」
    「あははは、アカネに個展は不要だよ。あんだけの写真見せられて、個展を許すも許さないもあったもんじゃないよ」
    「でもまだまだ不満が・・・」

 ツバサ先生は笑いながら、

    「アカネの不満はわかる。表紙なら最後の踏込だろ。二枚目なら引きと右ずらしだろ」
    「そうなんですよ。よくあんな写真をツバサ先生が認めてくれたと思ってます。加納先生の作品には、そんな手落ちはなかったですから」
    「あれはわざとだろ。あえて外したんだろ。わたしの目は節穴じゃないよ。そこまでやれば加納アングルと同じになっちゃうから、外すことによる効果を狙ったんだろ」

 バレてた、さすがはツバサ先生だ。

    「イイと思ったのですが、やっぱり甘かったかなぁっと」
    「良くお聞き、そのレベルで話が出来る写真家はこの世でもほんの一握りだよ。片手もいないと思うよ」
    「あれぐらい誰でも見れば・・・」
    「加納アングルの本質がわかって、それにアレンジを加えられる奴なんて他にいるものか。とにかく早く元気になってくれ。仕事が溜まってしようがない」

 やっぱり。

    「溜まってますよね。商品広告」
    「ああ、たんまりな。渋茶のアカネの商売繁盛伝説は続いてるし」

 渋茶は余計だ。

    「スーパー大徳の特売セールも近いはずだし」
    「そうだよ。商店街の大売出しもあるし。幸福堂のもあるし、柴田屋さんも・・・」
    「十件ぐらい?」

 そんな訳ないよな。

    「百件近くあったかな」

 このまま入院してたら大変な事になる。

    「全部受けたんですか」

 ツバサ先生は悪戯っぽく笑われて、

    「とにかく早く帰ってくれないと困る」
    「はい、さっそく」
    『クラクラクラ』
    『ヘタヘタヘタ』
    「そんなに心配しなくてもだいじょうぶ。ゆっくり休め」

 アカネの入院は案外長引き十日もかかっています。姉ちゃんも見舞に来てくれたんだけど、

    「アカネ、これなら間に合いそうね」
    「なんにだよ」
    「私の結婚式」

 忘れとった。招待状も来てたけど、どっかに突っ込んだままだ。ふ、服がない。

    「ハワイだからね」

 あっ、そうだった。ツバサ先生に相談すると、

    「なに、ローマの時の服しか、まともなものはないのか」

 退院したらその足でドタバタと服を買うのに付き合ってもらい。

    「アクセサリーは、とりあえずわたしのを使ったらイイ。とりあえず、これで行って来い」

 四泊六日の姉ちゃんの海外挙式に付き合って日本に帰った途端に、

    「ひいばあちゃんが亡くなった」

 そう言えばまだ生きてたんだ。今度は喪服が・・・どうしてこんなに重なるんだよ。告別式も済んだ夜に、

    「うぅ、腹が痛い」

 トイレに一直線。病院に行ったら親族がずらっ

    「集団食あたりですね」

 仕出し弁当に当たったみたい。その中でもアカネが一番の重症みたいで、

    「入院」
 哀れ病院に逆戻り。七転八倒状態で見栄もヘッタクレもなく便器とお友だち。さすがに厄神さんでお祓いしてもらったけど、なんだかんだで一ヶ月も休んじゃった。