シオリの冒険:女神の相談

 今日はユッキーのところに呼ばれてるんだ。あそこの四人は二週間に一度、例の三十階仮眠室に集まることになってるんだよ。エレギオンHDの最高首脳会議ってところだけど、わたしも呼ばれるようになってるんだ。

 それとユッキーに頼まれてエレギオンHDの非常勤顧問になっちゃってる。ユッキーが言うには、

    『迷惑だと思うけど、ここに出入りするのに肩書があった方が都合が良いのよ』
 この顧問って肩書だけど、どうも相当重いみたいで、社内では重役相当みたい。もっとも給料は雀の涙。まあ仕事たって、三十階で飲み食いしてるだけだから文句もないけど。たぶんだけど、三十階に入るためのパス・カードと暗証番号を与える名目ぐらいに思ってる。

 いつものように飲んで、食べてがあって一段落した頃にユッキーが話し始めたんだ。

    「コトリは二年以内に宿主代わりに入るわ」

 へぇ、コトリちゃんぐらいになると自分でわかるんだ。そこに香坂さんとシノブちゃんが、

    「コトリ先輩、自殺はやめて下さい」
    「副社長、お願いですから、前のようなことはしないで下さい」

 なんだなんだ、この二人。自殺って何よ、コトリちゃんは実質的に不老不死みたいなものじゃない。でも聞いてると、コトリちゃんは宿主代わりの度に神の自殺、つまりは次の宿主に移るのをやめようとしているそうなのよ。

    「あらコトリ、今回もやるつもり」
    「そりゃ、新工夫をバッチリ考えてあるで」

 もう香坂さんもシノブちゃんも必死です。

    「コトリ先輩、冗談にもなりません」
    「そうですよ、こんなもので笑えるはずがないじゃありませんか」

 そしたらコトリちゃんは、

    「心配せんでも、今まであれだけやって成功してへんからだいじょうぶだって」
    「コトリ先輩!」
    「女神懲罰官として絶対に許しません!」

 わお、シノブちゃんが仁王立ちになって真剣に怒ってる。香坂さんまで顔を真っ赤にして怒ってる。それにしても女神懲罰官ってなんなんだ。なんとなく香坂さんに相応しい気もするけど。

    「二人ともマジで怒らんでも」
    「これを怒らなかったら何を怒ると言うのですか」
    「そうですよ、前回の時にどれほど心配したことか。社長も黙ってないで何か言ってやって下さい」

 ユッキーが苦笑いしながら、

    「シノブちゃんも、ミサキちゃんも、そんな剣幕で怒鳴られたら、口を挟む間なんてないじゃない」

 たしかに、

    「コトリの自殺は成功するはずないから心配してないけど・・・」
    「社長なんてことを」
    「社長と言えども、言ってイイ事と悪い事があります」

 そういえば、コトリちゃんが小島知江として亡くなった時は大変だったものね。わたしとカズ君もショックだったけど、中にいた香坂さんもシノブちゃんはなおさらだったんだと思うもの。だから冗談でも言って欲しくないって気持ちはわかる。

    「ユッキーが温泉旅行の時に今の記憶はリセットされた感覚があるって言うてたやんか。あれはコトリにもあるんよ。前の時は、これまでの習慣から自殺しようとしたけど、もうちょっと生きててもイイ気になってる」
    「習慣なんかで自殺しないで下さい」
    「ミサキはしっかり聞きましたからね。約束破ったら罰として冥界に行ってもらいます」

 コトリちゃんは苦笑いしながら、

    「冥界に行かされるのは、かなわんな。あそこはミサキちゃんなら無双状態になるけど、コトリじゃ話にならへんやろし」

 ミサキちゃんは冥界にホントに行ったことがあるのかしら。ここでユッキーが、

    「コトリが宿主代わりに入るから、エレギオンHDの人事体制に特別ルールを作る事にする。でも、その前に言っておきたいことがある。わたしがクレイエールの社長を引き受け、エレギオンHDとして成長させたのは、時間潰し、ヒマ潰しのためでもあったけど、他にも目的があったのよ」

 なんだって! エレギオンHD社長がヒマ潰し、時間潰しだって、

    「コトリも言ってたリセット感覚に基づいた話なんだけど・・・」
 言われてみれば女神として不老不死でいるのも大変そう。そりゃ、宿主さえ渡り歩いていけば永遠の生があるようなものだけど、意識や記憶は継続されても外見の人は完全な別人になるものね。

 別人になれば、前宿主時代に築いた地位も名誉も財産もすべてゼロになり、そこから再スタートになっちゃうものね。わたしで言えば、カメラの技術は引き継げても、フォトグファー加納志織の地位は御破算になって、それこそサトルの弟子から始めないといけなくなるようなもの。

    「・・・女神が安定して生活するには、宿主が代わっても受け入れてくれる受け皿が必要なのよ。エレギオンHDはそのために作ったつもり」
    「では、エレギオンの名を冠したのも」
    「そうよ、商売上の意味もあったけど、女神のための受け皿の意味もあったのよ。だから女神がスムーズにエレギオンに戻れる特別ルールが必要になる」

 いるだろうね。ここで疑問が、

    「ユッキー、ちょっと聞いてもイイ?」
    「なに?」
    「代わった宿主が本物かどうかをどうやって見分けるの?」
    「わたしとコトリには神が見えるから簡単」

 へぇ、見えるんだ。ここでシノブちゃんが、

    「具体的にはどうするのですか?」
    「いくらなんでも、そこら辺から連れてきた人をいきなり副社長にするのは変じゃない」
    「ええ、とくにエレギオンHDでは原則としてまったくの新人の採用は行っておりません。採用するのはエレギオン・グループで選ばれた者だけです」
    「そこだけど、社長と副社長は外部から新人であっても自由に秘書を選んでも良いことにする。そして翌年ぐらいに大抜擢する」

 なるほど、そうやって手順と体裁を整えるのか、

    「それでも、かなり不自然ですが」
    「四人しかいないから、そうそうは起らないし、役職に復帰すれば実績ですぐに黙らせることが出来る」

 コトリちゃんが、

    「ミサキちゃん、悪いけど宿主代わりした時に、コトリなりユッキーにスムーズに会えるような手順作っといて」
    「かしこまりました」

 ここでコトリちゃんが私の方に向き直り、

    「シオリはどうする」
    「わたしは死んだらオシマイじゃないの」
    「それでイイ?」

 これはかなり悩んでるんだけど、

    「あの温泉旅行の前は天国のカズ君に会いに行くのだけが楽しみだった。でも、今は違う。ユッキーやコトリちゃんともっと時間を過ごしたい気持ちが強いのよ」
    「でも長くないで」
    「どうしてそれを?」
    「コトリもユッキーほどじゃないけど先が見えるんよ。シオリちゃんはコトリより早いで」
    「やっぱりそうか・・・」

 確実に体の異変を感じてる。実は病院にも行ったけど、かなり進んでいるみたい。とにかく見た目が若いから治療も勧められたけど、効果となると医者も多くは期待できないとハッキリ言ってた。

    「でも出来るの」
    「ユッキーとも検討したんやけど、とにかく封印したのが主女神だから強力やねん。だから過去の主女神の記憶すべての封印を解くのはまず無理や」
    「シノブちゃんや香坂さんみたいに、今からの分だけはどう。別に昔の主女神の記憶に興味は無いし」
    「それも悪いけどやってみないとわからへん。ユッキーと二人がかりなら出来そうな気がするけど、絶対とは言えへんねん」
    「失敗すれば・・・」

 ここでシノブちゃんが、

    「その記憶の継承の封印を解く時に主女神が目覚めるリスクは?」
    「はっきり言うとある」
    「もし目覚めたら?」
    「ユッキーと二人で眠らせにかかるけど、前の時のように上手くいくかはわからへん。あの時よりもコトリの力は落ちてるからな」
    「眠らせるのに失敗したら?」

 ここでユッキーが、

    「その時は主女神次第だけど、最悪のケースで四女神はすべて主女神に吸収されて、イナンナが完全復活する」

 イナンナって誰よ。

    「もっともその時には、みんな消滅してるから、イナンナの世界に恐怖する必要もないけどね」

 よほどわたしが抱えてる主女神って奴は取り扱いが厄介そう。さらに香坂さんが、

    「加納さんを時の放浪者に引っ張り込んでイイのですか」

 ユッキーは天を見上げて、

    「イイことと思っていない。素直に自然に死んで消滅してしまうのが一番よ。それを痛いほどわかってるのが、わたしとコトリ。だからこれは二人のワガママ。でもね、正直にいうと寂しいのよ。たった二人で生きていくのが」

 ユッキーが涙声だ。コトリちゃんの目も真っ赤、

    「だからシノブちゃんやミサキちゃんに頼まれた時に断り切れなかったの」

 これを受けてコトリちゃんが、

    「古代エレギオンの運営は大変やった。ホンマに大変やった。そりゃ、楽しいこともあったけど、辛いことの方が多すぎた。今でもトラウマになってることは、一杯あるんよ。でもユッキーとエレギオンHD作ってみたら、今度は違う世界で暮らせるんじゃないかって」
    「コトリの意見にわたしも賛成だったの。あの苦しい経験を今なら活かせるんじゃないかって。今度はもっと楽しい五千年が作れるんじゃないかって。障害になるのは神だけだけど、古代エレギオンのように人を使った戦争までは起らないと考えてるし、そうさせる気もないわ」

 香坂さんもシノブちゃんもじっと考え込んでいます。

    「シオリには付いてきて欲しいと思ってる。わたしとコトリの第二の記憶の始まりの貴重な生き残りなのよ。もうシオリ以外には頼める人はいないし。だからシオリに聞いてるの。どうするかって」

 わたしの心は・・・

    「一つ聞いてもイイ。ユッキーたちはエレギオンHDが受け皿としてあるけど、わたしはどうなるの」
    「やりたいことをやればイイ。フォトグラファーがしたければ、それをすれば良いし、エレギオンHDに勤めたければ、それも出来る。そのための受け皿よ。シオリが選びたい事をさせるぐらいの力はエレギオンにあるわ」

 好きな事か。それが出来る力がエレギオンにあるのは間違いない。

    「そうそう、これはシオリ以外にも言っておくわ。次の宿主になった時に、エレギオンHD以外で人生を楽しみたいなら構わない。ここはわたしが一人になっても守るから」
    「ユッキー、一人やなくて二人やで」
    「永久女神懲罰官のミサキを忘れてもらっては困ります。三人です」
    「どうして私を無視するのですか。もちろん四人です」
 やっぱりこの四人は熱いわ。わたしの心は・・・・

シオリの冒険:サトル

 シオリ先生は丁寧に指導をしてくれますが、とにかく甘くありません。この三年の間にどれだけの、

    「こんなものプロの仕事じゃない、顔洗ってやり直せ!」
 これを喰らったかわかりません。でも言葉とは裏腹にボクに期待を寄せているのはヒシヒシと感じます。毎回のように撮影したすべての写真をチェックし、すべてについて指摘とアドバイスが入ります。

 弟子も相変わらずボク一人です。オフィス加納を復活して以来、押し寄せるような弟子入り希望がありましたが、

    「弟子はもう取らない。サトルが最後の弟子だからね」

 これを聞いた時には身の置き所がないって感じになりました。ボクもシオリ先生のところで勉強しているうちに、何かをつかみかけてる気はしています。シオリ先生の方針は加納志織コピーを作るのではなく、独自の個性を花開かせるところにあるのは何度も聞かされています。ですから、中途半端にシオリ先生のマネをすると容赦なくダメ出しされます。

    「師匠の技を盗むのが弟子の仕事。でもだよ、盗んでそのまま使ったんじゃコピーだよ。単なる猿真似じゃ本物を越えられるはずないだろ。盗んだ技を血として、肉として自分の技にするんだよ」

 そんなシオリ先生ですが最近になってボクの写真の評価が微妙に変わっています。

    「う~ん、そうか」
    「そういうことか」

 やり直しの回数もかなり減って来ています。そんなある日に、

    「サトル、個展をやるよ」
    「どこでですか」
    「それは手配しておくからスタッフに確認しといて」
 スタッフに聞くと、弟子が個展を開くと言うのはある種のテストみたいなもので、個展を開くほど認められてる評価でもありますが、ここで期待外れだったら見捨てられる可能性もあるそうです。そのために個展の時にはシオリ先生の事前の審査は無く、弟子が最高と思うものを出すとなっています。

 ボクがつかみかけてると思ってるものは、間違いなくシオリ先生は評価しています。我ながら自分の色が良く出ていると思うものは、シオリ先生はなんの指摘もしないからです。ボクの個性と世界はそこにあるはずです。

 ただなんですが、いつも撮れる訳ではないのです。撮影対象、撮影条件によりますし、それがそろっていてもボク自身の出来不出来で大きく左右されます。というか、満足できるものが撮れる方が少ないぐらいです。

    「サトル、これから一ヶ月、個展に専念しな。オフィスの仕事は無しだ」

 そりゃ、朝から晩まで寝る間も惜しんで専念しました。シオリ先生には、ボクがつかみかてるものが見えてるはずです。これを完全に自分ものにするために集中する時間をくれたんだと思っています。シオリ先生は、

    「プロのテクはいつでも使えてこそのもの。たまにイイのが上がるのは素人のまぐれ当り」

 自分の世界がいつも撮れる条件を分析し尽くしました。どうしてこの場合は撮れて、この場合は撮れなかったのか。その中に要素にレンズはありそうな気がしています。俗に言う良いレンズほど自分の世界に入りやすいのです。ボクが知っている最高のレンズとなると、

    「今日はお時間を取って頂いてありがとうございます。ボクはオフィス加納でカメラマンをやらせて頂いている星野サトルです」
    「社長のマリー・アンダーウッドです。御用件を伺いましょう」
 意を決してロッコールにコンタクトを取りました。広報担当に面会を申し込んだのですが、なんと現れたのが社長さん。それにしても日本語上手だな。それはともかく、後はボク次第です。ボクがシオリ先生の最後の弟子として扱われてること、自分の世界をつかみかけてること、そのためには最高のレンズが必要なこと。

 そりゃ、買えるものなら買いますが、ロッコールのフラッグシップである加納志織モデルは高いなんてものじゃありません。ある程度そろえるだけで家が建つ値段です。でも今のボクには必要なんです。アンダーウッド社長は静かにボクの話を聞いた後、

    「あなたがプロとして自立するために、弊社のレンズが必要ということですね」
    「無理な事は百も承知ですが、二週間、いや一週間、三日間でもかまいません。貸し出しをしてくれないでしょうか」

 ロッコールの加納志織モデルはシオリ先生が監修して作り上げられたもので、先生も愛用されています。ボクも触ったことはありますが、その素晴らしさは知っています。あれが今のボクには必要なのです。アンダーウッド社長は秘書になにか耳打ちされ、秘書はやがて大きなカメラ・バッグを持って現れました。

    「あなたのことは加納先生から聞いております。もし弊社に現れることがあれば、力になって欲しいと承っております」

 バッグを開けると加納志織モデルのセットが。

    「どうぞお持ちください」
    「いつまでですか」
    「星野さん、あなたの気の済むまで」
 シオリ先生は気が付いてたんだ。ボクの世界の写真を撮るにはレンズがキモだって。それをボクがいずれ気づくことを予想して、アンダーウッド社長に話をしていてくれていたのです。何度もお礼をいって、拝むように持って帰らせて頂きました。

 使ってみるとレンズの素晴らしさに改めて感動しました。そうですね、今まで持っていた最高のレンズが曇りガラスじゃないかと思うほど違います。批評誌に魔法のレンズとか、夢のレンズと絶賛されているのがよくわかります。

 このレンズを使うとボクの欲しい世界がハッキリと見えてきます。見えるだけじゃありません。レンズを通してボクの世界が広がります。今まで壁のように立ち塞がっていたボクの世界に自動ドアが開くように誘います。

 そうやって入れるようになると、他のレンズでの入り方もわかりました。いわゆるコツをつかんだのです。もう個展まで五日を切ってましたが、それこそ撮りまくりました。個展のための展示が終わった頃にシオリ先生が現れ、

    「サトル、つかんだな」

 この言葉を聞いた瞬間に涙が止まらなくなりました。

    「泣くなサトル、これからお客さんが入ってくるんだから」

 そういうとシオリ先生は受付の方に。この個展ではシオリ先生が受付をされます。個展の合否の基準はシオリ先生が受付をするかどうかなのです。シオリ先生は、

    「受付も久しぶりだねぇ。わたしが受付で評判落としたらサトル先生にどやされるよ」

 シオリ先生が声をかけてくれたからだと思いますが、写真界の重鎮とされる方も次々と訪れましたし、業界誌の取材もありました。応対に大わらわでしたが、成功裏に終わったとしても良いと思います。業界誌にはこじんまり記事でしたが紹介され、

    『和の美の世界の探求者』

 こういう評価を頂いています。ロッコール社を訪れてレンズを返そうとしたのですがアンダーウッド社長は、

    「このレンズは気に入りませんでしたか」
    「そんなことはありません。まさに最高のレンズでした」
    「では引き続きお使いください。お貸しする時に『気が済むまで』と申したはずです」
    『カランカラン』

 シオリ先生に誘われてバーに、

    「サトル、三年もかかって悪かった。もっと早く教えてやることも出来たんだけど、自分でモノにしないとメッキみたいなもので、すぐに剥げちゃうからね」
    「レンズはいつ気づかれたのですか」
    「初めて会った時だよ。あの時はライカを上手く使うのもだと思ってたけど、弟子にしてからはっきりわかったんだ。サトルの写真はレンズに大きく左右されるって」
    「だから・・・」
    「そうだよ、サトルは必ず気づくって。レンズを追求したら行くだろうって」

 今日のシオリ先生は一段と綺麗に見えます。まさに息苦しいぐらいに綺麗で、喉が渇いて仕方ありません。

    「あのレンズを使うことで、他のレンズも使えるようになった気がします」
    「そういうこと。あのレンズはサトルの世界に入り込むには最適だったし、入ってしまえば他のレンズでも駆使できるようになるさ。それだけの苦労をサトルは積み重ねたんだ。おいおい泣くなって、サトルは男だろ」

 今までの苦労が思い浮かび、涙が止まらなくなっています。

    「サトルはもうどこに出しても恥しくない一流のプロだよ。最後の弟子が最高の弟子とは嬉しいね。フォトグラファーの最後の仕事としてやりがいがあったよ」
    「すべて先生のお蔭です」
    「悪いけど、ちょっとだけ恩返ししてくれるかい」
    「なんでも言ってください。出来る事ならなんでもします」

 シオリ先生はグラスを静かに傾けてから、

    「長くないよ」

 えっ、

    「そろそろお迎えが来るってこと」

 まさか病気?

    「だからサトルにオフィスを継いで欲しいんだ。あの連中もわたしがいなくなれば、仕事に困るし。頼めるかな?」
    「ボクでイイのですか」
    「セコハンで悪いけど、そうしてくれたら助かる」

 ずっとボクがオフィス加納を背負うって言われ続けてきたけど、あれは本気だったんだ。数日後にオフィス加納のスタッフの前でシオリ先生は、

    「わたしも八十三だ。カズ君が癌になった時に、仕事じゃなくて、自分で撮りたいもの撮ろうと思ってたのだけど、その夢を叶えたい。だから一線は退きたい」

 スタッフに沈黙が広がります。

    「社長はサトルで、わたしは顧問で好きにさせてもらう。悪いけど了承して欲しい」

 スタッフの反応が心配でしたが、

    「シオリ先生、ありがとうございました」
    「この三年間、また一緒に仕事が出来て幸せでした。後は先生の時間をお過ごしください」
    「な~に、オフィスにはサトルがいます。コイツなら立派に先生の跡を継いでくれますよ」
 こうして思わぬ成り行きでボクがオフィス加納の社長に就任です。看板の余りの重さに押し潰されそうですが、石にかじりついても守って見せます。

シオリの冒険:コトリ副社長の寿命

 五女神そろっての温泉旅行から、加納さんが写真への意欲を取り戻されたのが三年前のことです。熊野古道で知り合った星野君の才能に惚れこみ、その年にオフィス加納を復活させ、星野君を弟子にしています。

 あの時には女神の仕事となった浦島騒ぎもありましたが、二年後には一応の解決を見ています。話はその翌年、ミサキがクレイエールに入社して四十六年目、エレギオンHDに移って二十一年目、六十八歳になる年のものです。

    『カランカラン』

 老マスターは未だに健在でシェーカーを振っています。今日はシノブ専務と二人連れ。シノブ専務も七十三歳です。

    「ミサキちゃん、ついに五十三歳だよ」

 これはコトリ副社長の年齢。副社長は自らの五千年の経験から長寿はないと仰ってます。おおよそ五十歳だそうですが、まだ立花小鳥として健在です。

    「今回は例外的に長い可能性もあるのではないでしょうか」
    「そうなら嬉しいけど、今度こそ、ちゃんと準備して迎えないと」

 前回の宿主代わりの時のことが思い出されます。重役会議で倒れられ、担ぎ込まれた病院からの突然の失踪、そして花時計の前で唐突に発見された遺体。十二月の冷たい雨の中での葬儀は良く覚えています。そこからコトリ副社長の復帰を待ちわびた四年間の日々・・・

    「今はユッキー社長がおられますから」
    「そうなんだけど、あのお二人は信用できるけど、信用できないところがあるじゃない」
    「いいえ、信用できなそうだけど、最後は絶対に信用できると考えています」
    「それは、そうなんだけど・・・」

 二人の心配は宿主代わりした後に、どうやってエレギオンHDにコトリ副社長を迎え入れるかです。クレイエール再入社の時は、故綾瀬元社長が強引ともいえるやり方で専務に即復帰させましたが、エレギオンHDの場合は直接入社すら出来ないのです。

    「まともにやれば、クレイエールなりのグループ会社に入社して頭角を現し、選ばれてエレギオンHDに入社じゃない」
    「コトリ副社長なら余裕で可能です」
    「それはわかってるけど、時間がかかるじゃない」

 これまで一番早かったのはおそらくマリーで六年です。

    「前の時のように大学生から始められたとしたら十年ぐらいかかってしまうのよ。ミサキちゃんはまだだいじょうぶかもしれないけど、私はその時には八十三歳だよ」
    「ミサキだって七十八歳ですから、だいじょうぶとは言えません」
    「私やミサキちゃんの記憶の継承だって、やってみなければわからない訳だし」

 ミサキとシノブ専務の記憶の継承は六年前に首座の女神であるユッキー社長と、次座の女神であるコトリ副社長に頼み込んで、過去の記憶の復活こそしないものの、現在からの記憶を継承させてもらうことで承諾を得てます。

    「とにかく神の言葉だし、お二人が出来れば、そうはさせたくないのも知ってるじゃない。口先だけの可能性も十分に残ってる」

 この懸念はミサキにもあります。とにかく自分ではどうしようもないもので、お二人の胸先三寸で決められてしまうからです。

    「だから、せめてコトリ副社長の復活だけはこの目で確認したいのよ」
    「わかりますが、わたし達にはどうしようもないじゃありませんか」

 ここのところ、この問題をシノブ専務とずっと話しています。宿主代わりはコトリ副社長とユッキー社長が行われたのは経験していますが、まだ自分たちには未経験なので想像する部分があまりにも多くてお手上げ状態です。

    「シノブ専務、前の旅行の時に社長は気になることを仰っていました」
    「あれね、記憶を封印した四百年のために記憶の継続がリセット状態になって、社長なら木村由紀恵時代が新たなスタートの感覚があるって話よね」
    「そうなんです。あの言葉で思ったのは、古代エレギオン時代はどうだったかです。始まりはアラッタからですが、ひょっとして記憶を四百年前に封印するまで同じ呼び名だったんじゃないでしょうか」

 シノブ専務はグラスを傾けた後に、

    「随分前に呼び名は数えきれないぐらい変わったとしてたけど、外への呼び名はそうでも、お互いの呼び名はそうだったかもしれない。その方が自然だわ」
    「そうなると今のユッキー、コトリは新たな記憶の始まりとして使われているのではないでしょうか」
    「なるほど、私たちはともかく、お二人にとっての青春時代は木村由紀恵・小島知江時代ってことね。そして、あのお二人が青春時代を共に過ごしたのは明文館」

 ここでミサキはタリスカーをロックでオーダーして、

    「ミサキはアラの臨終の時に一緒にいました。あの時にアラはコトリ副社長にエレギオンHDを守るべきだと言い、コトリ副社長は承諾しています」
    「それも神の言葉・・・」
    「いえ、アラはコトリ副社長、いや立花小鳥の最後の男です。コトリ副社長はアラを女神の男とて認めています。そのアラにウソを吐くとは思えません」

 シノブ専務もニューヨークをオーダーして、

    「ミサキちゃんの意見に同意だわ。同じ青春時代となると気になるのは加納さんね。ナルメル戦のためとはいえ、エレギオンの女神の秘密を教えちゃってるし」
    「そうなんです。あのウィーンの夜にコトリ副社長も、ユッキー社長もどうしても加納さんとして会って話をしたかったとしています。前の温泉旅行もそうです」
    「ミサキちゃんもそう思う」
    「ええ、そうとしか考えられません」

 マスターがオーダーを届けてくれて、

    「今日も深刻そうですね」
    「うん、副社長が心配で」
    「それだったら心配していません。次はどんな副社長に会えるか楽しみにしています」

 さすがに付き合い長いわ。

    「加納さんは一つのポイントかもしれないわ。もし加納さんの記憶の継承をさせるのなら、可能性があるのは社長と副社長が力を合わせた時のみ、コトリ副社長が宿主代わりに入られてしまうと、加納さんの寿命が間に合わなくなる可能性がある」
    「十年なんてやれば加納さんは九十三歳ですからね」
    「だったら、近いうちに何かが起る」
 温泉旅行の前の加納さんに会った時のことが思い出されます。容姿こそ変わりはありませんでしたが、生気の乏しい表情に驚いたものです。あの時の加納さんは天国で山本先生に再会する事しか考えてなかったと思います。

 今はどうなんでしょう。あの温泉旅行で加納さんの表情は明らかに変わりました。それだけでなく、オフィス加納を復活され、現役でバリバリ働いています。ロッコールへの協力も積極的でしたし、加納賞の運営にも精力的に取り組んでおられます。

 生きる活力を取り戻されましたし、社長や副社長との友情も確かめられています。問題は記憶の継承を行ってしまうと天国に行けなくなる点かもしれません。加納さんにとって山本先生は重い存在です。加納さんだけでなく、社長や副社長に取っても重い存在です。

 この記憶を継承すると言うのも、これが良いことか悪いことかはミサキにもわかりません。古代エレギオンでは姿形は変わっても中身は同じ女神であるの国民的合意があったそうですが、現代日本では別人として扱われます。

 ミサキやシノブ専務はエレギオンHDという拠り所があり、エレギオンHDには神が見える首座の女神と次座の女神が君臨していますから、宿主が代わっても、まだなんとかなりますが、加納さんは同じとは言えません。

    「シノブ専務。もし加納さんに記憶を受け継がせるとしたら・・・」
    「ミサキちゃんも、そう思うよね。加納さんをエレギオンHDに迎え入れようとすると思うわ」

 シノブ専務はグラスを傾けながら、

    「それはそうと、また旅行の話が出てるわね」
    「ええ、ホテル浦島から」
 三年前の温泉旅行の時に浦島と神としての対決を予想されたコトリ副社長は、屋号が浦島である点だけですが、用心のためにドタキャンしてホテル中の島に変更しています。

 結局、ホテル浦島は無関係だったのですが、ドタキャンされたホテル浦島の方が大変だったようです。ホテル浦島の予約は正体を伏せてのものでしたが、ホテル中の島の方は急遽だったのでエレギオンHDの名前を使っています。ここで、ホテル中の島の方が、

    『エレギオンHD社長御一行様はホテル浦島を蹴って、ホテル中の島をわざわざ選んでくれた』

 こう吹聴したようです。まあ、エレギオンの女神の審査による格付けは怖いですからね。もっとも旅館やホテルの格付けはやってないのですが、ホテル浦島側からすれば、格付けされたと受け取ったようです。社長や副社長は、

    「忘帰洞は魅力的だけど、また和歌山は気が乗らないし・・・」
    「それにプライベートの時にエレギオンHD御一行様扱いされたらツマランし」

 それでもホテル浦島側からの要請が執拗なので、顔を立てるために行っておこうかの話は出ています。この辺はホテル浦島をドタキャンした理由を説明しにくい点もあるようです。

    「五女神旅行を希望されてるようですが一泊二日じゃ・・・」

 そうなんです。ここも結構なネックで、ホテル浦島はあの時の五人組がエレギオンHDのトップ・フォーに加えて加納さんであったことも知っており、

    『是非、同じメンバーで』
 気持ちはわかりますが、加納さんも忙しくなってますし、エレギオンHDもトップ・フォーがそろってになるとハードルが高くなります。それだけ無理して一泊二日で和歌山に行くのもどうかってのも確かにあります。来週は三十階仮眠室に女神が集まる日ですが、何か起りそうな予感。

次回作の紹介

 新作の位置づけは前作の続編になります。シリーズの流れとしてはこんな感じです。


20190428071023

 作品の紹介としては、

 シリーズ第一作からの唯一の生存者シオリにもついに寿命が訪れます。サトルとの出会いで活力が甦ったシオリは重大な決断をします。一方でシオリに宿る主女神に大きな変化が現れます。この意図を巡り女神の仕事が発生。シオリの新弟子アカネも加わり、新たな冒険の旅に。

 こんな感じです。今回はシオリの宿主代わりがメイン・テーマで、これに伴う一騒動です。それと今回登場させたアカネがお気に入り。これもチョイ役のつもりでしたが、あれこれキャラ設定やってるうちに使いやすくて、使いやすくて。

 コトリとユッキーの世界ばかりでは舞台が狭いので、しばらくはシオリとアカネの世界にお付き合いしてもらおうと思っています。次回作の表紙です。

シオリの冒険>

 ちょっとスリムなのがネックですが、シオリのイメージです。

鉄オタじゃないもので・・・

 普段は鉄道利用と言ってもせいぜい三ノ宮とか元町に行くぐらいですが、春秋のハイキングの時はそれなりの遠征をします。鉄道利用のハイキングですから、どうしても登れる山が限られてしまうのですが、今春は可能な限り西に足を伸ばしてみました。

 西に行って見てわかったことを幾つか。ローカルになるほど便数が減って不便になる点はさておき、JR神戸線は感覚的に播州赤穂までです。たいした理由ではありませんが、播州赤穂行きの新快速が存在するからです。JR神戸線と言っても東海道本線と山陽本線なんですが、山陽線は播州赤穂に続いていると思い込んでいました。

 ところがそうではなくて、播州赤穂は赤穂線なのです。相生までは山陽本線ですが、JRはそこで山側に向かう山陽本線と、赤穂に向かう赤穂線に別れます。だもので白旗山に登った時なんて、

    三ノ宮 → 姫路 → 相生 → 上郡 → 智頭急行

 姫路までは新快速でしたが、そこから相生行きの普通に乗り換え、相生から上郡行の普通に乗り換え、さらに上郡で智頭急行に乗り換えです。ちなみに帰路も同じ乗り換えでした。乗った感想として、

    なんて岡山に行き辛い
 だって相生でのアナウンスは岡山方面に向かうのなら30分ぐらい後の次発でヨロシクでしたから。まあ、岡山行くなら新幹線を使えって趣旨だとは思いますが、神戸から滋賀に行くより不便と感じた次第です。


 さて登ったのは白旗城と感状山城です。これまたローカルな話題で申し訳ありませんが、播磨と言えば赤松氏になり、赤松氏と言えば赤松円心になります。つらつら考えていたのですが、播磨で歴史に名を残した英雄は赤松円心ぐらいじゃないかと考えた次第です。

 赤松氏は村上源氏を称していますが、これがまた非常に怪しいようで、鎌倉時代は佐用郡の赤松荘の御家人ぐらいで良さそうです。円心は六波羅探題に出仕していた記録があるようですが、とにかく時代を見る目を持っていたで良さそうです。

 後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒にいち早く呼応し、京都まで攻め込んでいます。それだけの軍略もあったで良さそうです。さらに建武の新政の時に後醍醐天皇と尊氏の対立が出てくると、一貫して尊氏側に立ったで良さそうです。ですから室町幕府では四職にもなっています。

 そんな円心の功績の一つが湊川合戦の時の働きです。この時の構図は、九州まで追い落とされた尊氏が勢力を回復させて上洛を狙い、これを阻止するために新田義貞が迎え撃つぐらいです。

 円心が行ったのは湊川合戦の前哨戦とも言えるもので、白旗城に籠り、義貞を五十日も釘づけにし、ついに新田軍を撃退してしまったというものです。

 太平記を読んだことがある人なら白旗城の存在は知られていますが、これが行ってみると450mぐらいの険しい山の上に作られた城で、登った感想として、

    こんな山城、どうやって攻めたんやろ?
 この頃の城攻めで有名なのは千早赤阪ですが、南北朝初期はまだまだ鎌倉武士の軍制のはずで、城攻めは苦手だったはずって思った次第です。

 円心の迎撃作戦は白旗城だけではなく、wikipediaより、

円心は、則祐を配した城山城などの城郭を播磨各地に築き、市川沿いに書写山を中心とする第一防衛線、揖保川沿いにを城山城を中心とする第二防衛線、そして千種川沿いに白旗城を中心とする第三防衛線をもうけて徹底抗戦した。

 この記述も微妙で、これもwikipediaから、

則祐は感状山城で第二戦線の大将を命じられる。後醍醐天皇方の新田義貞によって坂本城を中心とする第一戦線が崩され、第二戦線の支城も次々に陥落するなか、則祐は奮戦し感状山城を守り抜く。白旗城下で激戦が展開されている最中に九州に落ちていた尊氏の所へ訪れ、東上を促す。

 則祐は感状山城で指揮を執っていたともなっています。こうやって読むと円心が播磨で敷いた抵抗線はかなり大規模なもので、義貞は白旗城に行くまでに幾つもの城砦を踏み潰して西に進んだで良さそうです。

 この感状山城も登ったのですが、相生駅からバスで15分ぐらいかかる山の中。こんなところに戦略的意味なんかあるのかと感じた次第です。あれこれ考えていたのですが、当たり前のことに気づいたのです。今と昔は違うのだと。

 当時も当たり前ですが軍勢の移動は街道を使って行われます。この辺でメインの街道といえば山陽道しかないじゃありませんか、さっそく地図に起こしてみると。

20190514081916

 古代の山陽道は現在の国道2号線よりかなり北側を走っていたのがわかります。さらに太市駅から佐用に向かう美作道(現在の姫新線に近いかな)もあります。感状山城に有力な軍勢がいれば、これを放置して進めば背後を襲われる危険性があるのがわかります。

 城山城(きざんじょう)は山陽道の抑えの意味もあるでしょうが、美作道も抑えているように見えます。城山城が落ちたかどうかが確認できませんでしたが、感状山城は落ちてませんから、義貞が白旗城を囲むには感状山城に十分な抑えの兵を置いて進まないといけません。

 義貞が軍を返したのは、白旗城が落ちなかったのもそうですが、備前まで尊氏軍が来ると、今度は山陽道を攻め上ってくる尊氏軍を懸念してで良さそうです。

 この地図を作りながら思ったのは、義貞が白旗城を落とし、播磨制圧に成功していたら、尊氏は海路を使いにくくなった気がします。陸路もこの辺は山道ですから、ここで迎え撃たれたら東に進むのは簡単ではなさそうぐらいです。

 まあ、それをさせなかったのが円心の功績ですけどね。