アングマール戦記:北からの侵入者(1)

 女神は祭祀も仕事でこれがいっぱいあったの。とりあえず朝は日の出の祈りが二時間ぐらいあって、日の入りの祈りがまた二時間。十日に一回は昼間に三時間ぐらいかかる十日祭、月に一回の半日以上かかる月例祭。元がアラッタの女官やけど、その時以上にユッキーはキッチリやるのよね。

 これに春夏秋冬の大祭が加わるの。春秋の大祭の責任者はコトリ、ユッキーは冬至祭と夏至祭の担当。祭の様相としてコトリが担当していた春秋の大祭はフェステバル的な要素が濃くて、ユッキーが担当していた夏至祭、冬至祭は祭祀重視の色合いが強かった、いやガチガチやった。

 ユッキーには悪いけど、冬至祭、夏至祭にはウンザリさせられた。とにかく祭祀中の女神は飲み食いどころか、立ちっぱなしで日の出から、夜遅くまで御手洗も休憩も殆ど許されなかったから、毎年憂鬱やったと白状しておく。冬至祭なんてオール・ナイトやで。寒いは、長いは、腹減るは、喉乾くは、ションベンたまらんわで往生した。なんであないに堅苦しいねんユッキーのやつ。あんなもん女神やなかったら、絶対に出来へんやんか。人なら死ぬで。

 ユッキーが祭祀になると異常に熱心なのは主女神への熱すぎる信仰心と、大神官家の娘として純粋培養された名残りやと思ってるけど、そんなユッキーも堅苦しいばかりやないねんよ。コトリが担当する春秋のフェスティバルには文句一つ付けへんかった。それどころか、

    「ねえコトリ、今年の目玉はな~に」
 コトリはこういう企画になると暴走したくなる方だけど、ユッキーはそれをむしろ楽しみにしてたぐらい。たぶんだけど、政治には緩む部分が必要と考えてたと思ってる。この年の春の大祭の目玉企画はビール大賞。ビール作りはエレギオンだけではなく同盟諸国に広がっており、一番のビールを選ぼうって企画。賞品は大賞に選ばれたら、次の大祭まで女神印を付けても良い事にしてた。

 女神印も一つにすると選びにくいから、四人の女神が一つずつ選ぶことにした。まあ、二人の女神が選んだりしたら、女神のダブルマークになるかもしれないけど、とにかく女神印は最高品質の証やから、醸造業者は盛り上がってた、盛り上がってた。

 そうそうこの女神印やねんけど、もともとはコトリとユッキーが財政を支えるために必死こいて機織りしてた時に作られたもの。さすがにこの頃は機織りしてなかったけど、エレギオン製品の質の向上のためにコンテストやって授与してた。ここも本音のところをいうと、賞品出すにもカネがなかったから女神印の授与にしたんやけど、これがヒット。

 業者にすればまず女神印の対象商品に選ばれることが名誉だったし。そこで女神印を授与されたら商売繁盛間違いないしみたいな感じかな。だから、女神印に選ばれなくとも、大祭で最終選考に残っただけでも、大成功と思われていたぐらい。これが今回はビールが対象商品に初めて選ばれたんで、エレギオンだけではなく同盟国からもわんさと応募があったの。

    「コトリはさすがに知恵の女神ね」
 ユッキーも喜んでた。そりゃ、審査のために夜ともなればビール飲み放題みたいなものじゃない。三座の女神なんて、
    「次座の女神様、次はおつまみ大賞も是非一緒に」
 そんな酒盛りならぬ、真剣な審査の真っ最中に飛び込んできたのがモスランからの急使。ちょっと間が悪いと思ったのは白状しておく、そりゃ四人とも出来上がってたし。でも、そんな浮かれた気分を吹き飛ばすぐらい使者の様相は殺気立ってたのをよく覚えてる。

アングマール戦記:北の暗雲(2)

 余談やけど、この好景気の時に世界で初めての居酒屋が出来た気がしてる。この時代の酒と言えばひたすらビールやねんけど、とにかく需要が多かったから、まず酒屋がいっぱい出来て、醸造所も増えた。最初は酒屋でビールを買って帰って飲んでたんやけど、酒屋で飲むのが出てきた。

 酒屋も店頭で立ち飲みしとっただけやねんけど、ビールを飲むならアテが欲しいとなり、充実したアテがある酒屋に人気が集まるようになってん。そのうち立って飲むより、座って飲める酒屋に人気が出てきて、夕方ともなると酒屋の周りに屯するのが当たり前になってきたんよね。といっても店の前にベンチやテーブルを並べてた程度だったけど。

 この辺まではまだ酒屋の店頭で飲む延長やってんけど、あの踊る魚亭が出来たんや。踊る魚亭はもともと宿屋やってんけど、宿屋やから食事も出し取ってんよ。エレギオンは海も近いから魚料理で有名やった。ここの店主は酒屋で飲んでる連中を見て閃いたみたいなの。

 それまでエレギオンの宿屋は食事も出しとったけど、部屋食やってんよ。それを広間で一緒に食べるスタイルにまずしたの。テーブルと椅子で食べる感じ。店主に話を聞いたこともあるんやけど、

    「あれは大宴会を参考にしたものでございます」
 女神も王も臣下を集めて宴会をやることがあったんだけど、その時はテーブルと椅子やってん。それと同じとは言えへんけど、まとめて食事を提供した方が手間が少なくなると考えたそうなの。まあ、客も大勢でメシ食う方が楽しいと好評だったみたい。

 この広間で集まってメシ食うスタイルが好評なのを見て店主は宿泊客以外も受け入れたのよ。つまり泊らずともメシ食って、ビールが飲める店が出来たってこと。今なら当たり前だけど、出来た時には大評判でコトリも便利なものが出来たと感心してた。コトリも行ったかって、そりゃ、行ったよ。女神でナンバー・ツーいうても、それぐらい民衆と近かったの。ユッキーも行ってたし、三座や四座の女神も行ってた。

 そいでもって、この踊る魚亭の店主はアイデアマンやったんよ。ありゃ、商売の天才やと思たもの。この頃はまた貨幣がなかったんよ。基本は物々交換。市場はあったけど、物々交換やった。そやから酒屋に行ってビール飲むにしても、なんらかの代価を背負っていかにゃならんわけ。ただなんやけど、貨幣の元祖みたいなものは出来つつあったんよ。要は金とか銀の小さな塊。銅もあった。

 店主がアイデアマンだったのは、銅を小さく丸く打ちぬいたものに、表はビールの絵、裏には踊る魚マークを刻印して、これ一枚でビール一杯飲めることにしたの。それでね、このコインのミソは、それだけの銅の価値じゃビール一杯の三分の一ぐらいにしかならないところで、本来なら三枚分ぐらい必要だったのよ。

 ところがビール一杯との引き替えを担保にしたから、銅の価値とは関係なく、踊る魚亭のコインというだけで三倍の価値になったんよね。店主は踊る魚亭の拡張の時の工事費用をそれで払ったから、手間賃を含めても半分ぐらいの費用で済ましちゃったのよ。

 工事費用だけじゃなくて、他の仕入れや従業員の給料にもそれを使ったの。これはコトリも驚いたのだけど、踊る魚亭のコインは市場でも通用してた。変な言い方だけど物の価値が、踊る魚亭のビール一杯とくらべてどれぐらいかで考えるみたいな感じになってた。

 コトリは閃いたの。それやったら国がコインを作れば、物の値段の統一基準が出来て便利になるんじゃないかって。それだけやなく、元の金属の価値以上に利用できるんやんないかと。とにかく財政は始終ピーピー言うてるから、上手くやればかなり儲かりそうってのも本音やった。

 ユッキーも理解してくれて、銅貨の試作品を作ったし、ついでに金貨や銀貨の試作品も作ってみた。後は踊る魚亭みたいにコインの価値の裏付けをどうしようかと考えてた。国がやるのに、さすがにビール換算と言うわけにはいかへんし。でも、そんな通貨制度の芽生えを吹き飛ばす暗雲が迫っていたのよねぇ。それでも踊る魚亭のコインは世界最初の信用通貨に近いものやと今でも思ってる。

アングマール戦記:北の暗雲(1)

 ハムノン高原の北側にはクル・ガル山脈が続いていた。どれも険しい山々で、ハムノン高原に至る道は一本だけ、ズダン峠を越えるしかなかったの。ズダン峠の北側はハムノン高原制圧戦を行った頃はまだまだ未開で、狩猟民族がチラチラいる程度だった、まあ、この狩猟民族がズダン峠を越えて山賊として襲ってくることはあったけど、滅多になかったし、そこまで兵を進めてもどうしようもない感じやった。

 ところが三百年もすればクル・ガル山脈の向こう側にも都市が出来てた。都市が出来れば交易も起るわけで、エレギオンの商人たちがズダン峠を越えて商品を運び込むことも多くなっていったの。ただ都市まで形成されると戦争が起るのよね。どうしてあんなに戦争をやりたがるのかコトリには最後のところがよくわかんないの。

 とりあえずユッキーと決めた当面の方針は不干渉。あのズダン峠を越えて遠征軍を送るなんて全然考えてなかったの。一方でエレギオン同盟は順調に機能してた。ハムノン高原制圧戦から百年ぐらいは反乱した国もあったけど、コトリとユッキーで災厄の雨を降らし、さらには同盟軍を結成してすべて短期間で鎮圧した。

 この通商同盟は続けば続くほど支配者層の力が弱まり、国民の中間層が富むシステムだから、やがて誰も反乱を起こさなくなったわ。あの時期がエレギオンの黄金時代だったかもしれない。同盟国民は主女神からの恵みに感謝して、どの国にも女神の神殿が建てられた。もっとも女神は全部で五人しかいないし、全員がエレギオンにいるから、女神の神殿と言っても女神像があるだけど、平和と繁栄を享受してた。

 当時は本当に平和だったから女神の行幸もしばしば行ったもの。どこも大歓迎で、女神の行幸依頼が多くてユッキーと次はどこを回ろうかとよく相談してた。行幸は女神の威服を示す意味もあったけど、街道整備の意味もあったの。エレギオン通商国家やから、交通路は便利な方がイイのよね。もっともカネを出すのはエレギオンだったから、女神が行幸すれば道が良くなるって感じかな。

 その頃に大神殿建設計画が出てきたの。エレギオンの女神の神殿は丘の上にあったけど、小さかったのよね。国力が増してから何度か立て直したけど、規模的にはささやかなもの。他の都市の女神の神殿に較べても見劣りするどころやないのは確かやった。その頃には街は神殿の丘の麓に大きく広がっていたから、女神の神殿もそっちに作ろうって。

 同盟国も基本的に賛成やってんけど、ユッキーがなかなか『うん』と言わないの。実はもう一つ大きな建設計画があったのよ。エレギオンは長い間、神殿の丘の上に街があり、攻められたら神殿の丘に籠城するのが常套戦術やった。麓に街が広がっても、そこは放置して神殿の丘に籠城するパターン。

 でも人口が増えたもので、神殿の丘での長期籠城戦は無理になっていたの。だから麓の街を取り囲むような城壁を作るプランが出ていたの。そりゃ、作るとなればゴッツイ規模やから当時のエレギオンでも両方一遍は無理やったんよ。大勢はとにかく平和やったから大神殿建設を先にしようやったけどユッキーは賛成しないの。コトリは聞いてみたんやけど、

    「コトリには見えないかな」
 ユッキーが指し示すのは遥かなるクル・ガル山脈の山々で、
    「あそこに暗い雲が漂う気がする」
 コトリもよ~く見たんやけど、たしかに何やら嫌な感じがあったの。
    「なにか来るとか」
    「わかんないけど、備えるんだったら今しかないと思う」
    「でも、クル・ガルを越えてエレギオンまで遠いよ」
    「それでも備えるべきと思うわ」
 神政政治の便利さで、ユッキーの判断が通ったの。ユッキーはエレギオンの大城壁建設だけでなく、ベラテやリューオン、ハマの城壁も大改修を命じたの。こんな平和な時代に大城壁を作るなんて冷笑した人もいたし、批判の声もあったけどユッキーは例の怖い顔で反論を許さなかったわ。

 ユッキーのプランは壮大だった。山から石を切り出し、従来の二倍以上の高さにし、随所に櫓とも呼べる塔を立てさせた。塔には武器食糧を十分に貯えられるスペースを設け、それ以外にも巨大な食糧貯蔵庫を幾つも作ったの。ユッキーのプランでは、たとえ五年ぐらい囲まれても耐え抜ける規模を目指していた。

 エレギオンには劣るもののベラテやリューオン、ハマの城壁大改修もこれに準じた規模で行われたから、大神殿建設計画は完全に消し飛んでしまっちゃった。他の都市の城壁改修も実質的にエレギオン負担みたいなものやから、相当な出費やった。どうにも、エレギオン運営は常にカネに追いまくられるみたいだとユッキーと笑ってた。

 ユッキーは本当なら高原都市も全部そうしたかったみたいやけど、そこまではさすがにカネがあらへんかった。というか、エレギオンの大城壁だけでも無理がアリアリやったのに、ベラテやリューオン、ハマまでやったから財政のやりくりに追い回されたってところ。

 ただなんやけどエレギオン同盟は好景気に沸いてた。こういう大規模な公共事業はとにかくカネがグルグル回るから、高原都市からもいっぱい出稼ぎが来てた。そういう人たちが飲み食いしたり、買い物するから、景気はドンドン良くなる関係かな。だから、心配されていた財政もギリギリやけどなんとかクリア出来たってところかな。

アングマール戦記:高原進出(3)

 マウサルム・レッサウ戦はマウサルムの苦戦が続いていた。マウサルムはキボン川とペラト川の挟まれた国。ハムノン高原の中央部に位置する大国。この国は放置していたら遠の昔に高原の覇者になっていたはずだけど、コトリとユッキーが散々足を引っ張ってそうさせなかった国。

 今回のレッサウ戦の苦戦の原因は仲間割れ。これはマウサルムの持病みたいなもので、後継者争いが激しすぎるの。今回の仲間割れは王が病気になるところから始まってるの。まあ、コトリがやったんだけど。そこにレッサウの侵攻が始まったのだけど、この国の慣習として王たるものは軍陣に立つべしがあるのよね。

 でも病気で立てないんだけど、立てないから退位しろと迫られたんだ。これを王は拒否したんだけど、弟に殺されちゃったの。弟にすれば軍陣に立てないのに王であるのは許されないだけど、なんの事は無い自分が王になりたかっただけ。そしたら、王の三男が復讐として叔父を殺しちゃったのよね。

 話が煩雑になるけどマウサルムでは軍陣に立てないのに王であるのは犯罪行為なのよ。だから殺してまで排除した王の弟には実は正統性があるの。問題は王の長男を押しのけて王位に就こうとしたこと。だから三男が叔父を殺したんだけど、ここの長男の出来がイマイチというか拍子の悪い状態になってたんだ。

 叔父が王を殺した時に身の危険を感じて逃げたんだ。この判断は間違いとは言えないんだけど、戻ってきたのは三男が叔父を殺した後だったんだ。なんと言っても軍陣に立てなくなった王は退位すべしみたいな武勇を尊び過ぎる国だもんで、長男より三男に人気が集まったんだけど、長男も譲るわけもなく内戦突入。

 三男も長男を早く叩き潰したかたんだろうけど、レッサウとの戦争もあり、両面作戦を強いられて苦戦ってところ。なんとかゼロンを手中に収めたコトリはザラスに移動してまたも待ってた。そしたらザラス王にマウサルムの長男からの使者が来た。

    「援軍乞う」
 コトリは待ってたけど、何もしてなかった訳じゃなくて、エレギオン同盟のさらなら援軍を待ってた。とにかくシャウスさえ押さえておけばエレギオン同盟は安全だからかなりの大量動員をかけさせたんだ、マウサルムの長男の使者もエレギオン同盟軍の数に目を剥いてた。こんだけ動員をかけたのも理由があって、ゼロン戦のエレギオン軍の弱さにゲンナリしたのがあったの。弱いんなら数で勝負が一つと張り子の虎作戦ってところ。

 長男からは何度も援軍の要請があったけど、最後はマウサルムの安定を掲げて介入の姿勢でキボン川を渡ったの。川こそ渡ったものの陣を構えて動かなかったの。そう、長男にも味方せず、三男にも味方せず、もちろんレッサウにも味方しなかった。下手に戦うと張り子のトラの化けの皮が剥がれちゃうからだけど、見た目だけなら圧倒的な大軍だから、長男も三男もレッサウも動揺してた。

 そしたらコトリが期待していたものが来たの。マウサルムには骨のある家来が多いのよね。それも知ってたから絶対に動くと思ってた。マウサルムは南のレッサウの攻勢に苦戦し、内では長男と三男が王位争いで兵を構え、さらにエレギオン軍が介入している状況なのね。

 この苦境を脱するにはマウサルムが一丸にならないといけないんだけど、三男は個人の武勇に走るのみで戦争指揮については見限られてた。つまり乱暴なだけで王の器に無理があるなの。長男は既に卑怯者のレッテルが貼られてしまっているから、残っている次男を立てる動きが出ていたの。これがまずまずの器。

 打ち合わせが行われ、遂に決行。三男は家臣たちに殺され、長男はまたもや逃亡。次男の後ろ盾になったエレギオン軍はマウサルムに無血入城。エレギオン軍とマウサルム軍が合流したのを見たレッサウ軍は撤退。

 こうしてザラスだけではなくマウサルムも同盟者に加えたエレギオン同盟軍は、レッサウ、パライア、ラウレリア、イートス、さらにはクラナリスを次々と攻略し、高原地帯の制圧事業に成功。さらに山岳部に進出しカレム、モスラン、ウノスも同盟に加える大成果を挙げたの。三年ぐらいかかったけど、マウサルムがエレギオン同盟に加担したのは大きかったってところ。

 エレギオンの神殿で同盟の誓約が行われたけど盛会だった。十六か国の代表が一堂にそろって平和の到来を祝したものよ。戦争も血腥い面はあったけど、それでも最小限に留めたと思ってる。それとこの時にエレギオン軍は一度も負けなかった・・・ガチで戦ったのはゼロン戦だけなんだけど、

    『無敵』
 なんて言われて、笑ってもた。それでも凱旋将軍としてエレギオンに帰ったらユッキーが迎えてくれた。二人でビールをどれだけ飲んだことか。こんな時代にビールがあったかって? あったわよ、ワインだってあったんだから。シュメールもエラムも先進地帯だったの。

 ただエレギオンは長いこと慢性的に食糧不足だったから、ビールなんて作る余裕がなかった時代が長かっただけ。キボン川の下流地域を支配下に置けるようになったから、再び作り出していたぐらい。でもワインはあんまり作ってなかった。理由はようわからへんけど、エルグ平原にしろハムノン高原にしろブドウがあんまりなかったのと、当時のワインは甘ったるすぎる上に、アルコール度も低すぎて好まれなかったぐらいかな。

    「ユッキー、もう終りよね」
    「そうよ、もういないよ。この通商同盟の平和は絶対に守って見せるわ」
そう終りだと思っていた。でも悪夢はこれからだった。

アングマール戦記:高原進出(2)

 これはシャウスだけを奪還しても同じことの繰り返しになるから、争奪戦にならないようにするにはハムノン高原を制圧する以外に手段がないって判断なの。高原連合軍の方は、シャウスを奪った事ですぐにグラグラしてたし。

 これだったらシャウスが健在のうちにそうしておけば良かったんだけど、コトリもユッキーも戦争は嫌いだった。軍事は人の王に任せていて、防衛戦はともかく外征軍には参加してなかったほど。それとエレギオン軍も正直なところ弱かった。

 このエレギオン軍が弱いのも大きな問題で、弱いエレギオン軍で勝つには女神の戦術を駆使する必要があり、その戦術を使うには女神が外征軍を率いなければならなかったの。戦争は負けたら論外に悲惨だけど、勝っても女にとって悲惨すぎる光景を見なくちゃいけないのよね。そんな汚れ仕事をユッキーにさせるわけにはいかないから、外征軍はコトリが率いることにした。

 とはいえコトリも軍事は基本的に素人。そりゃ、長いことエレギオン防衛戦はやってたから少しは知ってるけど、攻める方は初めてだし、同盟軍と言う混成軍を率いるのも初めて。とりあえずはハマまで行って情報集め。シャウスはザラスが占領していて、シャウスの道の三分の二はザラス軍が押さえていた。

 ハマからシャウスに攻め寄せるにはシャウスの道をゴリゴリと攻め上る以外にないんだけど、そうなると狭い所での兵対兵の消耗戦になり、弱兵ぞろいのエレギオン軍じゃ大損害は必至みたいな状況ってところ。つうか、勝てるかさえ疑問。なにか戦術の工夫が求められるところ。そこで知恵を絞って流言戦術を取ったんだ。

 ザラスの隣にゼロンがあるんだけど、ザラスとゼロンは犬と猿ぐらい仲が悪いのよね。都市国家同士はどこもたいていは仲が悪いんだけど、ザラスとゼロンはとくにってところ。そのうえゼロン王は徹底したエレギオン嫌い。そこでゼロンの町に、

    『ザラスはエレギオンと条約を結び、連合してゼロンを攻める』
 この流言のためにコトリはハマに入ってからずっと動かなかった。つまりは同盟交渉中の外見を装うようにしたってところ。結構チャチな戦術だったけど、女神のコトリがハマに進出してきているのにゼロン王はすっごく神経質になってたみたいなの。これまで女神がエレギオンを離れることはなかったし、離れてハマまで進出してきたのに意味があるはずって考えてくれたみたい。というか、コトリはそれを期待して噂をばらまかせた。

 噂を信じたゼロン王は『やはり』とばかりに兵をザラスに進めてくれた。ザラスもシャウスを奪ったとはいえ、ザラス軍が二倍になった訳じゃなく、分散配置状態で、高原連合軍の誓約で、シャウスをザラスが預かってる限り攻撃しないに頼ってた側面があるの。

 でもってゼロン軍が動いた時点でザラスに話を持ちかけたの。ザラスは本国がゼロンの脅威にさらされ、シャウス派遣軍はハマにいるエレギオン同盟軍のために身動きが取れない状況になってるから応じてくれた。たいした交渉ではなく、シャウスのザラス派遣軍の撤退を邪魔しない代わりにシャウスはエレギオンが占領するだった。

 ザラス軍もシャウスを譲り渡すのは癪だったと思うけど、宿敵ゼロン軍が本国を襲うとなれば背に腹は代えられないぐらいで応じてくれた。ザラス軍は宿敵ゼロン軍との決戦に赴き、エレギオン軍はシャウスに無血入城にまんまと成功した。

 ここでザラスは使えるとコトリは読んだんだ。ザラスは高原九か国の中でも弱い方なの。弱いからシャウスを預けられたぐらいだし、弱いからゼロン軍が動くと全軍が必要ってところかな。ただ高原九か国の反エレギオン感情は強いから、ここもまた一工夫必要ってところ。

 ザラスはキボン川の北側の都市。シャウスの隣なんだけど、とりあえずザラス軍を苦戦させることにした。コトリの災厄の呪いもズオンにやった頃は加減がわからへんかったけど、その頃には微妙なコントロールが出来るようになっていた。ザラスは苦戦して欲しいけど負けたら元も子もなくなるからね。

 ここで戦略構図としてザラスがゼロンに攻撃されて危なくなればキボン川を挟んだマウサルムが援軍に来ると言うのがあるんだ。マウサルムが援軍に来ちゃうと話が丸く収まっちゃうから、マウサルムのさらに南側、ペラト川を挟むレッサウが動くように仕組んだんだ。

 具体的にはマウサルムに災厄の雨を強めに降らし、マウサルムが弱っている情報をレッサウに流してやった。もちろん有力大臣を買収しといて、攻撃を強く主張させたんだ。別に買収された大臣だって変な主張をしたわけじゃなくて、マウサルムが弱っているのならチャンスとばかりに動いたってところ。わざわざ買収工作までやったのは、何が何でも動いて欲しかったから念押し。

 でもこれでザラス軍は大苦戦になっちゃうのよ。ゼロン軍の攻勢に苦戦中なのに、頼みの綱のマウサルムがレッサウの攻撃を受けてしまっているぐらいってところ。それでコトリはじっと待ってた。そしたら万策尽きたザラスが使者を出してきた。

    「援軍乞う」
 条件はエレギオン同盟に入るだったからザラスに向かって進軍。その間にザラスへの呪いもマウサルムへの呪いも解き、ゼロンに災厄の雨を降り注いでやった。もっとも、それだけ弱らせてもゼロンには苦戦した。どう見たって数の少ないザラス軍の方が強いのにあきれたぐらい。それでもなんとかゼロンは落城させた。

 これでキボン川の北岸のシャウス、ザラス、ゼロンを抑えたことになり、有力同盟国としてザラスを得たことになったんだ。まあ、ゼロン落城後のザラス軍の暴行と略奪は物凄かったけど、あれは仕方がない。もちろんエレギオン軍もそれなりにやってた。これがあるから戦争、とくに都市争奪戦は嫌いだ。